第23話「試される覚悟」
北部への旅から戻って三日後、執務室に新たな依頼が届いた。
「王国査問院からの正式依頼書です」
使者が恭しく書状を差し出す。王国の紋章が刻まれた封蝋を見て、俺の背筋が伸びた。
「また魔獣討伐か?」
マルクスが心配そうに覗き込む。
「いや、違う」
俺は書状を開いて、内容を確認した。そして――息を呑んだ。
「古代魔法装置の解析依頼……」
リリアが目を見開く。
「それって、相当な難易度よね?」
俺は黙って頷いた。書状には詳細が記されている。
王都の地下で発見された古代遺跡。その最深部に眠る魔法装置。数百年前の技術で作られ、現代の魔術師には解読不能な代物。
そして――
「報酬、金貨一万枚!?」
エリーゼが声を上げた。
破格だった。俺たちのチームが一年間活動できる額だ。最近の活動資金の不足を考えれば、喉から手が出るほど欲しい。
「でも、期限が……」
俺は書状の最後を指差した。
「一週間以内」
全員が息を呑んだ。
* * *
王国査問院の地下倉庫。薄暗い空間に、問題の装置が鎮座していた。
高さ三メートル、幅二メートルの巨大な石碑。表面には無数の古代文字と魔法陣が刻まれている。
「これは……」
俺は装置に近づいた。石の表面から、微かに魔力の波動を感じる。まだ生きているんだ、この装置は。
『興味深いですね』
アルフィの声が心に響く。
『私なら、この文字列を即座に解読できます。推定所要時間、0.3秒』
俺の手が、微かに震えた。
0.3秒。たったそれだけで、一万枚の金貨が手に入る。チームの資金問題も解決する。皆の期待にも応えられる。
甘い囁きが、耳元をくすぐる。
使えばいい。アルフィの力を借りれば、全て解決する。誰も責めない。むしろ喜ぶだろう。
俺は深呼吸した。胸の内で、二つの声がぶつかり合う。
『使え』
『使うな』
心臓が早鐘を打つ。額に汗が滲んだ。
* * *
「レオン、大丈夫?」
エリーゼが心配そうに声をかける。
俺は装置の前で、もう一時間も立ち尽くしていた。
「この文字……」
俺は震える指で、石碑の一部を指した。
「なんとなく、読めそうな気がする」
それは嘘じゃなかった。古代文字の一部が、妙に馴染み深く感じられる。まるで、遠い昔に見たことがあるような――
「でも、全体の意味は分からない」
俺は拳を握った。
アルフィを使えば、今すぐ分かる。でも――
「時間をくれ」
俺は振り返った。
「自力でやらせてほしい」
「でも、一週間しか――」
マルクスが言いかけて、口をつぐんだ。俺の表情を見たからだ。
「分かってる。でも、これは俺にとって大切なことなんだ」
俺は改めて装置を見上げた。
「アルフィに頼れば簡単だ。でも、それじゃ何も成長しない」
『レオン』
アルフィの声が響く。
『本当にそれでよろしいのですか?』
「ああ」
俺は心の中で答えた。
「これは、俺の覚悟を試す機会だ」
* * *
その夜から、俺は装置の解析に没頭した。
古代文字の辞書を片手に、一文字ずつ意味を調べていく。関連する文献を読み漁り、類似の装置の記録を探す。
進捗は、恐ろしく遅かった。
一日目。解読できたのは全体の5%程度。
二日目。ようやく10%に到達。
三日目。15%で頭打ち。
「このペースじゃ……」
リリアが不安そうに呟く。
確かに、間に合わない可能性が高い。でも――
「続けるよ」
俺は疲れた目をこすりながら、再び文字に向かった。
なぜか、諦める気にはなれなかった。この文字の奥に、何か大切なものが隠されている気がして。
* * *
三日目の夜、俺は行き詰まっていた。
「この部分の文字配列が……」
俺は頭を抱えた。どう見ても、文法的におかしい。古代語の規則から外れている。
「レオン、コーヒー」
エリーゼがカップを置いてくれる。もう何杯目だろう。
「ありがとう」
「無理しないで」
エリーゼが俺の肩に手を置いた。
「あなたが倒れたら、元も子もないわ」
「分かってる。でも――」
俺は装置を見上げた。
なぜだろう。この装置に、強く惹かれる。まるで、俺を呼んでいるような――
『その感覚を大切にしてください』
アルフィの声が響く。
『直感は、時として論理を超えます』
「直感か……」
俺は目を閉じて、深呼吸した。
理論で解けないなら、感覚で。文字を読むんじゃなく、感じるんだ。
* * *
四日目の朝、小さな突破口が開けた。
「詩だ」
俺は呟いた。
「え?」
マルクスが振り返る。
「この部分、詩的表現なんだ。だから文法が変則的なんだよ」
俺は興奮して説明した。
「古代人も、重要なことは詩の形で残したんだ。韻を踏んで、リズムを作って」
その発見から、解読は少しずつ進み始めた。
