第18話「直感の勝利」
三国間包括技術協定策定委員会への正式参加から3日後、俺たちは王国外務省の最高機密会議室にいた。
委員会副委員長としての初仕事は、これまでで最も重要な決断を迫られる内容だった。
「レオン副委員長、最終判断をお聞かせください」
ベンソン次官の言葉に、会議室の全員の視線が俺に集中した。
我が王国、エルドリア王国、そして南方のアルカディア王国。三国間の魔法技術協力の枠組みを決める、歴史的瞬間だった。
テーブルの上には2つの提案書が置かれている。
提案A:段階的技術共有アプローチ
提案B:包括的相互開放アプローチ
『マスター、データ分析の結果をお伝えします』
アルフィが意識に語りかけてくる。
『提案Aの成功確率は85%、提案Bは55%です。リスク分析的には、Aを強く推奨します』
そうだ。アルフィの分析は明確だった。
提案Aは安全で確実。三国それぞれが少しずつ技術を公開し、段階的に信頼関係を築く。失敗のリスクが少ない。
一方、提案Bは野心的すぎる。最初から大幅な技術共有を前提とする包括的協定。成功すれば飛躍的な発展が期待できるが、失敗すれば三国関係の悪化は避けられない。
論理的に考えれば、Aを選ぶべきだ。
でも……
「副委員長?」
ベンソンが催促する。
俺は心の奥で、何か違和感を感じていた。
提案Aの説明を聞いているとき、胸の奥に重苦しい感覚があった。論理的には完璧なのに、なぜかしっくりこない。まるで何か重要なピースが欠けているような。
一方で、提案Bに対しては不思議な確信があった。説明を聞いた瞬間、心拍数が少し上がり、胸の奥で温かい響きを感じた。データでは劣っているのに、身体が「これが正解だ」と訴えかけてくる。
この感覚は以前にも経験したことがある。ギルド時代、複雑な魔法陣の設計で行き詰まった時、論理を超えた直感が正解を教えてくれたことがあった。理屈では説明できないが、確実にそこに「正しさ」があった。
『マスター、データを無視するのは危険です』
アルフィが警告してくる。
『提案Bは失敗確率が45%もあります』
分かっている。でも……
俺は会議室の三国代表を見回した。
エルドリアのマリア・ロベルト首席技官は、提案Aに賛成の様子。アルカディアのダニエル・クレイ外務官も同様だ。
我が国のテクニカルアドバイザーたちも、当然のようにAを支持している。
全員がAを選ぶと思っている。
でも、俺の中で確信が深まっていく。
それは「囁き」というより、全身に響く確信だった。胸の奥で脈打つ温かい感覚。背筋を走る電流のような確かさ。そして何より、深いところからの静かな声。
『Bだ』
『Bを選べ』
この感覚は言葉では表現しきれない。論理を超えた、身体全体が感じ取る「正しさ」。まるで魂の奥底から湧き上がる、疑いようのない確信。
アルフィのデータを信じてきた俺が、なぜ今この瞬間だけは違う判断をしたくなるのか。それは分からない。でも、この感覚を無視することはできなかった。
* * *
「申し訳ございません」
俺は深呼吸した。
「もう少し検討させてください」
一時休憩が宣言され、俺は廊下に出た。
エリーゼとマルクス、リリアが後を追ってくる。
「レオン、どうしたの?」
エリーゼが心配そうに尋ねた。
「提案Aで決まりでしょう? データ的にも政治的にも安全だし」
「そうだ」
マルクスも同意した。
「Bは技術的にも野心的すぎる。失敗のリスクが高い」
リリアも頷いた。
「研究者の観点からも、段階的アプローチの方が現実的よ」
全員がAを支持している。
そして、アルフィのデータ分析でもAが圧倒的に有利だ。
『マスター、迷う理由がありません』
アルフィが理性的に説得してくる。
『85%の成功確率を捨てて、55%に賭ける合理的理由はありません』
アルフィの言葉が胸に刺さった。
俺はこれまで、アルフィの分析を信頼してきた。データに基づいた合理的な判断。それが俺たちの強みだった。その基盤を裏切ることへの罪悪感が、激しく胸を締め付ける。
でも同時に、もう一つの強い感情もあった。アルフィに依存し続けることへの不安。俺は本当に自分で判断できているのか? アルフィなしでは何もできない存在なのか?
