第19話「成功の代償」
三国間包括技術協定の大成功から1週間後、俺の生活は一変していた。
毎朝、執務室に届く書簡の山。王国各省庁からの協力要請、他国の外交官からの面会申し込み、そして名前も知らない貴族たちからの招待状。
「レオン、また新しい案件よ」
エリーゼが疲れた表情で書類を持ってきた。
「今度は東方連邦からの技術協力提案」
「東方連邦まで……」
俺は頭を抱えた。
俺の胸に、複雑な感情が渦巻いていた。三国協定の成功により、俺の名前は国際的に知られるようになった。「若き天才戦略家」「データを超越する直感の持ち主」「新時代の外交家」…
様々な称号で呼ばれるようになったが、それらの言葉を聞くたびに俺の肩が重くなる。この重圧が俺にとっては何よりも辛かった。
俺の頭に、アルフィから送られてくる案件リストが浮かんだ。膨大な数の要請、それぞれに重大な意味を持つ内容…
『マスター、本日も多数の新規案件です』
アルフィの声に、わずかな心配が混じっているように感じた。
『そのうち大半は国家レベル、複数は国際案件です』
俺の肩に、その重さがのしかかってくる。国家レベルの案件が日常になってしまった現実に、改めて愕然とする。
半年前まで、俺は一介の追放された魔術師だった。それが今では、王国の政策に影響を与える立場にいる。
変化が急すぎる。
「レオン、大丈夫?」
マルクスが心配そうに声をかけてきた。
「最近、疲れて見えるぞ」
「ちょっと忙しすぎるかな」
俺は正直に答えた。
リリアも同調した。
「私たちも驚いてるわ。こんなに急に有名になるなんて」
有名になること。
それは俺が望んでいたことだろうか。
確かに、理不尽な追放の復讐は果たした。実力を証明することもできた。
でも、その代償として得たのは、果てしない責任と期待だった。
* * *
その日の午後、王国政府から正式な使者が訪れた。
「レオン・グレイ殿、王国政府を代表して感謝の意を表します」
高官のアーサー・ローランドが荘重に口を開いた。
「三国間協定の成功により、我が王国の国際的地位は飛躍的に向上いたしました」
彼は美しく装飾された証書を差し出した。
「王国特別功労賞を授与いたします」
王国特別功労賞。
それは文字通り、王国に特別な貢献をした人物に与えられる最高の栄誉だった。
「光栄です」
俺は証書を受け取った。
重い。
物理的な重さではない。この証書が意味する責任の重さだった。
「さて、実は今日は授与式だけではございません」
ローランドの表情が引き締まった。
「新たな依頼をお持ちしました」
また新しい案件。
俺の心に、微かな疲労感が広がった。
「どのような?」
「大陸諸国連合との包括的平和協定です」
大陸諸国連合。
それは東西南北すべての主要国が参加する、史上最大規模の国際協定だった。
「規模が……」
「はい。成功すれば、この大陸に数百年の平和をもたらします」
ローランドの目には期待と確信があった。
「あなたなら、必ず成功させてくれると信じています」
期待。
また期待だ。
俺は答えに窮していた。
『マスター、この案件は極めて複雑です』
アルフィが分析を始めた。
『7つの国、12の民族、20以上の利害関係が絡んでいます』
そんな複雑な案件を、俺に任せるのか。
「お返事は?」
ローランドが催促する。
俺は深呼吸した。
「承知いたします」
俺は引き受けた。
断る理由がなかった。
いや、断る勇気がなかった。
期待を裏切ることへの恐怖が、俺を支配していた。
* * *
ローランドが去った後、執務室に重い沈黙が流れた。
「レオン……」
エリーゼが心配そうに呼びかけた。
「本当に大丈夫なの?」
俺は椅子に深く沈み込んだ。
「分からない」
正直な気持ちだった。
「三国協定までは、何とかなってきた。でも、今度は規模が違いすぎる」
マルクスが実務的な心配をした。