でも、時間は刻々と過ぎていく。
* * *
四日目の深夜。
俺は一人、装置の前に座り込んでいた。
目が霞む。指先の感覚が鈍い。三日間ほとんど寝ていない体は、限界に近づいていた。
『レオン』
アルフィの声が、優しく響く。
『休息も必要です』
「分かってる」
俺は苦笑した。
「でも、もう少しだけ」
その時、ふと気づいた。
文字の配列に、ある種のパターンがあることに。
「これは……」
俺は立ち上がり、装置全体を見渡した。
個々の文字じゃない。全体の構造。文字と文字の関係性。魔法陣との対応。
まるでパズルのピースが嵌まるように、理解が広がっていく。
「分かった!」
俺は興奮で声を上げた。
これは単なる装置じゃない。古代の知識を保存し、伝承するためのシステムだ。
* * *
五日目の朝。
「できた……」
俺は震える声で呟いた。
完全じゃない。まだ不明な部分も多い。でも、装置の基本的な機能と起動方法は解明できた。
「本当に!?」
エリーゼが駆け寄る。
「ああ。見てくれ」
俺はノートを広げた。そこには、俺が解読した内容がびっしりと書き込まれている。
「この装置は、古代の魔術知識を記録・再生するためのものだ」
図を描きながら説明する。
「起動には特定の魔力波長が必要で、それは――」
説明を続ける俺の声は、疲労で掠れていた。でも、胸の奥には温かいものが広がっている。
これは、俺が自力で解いたんだ。
* * *
「素晴らしい」
王国査問院の担当官が、俺の報告書を読んで頷いた。
「完璧とは言えませんが、装置の本質を見事に解明されています」
「ありがとうございます」
俺は深く頭を下げた。
正直、アルフィの解析には及ばないだろう。もっと深い秘密が、この装置には隠されているはずだ。
でも――
「報酬の一万枚、確かにお支払いします」
担当官が金貨の入った袋を差し出す。
重い。物理的にも、意味的にも。
これは、俺が自分の力で掴んだ成果だ。
* * *
査問院を出る時、担当官が俺を呼び止めた。
「レオン様」
「はい?」
「実は、この装置の解析は、過去に三つのチームが挑戦して全て失敗しています」
俺は驚いて振り返った。
「そうだったんですか」
「ええ。皆、一週間という期限に焦って、表面的な解読で終わってしまった」
担当官は微笑んだ。
「でも、あなたは違った。装置の『本質』を見抜いた。それが一番重要なことです」
その言葉が、胸に深く刻まれた。
* * *
執務室に戻ると、皆が拍手で迎えてくれた。
「やったな、レオン!」
マルクスが肩を叩く。
「正直、間に合うか心配だったけど」
「私も」
リリアが微笑む。
「でも、あなたの集中力は凄かった」
俺は照れくさくなって、頭を掻いた。
その時、アルフィの声が響いた。
『お見事でした、レオン』
声に、温かみが含まれている。
『あなたの選択は、正しかったと思います』
「アルフィ……」
『私の解析では、あなたの解読は85%の正確性でした。初めての挑戦としては、驚異的な成果です』
85%。
完璧じゃない。でも、悪くない。
『そして』
アルフィが続ける。
『あなたが見抜いた「知識の保存と伝承」という本質は、100%正確でした』
俺の目が見開かれた。
本質を、俺は掴んでいたのか。
* * *
祝杯を上げた後、俺は一人で執務室に残った。
机の上には、解析の過程で書き溜めたノートが山積みになっている。
一枚一枚、見返していく。
最初は文字の羅列でしかなかった。でも、少しずつ意味が見えてきて、パターンが浮かび上がって――
「レオン」
エリーゼが戻ってきた。
「まだ起きてたの?」
「ああ。なんだか興奮が冷めなくて」
俺は苦笑した。
「それに、これを見返してたら、新しい発見もあって」
「新しい発見?」
「うん。解析中は気づかなかったけど、この文字の並び――」
俺はノートの一部を指した。
「どこかで見たことがある気がするんだ」
エリーゼが覗き込む。
「確かに、不思議な配列ね」
「多分、他の古代遺跡にも同じパターンがあるはずだ」
俺の中で、新たな探求心が芽生えていた。
これは終わりじゃない。始まりなんだ。
* * *
その夜、俺は久しぶりにぐっすりと眠った。
夢の中で、古代文字が踊っている。でも、もう恐れはない。
あの文字たちは、俺に何かを伝えようとしている。そして俺は、少しずつそれを理解し始めている。
アルフィの力を借りずに。
自分の力で。
翌朝、目覚めた時、体は軽かった。
疲労は残っている。でも、心は晴れやかだ。
窓の外を見ると、朝日が眩しく輝いていた。
新しい一日の始まりだ。
そして俺は、また一歩、前に進んだ。
小さな一歩。でも確実な一歩を。