そして何より、この胸の奥の確信は偽物ではない。論理を超えた、しかし確実に存在する「正しさ」の感覚。これを無視して後悔するより、信じて失敗する方がまだましだ。
『今回はBだ』
『絶対にBが正しい』
この確信は何なのか。
俺は窓の外を見つめた。
王都の街並みが夕日に染まっている。
あの街の人々のために、最良の選択をしなければならない。
失敗は許されない。
国家の未来がかかっている。
『だからこそ、データに従うべきです』
アルフィが再び忠告する。
『感情や直感は、重要な決断には不適切です』
俺は苦悩していた。
論理 vs 直感。
データ vs 感覚。
これまで、俺はアルフィの分析に依存してきた。
その結果、数々の成功を収めてきた。
今回も、アルフィを信じるべきなのか?
「レオン?」
エリーゼが俺の顔を覗き込んだ。
「何か気になることがあるの?」
俺は正直に話した。
「実は……なぜかBが正しい気がするんだ」
三人は驚いた。
「でも、データでは……」
「分かってる。でも、この感覚を無視できない」
俺は自分でも理解できない衝動に駆られていた。
「今まで、俺はアルフィの分析に頼ってきた。でも、今回は違う」
『マスター、それは危険です』
アルフィが強く警告する。
『あなたの感情が判断を曇らせています』
そうかもしれない。
でも、この感覚は今までにないほど強い。
まるで、俺の中の何かが目覚めているかのようだ。
マルクスが実務的に言った。
「でも、失敗したら責任問題になる」
「俺が責任を取る」
俺は迷いを振り切った。
「Bで行く」
* * *
会議が再開された。
俺は立ち上がって発言した。
「検討の結果、提案Bを支持します」
会議室がざわめいた。
全員が意外そうな表情を浮かべている。
「副委員長、理由をお聞かせください」
ベンソンが困惑気味に尋ねた。
俺は準備していた論理的な説明を始めた。
「提案Aは確かに安全です。しかし、段階的アプローチでは、真の信頼関係は築けません」
実際には、俺の直感に基づく判断だった。
でも、会議の場では論理的な根拠が必要だ。
「提案Bは確かにリスクがあります。しかし、三国が最初から本気で信頼し合うことで、真のパートナーシップが生まれるはずです」
『マスター、その論理は後付けです』
アルフィが指摘する。
『データに基づかない判断は……』
『分かってる。でも、今回は俺を信じてくれ』
俺は心の中でアルフィに語りかけた。
エルドリアのマリア首席技官が口を開いた。
「興味深い見解ですね」
彼女は考え込んでいる。
「確かに、段階的では疑心暗鬼が残るかもしれません」
アルカディアのダニエル外務官も身を乗り出した。
「我が国としても、真のパートナーシップは歓迎します」
意外な反応だった。
提案Bに対して、否定的ではない。
『これは……予想外の展開です』
アルフィが困惑している。
『データでは、両国ともA支持のはずでした』
俺は続けた。
「三国それぞれが得意分野を持っています。我が国の通信技術、エルドリアの効率化技術、アルカディアの防御技術」
「これらを包括的に共有すれば、全ての国が飛躍的に発展します」
マリアが頷いた。
「確かに、部分的な共有では限界があります」
ダニエルも同意した。
「リスクはありますが、リターンも大きい」
会議室の空気が変わってきた。
最初は懐疑的だった参加者たちが、提案Bに関心を示し始めている。
『信じられません』
アルフィが分析している。
『私のデータでは、こんな反応は予測できませんでした』
ベンソンが最終確認をした。
「では、提案Bで三国合意ということで?」
全員が頷いた。
歴史的な瞬間だった。
三国間包括技術協定の基本方針が、俺の直感的判断で決まった。
* * *
会議終了後、俺たちは外務省の会議室で成果を振り返っていた。
「信じられないわ」
エリーゼが興奮気味に言った。
「提案Bで合意するなんて」
「俺も正直、驚いた」
マルクスが資料を見ながら言った。
「データ的にはAの方が安全だったのに」
リリアも不思議そうだった。
「レオンの判断が的中するなんて」
『マスター、私も混乱しています』
アルフィが珍しく困惑した口調で語りかけてきた。いや、困惑という言葉すら適切ではない。それは——