「大陸諸国連合となると、俺たちの手には負えないかもしれない」
リリアも不安そうだった。
「7つの国それぞれが異なる価値観を持っている。統一的な解決策なんて本当に存在するの?」
『マスター、ご不安はごもっともです』
アルフィが慰めるように言った。
『しかし、これまでも不可能に見えた課題を解決してきました』
そうだ。
これまでも、俺は困難な課題に挑戦してきた。
ヴィクトリアの失脚、改革委員会の設立、三国協定の成功。
どれも最初は不可能に見えた。
でも、今回は何かが違う。
俺の心に、今までにない不安があった。
「実は……」
俺は仲間たちに本音を打ち明けた。
「最近、自分が何者なのか分からなくなってきた」
この不安は、王国特別功労賞を受け取った瞬間から始まった。壇上で賞状を受け取りながら、俺は奇妙な違和感を覚えた。周囲の期待に満ちた視線、盛大な拍手、称賛の言葉。それらすべてが、どこか現実感を欠いていた。
まるで別人の人生を見ているような。本当にこれが俺の実力なのか、という疑問が膨らんでいく。
三人は静かに聞いている。
「半年前まで、俺は追放された無力な魔術師だった。それが今では、国家の命運を左右する決断を迫られている」
この急激な変化についていけない自分がいる。成功の階段を上るたびに、足元がふらつくような不安定感。頂上に近づくほど、下を見下ろすのが怖くなる。
俺は窓の外を見つめた。
「これは本当に俺の力なのか?」
「どういうこと?」
エリーゼが尋ねた。
「アルフィの支援があったからこそ、ここまで来れたのかもしれない」
この疑問は、昨日の会議で決定的になった。アルフィなしで重要な判断を迫られた時の、あの不安と混乱。データや分析なしには、俺は何も決められないのではないか。
成功すればするほど、周囲からの称賛は俺個人に向けられる。「レオン・グレイの才能」「レオンの判断力」「レオンの功績」。でも、本当の功労者は俺ではないのではないか。
この違和感は日増しに強くなっている。表彰台で笑顔を作りながら、心の奥では罪悪感に似た感情が渦巻いている。
「もし俺一人だったら、何もできなかったのかもしれない」
『マスター……』
アルフィが困惑したような声を出した。
『確かに私は支援していますが、決断はすべてあなたがしています』
『特に直感的判断は、私の能力を遥かに超えています』
アルフィの言葉は正しい。
でも、俺の不安は消えなかった。
「でも、俺は本当にその期待に応えられるのか?」
俺は立ち上がった。
「みんなが『天才』だと言っているのは、本当は俺じゃないのかもしれない」
重い沈黙が室内を支配した。
成功の代償。
それは、期待という名の重圧だった。
* * *
その夜、俺は一人で王都の街を歩いていた。
人々は俺に気づくと、尊敬の眼差しを向ける。中には頭を下げる者もいる。
「若き天才戦略家」として、俺は既に王都の有名人になっていた。
でも、その視線が俺には重かった。
期待の視線。
信頼の視線。
そして、失敗を許さない視線。
街角のカフェに入り、一人でコーヒーを飲んでいると、隣のテーブルの会話が聞こえてきた。
「レオン・グレイって本当にすごいよな」
「国を救った英雄だからな」
「でも、まだ若いのに大丈夫かな」
「天才なら問題ないだろう」
天才。
またその言葉だ。
俺は天才なのだろうか。
確かに、最近の成功は目覚ましい。
でも、それは本当に俺自身の力なのか。
『マスター、考えすぎです』
アルフィが静かに語りかけてきた。
『あなたは確実に成長しています』
「成長……」
俺は呟いた。
「でも、その成長は君のサポートがあってこそじゃないのか?」
『それは違います』
アルフィの声には確信があった。
『私は情報を提供するだけです。それを統合し、最適解を見つけるのはあなたの能力です』
『特に直感的判断は、私には不可能な領域です』
アルフィの言葉を聞いていて、俺は少し心が軽くなった。
