第24話「限界と工夫」
古代装置の解析を始めて三日目の朝、俺は執務室の机に突っ伏していた。
瞼が鉛のように重い。指先の感覚は既に麻痺している。視界の端が霞んで、文字が二重に見え始めていた。
「レオン、大丈夫?」
マルクスの声で、俺は顔を上げた。首筋に鈍い痛みが走る。
「ああ……なんとか」
嘘だった。全然大丈夫じゃない。
机の上には、解析の過程で書き溜めたノートが散乱している。古代文字の写し、推測される意味、文法構造の分析。三日間の努力の結晶だ。
でも――
「進捗、どのくらい?」
リリアが心配そうに尋ねる。
「……30%」
俺は掠れた声で答えた。
空気が凍った。
「このペースじゃ、間に合わない」
マルクスが呟く。その通りだ。期限まであと四日。このままでは確実に失敗する。
でも、俺は諦めたくなかった。
「何か方法があるはずだ」
震える手でコーヒーカップを持ち上げる。中身はとっくに冷めきっていた。
* * *
昼過ぎ、俺は一人で装置の前に座り込んでいた。
目の前の古代文字が、まるで生き物のように蠢いて見える。疲労の限界だ。
『レオン』
アルフィの声が心に響く。
『休息を取ることをお勧めします』
「分かってる」
でも、体が動かない。いや、動きたくない。ここで止まったら、もう立ち上がれない気がして。
その時、扉が開いた。
「レオン、ちょっといい?」
エリーゼが入ってきた。手には何冊かの本を抱えている。
「どうした?」
「これ、見て」
彼女が開いたのは、古代語の辞典だった。
「私、文献調査をしてたんだけど、面白いことに気づいたの」
エリーゼが指差したのは、ある文字の項目。
「この文字、単独では『力』を意味するけど、別の文字と組み合わせると『協力』になるのよ」
俺は目を見開いた。
確かに、装置の文字列にも同じパターンがある。今まで気づかなかった。
「エリーゼ、これは――」
「待って、まだあるの」
彼女は別のページを開いた。
「古代人は、複雑な作業を分業で行っていたらしいわ。一人で全てを理解する必要はなかった」
その言葉に、頭の中で何かがカチッと嵌まる感覚があった。
分業。
そうか、俺は一人で全部やろうとしていた。でも――
「みんなを呼んでくれ」
俺は立ち上がった。
「作戦会議だ」
* * *
三十分後、執務室に全員が集まった。
「提案がある」
俺は装置の構造図を広げた。
「この装置を、四つのパートに分けて解析する」
皆が図面を覗き込む。
「第一パート、構造解析。これはマルクス、君の得意分野だ」
マルクスが頷く。
「魔法陣の構造なら、俺に任せろ」
「第二パート、理論検証。リリア、これは君に頼みたい」
「古代の魔術理論ね。面白そう」
リリアが微笑んだ。
「第三パート、文献調査。エリーゼ、引き続き頼む」
「もちろんよ」
「そして俺は、みんなの成果を統合して、最終的な解析を行う」
俺は皆を見回した。
「一人じゃ無理でも、四人なら――」
「やってみる価値はあるな」
マルクスが拳を握った。
「よし、早速始めよう!」
* * *
作業を開始する前に、俺たちは役割分担を詳細に詰めた。
「マルクス、構造解析って具体的には?」
「魔法陣の層構造、エネルギーの流れ、各部品の連携。俺の専門だから任せてくれ」
マルクスが自信満々に答える。
「でも、古代の構造は現代と違うんじゃ……」
「基本原理は同じはずだ。むしろ、現代魔術の原型を見られるかもしれない」
リリアも準備を整えていた。
「理論検証は、まず基本的な魔術式から照合していくわ」
彼女が持参した理論書は、分厚いものが五冊。
「古代語の数式表現、これが一番の難関ね」
「私は図書室の古文書区画に行ってくる」
エリーゼが立ち上がる。
「王立図書館の制限区域に、関連資料があるはずよ」
「制限区域って、許可は?」
「私の家の名前、まだ少しは使えるから」
彼女が苦笑する。勘当されても、ローゼン家の影響力は残っているらしい。
* * *
分業を始めてから、空気が変わった。
マルクスは構造図を前に、熱心に計算を始めた。彼の専門知識が、複雑な魔法陣を解き明かしていく。
「この部分、六層構造になってる!」
興奮した声が響く。
リリアは理論書と格闘していた。古代の魔術理論と現代理論の対応を、一つずつ検証していく。
「なるほど、この式は現代でいう『魔力増幅』の原型ね」
彼女のノートが、発見で埋まっていく。
エリーゼは図書室と執務室を往復していた。関連する文献を次々と見つけ出してくる。