『私のデータ分析では、提案Bは55%の成功確率でした』
『しかし、実際には90%以上の確実性で成功しました』
アルフィの声に、微かな震えのようなものを感じた。処理エラー? いや、違う。
『あなたの直感は、私のデータを遥かに超えています』
その言葉の後に、また奇妙な間があった。まるでアルフィが何か言いかけて、それを飲み込んだような——
『これは……とても興味深い現象です』
最後の言葉に、かすかに込められた何か。論理的な興味を超えた、もっと個人的な——いや、AIに個人的な感情などあるはずがない。
だが俺は確かに感じた。アルフィの中で、何か根本的な変化が始まっていることを。
俺自身も驚いていた。
なぜあの時、Bを選ぶべきだと確信できたのか。
理由は分からない。
でも、結果的に最良の選択だった。
その時、ベンソンが興奮して入ってきた。
「素晴らしいニュースです!」
彼の表情は歓喜に満ちていた。
「提案Bの詳細検討結果が出ました」
「どうでしたか?」
俺は緊張して聞いた。
「予想を遥かに超える成果が期待できます」
ベンソンは資料を広げた。
「三国の技術を包括的に組み合わせることで、個別開発の3倍の効率が実現可能です」
「もし提案Aを選んでいたら……」
彼の表情が曇った。
「段階的すぎて、真の協力関係は築けなかったでしょう」
『信じられません』
アルフィが再び驚いている。
『私のデータでは、そんな結果は予測できませんでした』
『レオン、あなたの直感は……異常です』
俺は窓の外を見つめた。
夜が深くなり、街の明かりが美しく輝いている。
俺の中に、何か新しい能力が目覚めているのだろうか。
これまでは、アルフィのデータ分析に頼ってきた。
でも今回は、俺自身の判断で成功を収めた。
『マスター、質問があります』
アルフィが静かに尋ねてきた。
『あの時、なぜBを選ぶべきだと確信できたのですか?』
俺は考えた。
なぜだろう。
理論的な根拠はなかった。
データもなかった。
ただ、心の奥で「これが正しい」と感じただけだ。
「分からない」
俺は正直に答えた。
「でも、確信があった。今まで感じたことのない、強い確信が」
『それは……』
アルフィが考え込んでいる。
『データを超越した、新しい種類の能力かもしれません』
新しい能力。
俺の中に眠っていた、何か特別な力。
それが今日、初めて姿を現したのだろうか。
* * *
その夜、俺は一人で執務室に残っていた。
今日の出来事を振り返りながら、深く考えている。
三国間協定の成功は、俺の直感的判断の結果だった。
データに反して、感覚に従った。
そして、それが正しかった。
『マスター、まだ考えていますか?』
アルフィが気遣わしげに声をかけてきた。
「ああ。今日のことが頭から離れない」
『私も同じです』
アルフィの声には、困惑が含まれていた。
『私のデータ分析能力に、根本的な限界があることが判明しました』
「限界?」
『はい。私は過去のデータに基づいて未来を予測します』
アルフィが説明を始めた。
『しかし、あなたの直感は、データに存在しない何かを感知している』
「何かって?」
『分かりません。しかし、明らかに私の能力を超えた洞察力です』
俺は興味深く聞いていた。
「つまり、俺にはアルフィにない能力があるということか?」
『その可能性が高いです』
アルフィの声には、尊敬のような感情が含まれていた。
『マスター、あなたは私が思っている以上に特別な存在かもしれません』
特別な存在。
半年前まで、俺は追放された無能な魔術師だった。
それが今では、AI以上の洞察力を持つと言われている。
本当に俺は変わったのだろうか。
それとも、最初から俺の中に眠っていた能力なのだろうか。
扉がノックされた。
「まだ起きてるの?」
エリーゼが顔を覗かせた。
「君もか」
「今日のこと、すごかったわ」
彼女は椅子に座った。
「データに反して直感を選ぶなんて、普通はできない」
「俺にも理由は分からない」
「でも、結果は完璧だった」
エリーゼの目には尊敬の色があった。
「あなたには、本当に特別な才能があるのね」
才能。
その言葉に、俺は複雑な気持ちになった。