確かに、三国協定の決断は俺自身のものだった。
データに反して直感を選択したのは、紛れもなく俺の決断だった。
でも、それでも不安は残る。
次の大陸諸国連合の案件は、今までとは桁が違う。
本当に俺にできるのだろうか。
カフェを出て、夜の街を歩き続けていると、見慣れた人物に遭遇した。
「レオン?」
エリーゼだった。
「こんなところで何を?」
「君もか」
俺は苦笑した。
「考え事で眠れなくて」
「私も同じよ」
彼女は俺の隣に歩いてきた。
「あなたが不安なら、私たちも不安になる」
「すまない」
「謝らないで」
エリーゼは俺を見つめた。
「あなたの不安は理解できる。でも、一つだけ言わせて」
「何だ?」
「あなたは、確実に変わった」
彼女の声には確信があった。
「半年前のあなたと、今のあなたは明らかに違う」
「どう違う?」
「自信を持って決断を下せるようになった。仲間を信頼し、仲間に信頼されるようになった」
エリーゼは続けた。
「そして何より、人のために戦えるようになった」
人のために戦う。
確かに、俺の動機は変わっていた。
最初は復讐だった。理不尽な追放への怒りだった。
でも今は、社会をより良くしたいという想いが強い。
「それは成長じゃないの?」
エリーゼが問いかけた。
俺は考えた。
確かに、俺は変わった。
能力的にも、精神的にも。
アルフィのサポートはあるが、それを活用するのは俺自身の判断だ。
「そうかもしれない」
俺は少し気持ちが楽になった。
「でも、期待に応えられるか不安だ」
「一人で背負い込む必要はないわ」
エリーゼが微笑んだ。
「私たちがいる」
仲間。
そうだ、俺は一人じゃない。
エリーゼ、マルクス、リリア、そしてアルフィ。
素晴らしいチームがある。
「ありがとう」
俺は心から感謝した。
「君たちがいるから、俺は戦える」
* * *
翌朝、執務室に集まったチーム全員で、大陸諸国連合の案件について話し合った。
「確かに規模は大きい」
マルクスが資料を見ながら言った。
「でも、基本的なアプローチは同じだ」
リリアも同意した。
「複雑な問題を要素分解して、段階的に解決していく」
「政治的な調整も、これまでの経験が活かせる」
エリーゼが戦略的視点から分析した。
『マスター、チーム全体のスキルは確実に向上しています』
アルフィも肯定的な評価を下した。
『大陸諸国連合の案件も、十分対応可能です』
仲間たちの言葉を聞いていて、俺の不安は少しずつ和らいでいった。
確かに、俺たちは成長している。
個人としても、チームとしても。
「よし」
俺は決意を固めた。
「大陸諸国連合の案件、全力で取り組もう」
「もちろんよ」
エリーゼが力強く答えた。
「私たちなら必ずできる」
成功による重圧は確かにある。
でも、それ以上に強いのは、仲間との絆だった。
俺は一人で戦っているわけじゃない。
素晴らしいチームと共に、より大きな目標に向かって進んでいる。
それが、俺に新たな勇気を与えてくれた。
* * *
午後になって、俺は一人で考える時間を作った。
成功の代償について、もう一度整理してみたかった。
確かに、最近の成功は目覚ましい。
でも、それに伴う責任と期待は、時として俺を押し潰しそうになる。
『マスター、質問があります』
アルフィが静かに話しかけてきた。
『なぜ、成功を恐れるのですか?』
興味深い質問だった。
「恐れているのか?」
『はい。データ的には大成功を収めているのに、あなたは不安を感じている』
アルフィの指摘は的確だった。
俺は成功を恐れている。
より正確に言えば、成功に伴う期待を恐れている。
「失敗への恐怖かもしれない」
俺は正直に答えた。
「みんなが俺に期待している。でも、その期待に応えられなかったら……」
『失敗を恐れることは、自然な感情です』
アルフィが慰めるように言った。