「この本に、類似の装置の記述があったわ!」
新たな手がかりが、パズルのピースを埋めていく。
そして俺は、みんなの成果を一つずつ繋ぎ合わせていった。
バラバラだった情報が、少しずつ全体像を形作り始める。まるで霧が晴れていくように。
* * *
夕方になると、執務室は熱気に包まれていた。
「レオン、見てくれ!」
マルクスが構造図を持ってきた。
「第三層と第五層が連動してる。これが起動キーだ」
「私も発見があったわ」
リリアが理論式を示す。
「この装置、単なる記録装置じゃない。知識を『体系化』する機能があるのよ」
「それを裏付ける文献も見つけた」
エリーゼが古い本を開く。
「古代の賢者たちは、知識を後世に残すため、こういう装置を各地に設置したらしいの」
俺は震える手で、皆の成果を統合していった。
構造、理論、歴史。全てが一つの答えに収束していく。
「分かった……分かったぞ!」
俺は声を上げた。
「この装置は、知識の『種』を保存するものだ。起動すれば、古代の知識体系が復元される!」
皆の顔に、笑みが広がった。
進捗は一気に50%まで跳ね上がった。
* * *
深夜になっても、作業は続いていた。
「ちょっと、これ見て!」
リリアが興奮した声を上げる。
「この理論式、現代の『エネルギー保存則』の原型よ!」
彼女のノートには、びっしりと計算式が書き込まれている。
「古代人は既に、魔力の保存について理解していたのね」
「こっちも進展があった」
マルクスが構造図を持ってくる。
「第四層に隠し回路を発見した。これ、セーフティ機能だ」
「セーフティ?」
「暴走防止だよ。知識の復元時に、制御不能にならないための安全装置」
俺は二人の成果を照合した。理論と構造が、見事に一致している。
「素晴らしい。これで全体の70%は解明できた」
その時、扉が開いた。
「遅くなってごめんなさい!」
エリーゼが駆け込んでくる。顔は上気していて、息も荒い。
「でも、すごいものを見つけたの!」
彼女が抱えていたのは、古い羊皮紙の束。
「これ、装置の設計者の手記よ!」
全員が息を呑んだ。
「本物?」
リリアが慎重に羊皮紙を確認する。
「間違いないわ。魔力の残留パターンが一致してる」
俺たちは羊皮紙を囲んで、内容を読み始めた。
古代語で書かれた文章。でも、今なら読める。みんなで積み上げた知識があるから。
『知識は力なり。されど真の力は、知識を分かち合うことにあり』
設計者の理念が、そこには記されていた。
『この装置は、一人の賢者のためにあらず。共に学ぶ者たちのためにあり』
俺の胸が熱くなった。
古代の賢者も、俺たちと同じことを考えていたんだ。
「見て、ここ!」
エリーゼが一箇所を指差す。
『起動には、四つの鍵が必要。構造の理解、理論の把握、歴史の認識、そして――』
そこで文章が途切れていた。
「そして、何?」
マルクスが身を乗り出す。
羊皮紙の該当部分は、経年劣化で読めなくなっていた。
* * *
だが、喜びは長く続かなかった。
装置の核心部分――起動のための最終キーワード。それが、どうしても解読できない。
「これは……暗号?」
マルクスが首を傾げる。
「いや、詩的表現でもない」
リリアも困惑している。
「文献にも、該当する記述がないわ」
エリーゼが肩を落とす。
俺は装置を見つめた。
あと一歩。あと一歩なのに、その最後の壁が越えられない。
時計を見る。夜の九時。期限まで、あと三日と少し。
「今日はここまでにしよう」
俺は深いため息をついた。
「明日、また新しい目で見れば、何か見えるかもしれない」
皆が頷いて、ゆっくりと帰り支度を始める。
* * *
皆が帰った後、俺は一人執務室に残った。
50%。
大きな進歩だ。一人では絶対に到達できなかった地点。
でも、まだ半分。
窓の外を見ると、星が瞬いていた。暗闇の中の小さな光。
「アルフィ」
俺は呟いた。
『はい、レオン』
「俺たちのやり方、どう思う?」
『素晴らしいと思います』
アルフィの声に、温かみがある。
『一人の天才より、協力する仲間。それが人間の強さです』
「でも、まだ足りない」
『その通りです。しかし』
アルフィが続ける。
『あなたは既に、最も重要なことを学びました』
「最も重要なこと?」
『自分の限界を認め、他者の力を借りる勇気。それこそが、真の強さです』
その言葉が、胸に深く響いた。
俺は微笑んだ。疲労は限界だが、心には小さな希望の光が灯っている。
明日も、頑張ろう。
仲間と一緒に。