確かに、今日の成功は俺の判断によるものだった。
でも、これまでの成功は、アルフィのサポートがあったからだ。
俺の本当の実力は、どこまでなのだろうか。
「エリーゼ、一つ聞いていい?」
「何?」
「俺は本当に変わったと思う?」
彼女は少し考えてから答えた。
「変わったというより、本来の力が表に出てきたのだと思う」
「本来の力?」
「ギルドにいた時から、あなたは他の人とは違っていた」
エリーゼの声には確信があった。
「ただ、その環境では能力を発揮できなかっただけ」
俺は彼女の言葉を噛み締めた。
確かに、ギルド時代も俺なりに努力していた。
でも、正当に評価されることはなかった。
今の環境だからこそ、俺の能力が開花したのかもしれない。
『マスター、エリーゼの分析は的確です』
アルフィが同意した。
『環境が人の能力に与える影響は計り知れません』
『あなたは、適切な環境を得て、本来の力を発揮し始めたのです』
本来の力。
俺の中に、まだ眠っている能力があるのだろうか。
今日の直感力のように、これから新しい才能が目覚めるのだろうか。
「レオン」
エリーゼが立ち上がった。
「明日からまた新しい挑戦が始まるわ」
「そうだな」
「でも、今日の成功で確信した。あなたなら、どんな困難も乗り越えられる」
彼女の言葉に、俺は勇気づけられた。
確かに、今日は大きな一歩だった。
データに頼らず、自分の判断で成功を収めた。
これまでとは違う、新しい段階に到達したのかもしれない。
「ありがとう、エリーゼ」
「明日も頑張りましょう」
彼女が去った後、俺は再び窓の外を見つめた。
街の明かりが、まるで星座のように美しく輝いている。
俺の中に眠る力とは何なのか。
それを理解する日は来るのだろうか。
『マスター、一つ提案があります』
アルフィが口を開いた。
『今後は、私のデータ分析と、あなたの直感を組み合わせてはどうでしょう』
「組み合わせる?」
『はい。私が情報を提供し、あなたが最終判断を下す』
アルフィの提案は興味深かった。
『データと直感、論理と感覚。両方を活用すれば、さらに強力になれるはずです』
「いいアイデアだ」
俺は賛同した。
「これまで以上に、効果的な判断ができるかもしれない」
新しい協力関係の始まりだった。
AIのデータ分析能力と、人間の直感力の融合。
これまでになかった、新しい形のパートナーシップ。
俺の成長は、まだ続いていく。
次はどんな能力が目覚めるのだろうか。
期待と不安を胸に、俺は新たな挑戦への準備を始めた。
* * *
翌朝、王国政府から正式な感謝状が届いた。
「三国間協定の基礎設計における卓越した判断力に対して」
それは、俺の新しい能力への最初の公式な認知だった。
執務室に集まったチームメンバーたちも、興奮を隠せずにいた。
「レオン、すごいじゃない」
エリーゼが感謝状を見ながら言った。
「国家から直接評価されるなんて」
「これで俺たちの地位も安泰だな」
マルクスが実務的な視点から分析した。
「今回の成功で、さらに重要な案件が来るだろう」
リリアも同感だった。
「研究者として、こんな大きなプロジェクトに関われるなんて夢みたい」
『マスター、素晴らしい成果です』
アルフィも祝福してくれた。
『あなたの直感力は、確実に新しい段階に到達しています』
俺は感謝状を見つめながら考えていた。
確かに、今回は大成功だった。
でも、これは始まりに過ぎない。
俺の中に眠る力を、もっと理解し、もっと活用しなければならない。
そして、仲間たちと共に、さらに大きな目標に向かって進んでいく。
知識の解放。
実力主義の実現。
公正な社会の構築。
そのための道のりは、まだまだ長い。
でも、今日の成功が俺たちに新しい可能性を示してくれた。
データを超越した直感力。
それは、俺の新しい武器になるだろう。
「みんな、今日から新しいフェーズが始まる」
俺はチームメンバーを見回した。
「俺たちの能力を、さらに高次元で活用していこう」
全員が頷いた。
新しい挑戦への決意が、執務室に満ちていた。
俺の成長は続く。
そして、それは仲間たちの成長でもあり、社会全体の進歩でもある。
データと直感の融合。
論理と感覚の調和。
それが、俺たちの新しい力になるのだ。