『しかし、失敗を恐れるあまり挑戦をやめてしまうのは、より大きな失敗です』
アルフィの言葉が、俺の心に深く響いた。
今夜のエリーゼとの会話を思い返す。仲間たちの温かい信頼を感じた瞬間、胸の奥で何かが溶けていくような感覚があった。俺は一人ではない。失敗したとしても、支えてくれる人たちがいる。
そして何より、今日の直感的判断の成功が教えてくれたことがある。俺にも、アルフィとは違う独自の価値がある。データでは測れない、でも確実に存在する「何か」が。
不安を完全に消すことはできない。でも、その不安と共に歩んでいけばいい。完璧でなくても、仲間と一緒なら乗り越えられる。
「そうだな」
俺は気持ちを整理した。
「失敗を恐れずに、挑戦し続けることが大切だ」
『その通りです』
アルフィが同意した。
『そして、あなたには仲間がいます。一人で背負う必要はありません』
仲間の存在。
それが、俺にとって最大の支えだった。
エリーゼの政治的洞察力、マルクスの技術的専門性、リリアの論理的思考力。
そして、アルフィの情報分析能力。
このチームがあれば、どんな困難も乗り越えられる。
『マスター、一つ提案があります』
アルフィが新しいアイデアを提示してきた。
『今後の案件では、より体系的にチームワークを活用してはどうでしょう』
「体系的に?」
『はい。各メンバーの専門性を最大限に活かし、かつ効率的に統合する方法です』
アルフィの提案は興味深かった。
確かに、これまではある程度場当たり的だった部分もある。
より計画的にチームの力を活用できれば、成功確率も上がるだろう。
「詳しく聞かせてくれ」
『例えば、最初の情報収集はリリアと私が担当、政治的分析はエリーゼ、技術的検証はマルクス、最終的な統合判断はあなた』
『このように役割を明確化することで、効率と品質の両方を向上させられます』
なるほど、理にかなっている。
「いいアイデアだ」
俺は賛同した。
「チーム全体で話し合ってみよう」
新しい協力体制の始まりだった。
個人の能力の限界を、チームワークで超えていく。
それが、俺たちの新しい戦略になる。
* * *
夕方、チーム全員でアルフィの提案について議論した。
「確かに効率的ね」
エリーゼが提案を評価した。
「これまでも自然にやっていたことを、より体系化するということね」
「俺の技術的専門性も、もっと活かせそうだ」
マルクスも前向きだった。
リリアも同調した。
「論理的な分析は私の得意分野。責任を持って取り組むわ」
全員が新しい協力体制に賛成だった。
「では、大陸諸国連合の案件から、この新体制で臨もう」
俺は決断した。
「みんなの専門性を最大限に活かして、必ず成功させる」
チーム全体に新たな決意が満ちていた。
成功の代償である重圧は確かにある。
でも、それを上回る力が俺たちにはある。
仲間との絆と、それぞれの専門性の融合。
それが、俺たちの真の強さだった。
『素晴らしいチームワークです』
アルフィが満足そうに言った。
『この体制なら、どんな困難な案件も乗り越えられるでしょう』
俺は窓の外を見つめた。
夕日が王都を金色に染めている。
美しい光景だった。
この美しい世界を、もっと良くしたい。
そのためなら、どんな重圧にも耐えられる。
成功の代償は重い。
でも、その重さを分かち合える仲間がいる。
そして、その重さに見合う価値ある目標がある。
「みんな、ありがとう」
俺は心から感謝した。
「君たちがいるから、俺は戦い続けられる」
「私たちも同じよ」
エリーゼが微笑んだ。
「あなたがいるから、私たちも成長できる」
相互の信頼と成長。
それが、俺たちの絆の本質だった。
明日からまた新しい挑戦が始まる。
大陸諸国連合という、史上最大の課題に立ち向かう。
重圧は大きいが、恐れはない。
このチームがあれば、必ず成功できる。
そんな確信が、俺の心にあった。




