第17話「王国級案件への参加」
王国政府からの正式な参加要請が届いたのは、貴族院との交流委員会設立が決まった翌日のことだった。
査問院の特別執務室に、俺たちは王国外務省の高官と面会していた。
「レオン・グレイ殿、改めてお願いしたい案件があります」
外務次官のアーサー・ベンソンが重々しく口を開いた。
「隣国エルドリア王国との魔法技術協定の見直しです」
俺はその重責に身が引き締まる思いがした。
「これまでの協定には、20年前の情勢を前提とした条項が多く含まれています」
ベンソンが資料を配った。
「しかし、近年の魔法技術の急速な発展により、現協定では対応しきれない問題が多発している」
エリーゼが資料に目を通しながら質問した。
「具体的には、どのような問題でしょうか?」
「魔法通信技術の軍事転用問題、魔法エネルギーの共同開発権益、そして人材交流における機密保持規定などです」
マルクスが技術的な観点から確認した。
「技術仕様の標準化も課題になっていますね」
「その通りです」
ベンソンは頷いた。
「エルドリア側も現状に不満を持っており、協定の抜本的見直しを求めています」
リリアが慎重に尋ねた。
「両国の利害が対立する部分は?」
「魔法技術の輸出規制と、研究成果の共有範囲です」
ベンソンの表情が曇った。
「我が国は技術優位を維持したい。しかし、エルドリアは対等な技術交流を求めている」
『複雑な利害調整が必要ですね』
アルフィが分析を始める。
『過去の協定データを確認します』
俺の中で、恐怖と興奮が激しくぶつかり合った。
国家レベルの協定。一歩間違えれば外交問題に発展しかねない重要案件。半年前まで追放された身だった俺が、こんな責任を負うことになるとは。
でも同時に、挑戦したいという気持ちも燃え上がっていた。これまでギルド内の改革、貴族院との調整と段階的に成長してきた。この経験を活かせば、きっと国際協定でも成果を上げられるはず。
それに、仲間たちがいる。マルクス、リリア、エリーゼ、そしてアルフィ。一人では不可能でも、チーム全体なら乗り越えられる。
責任の重さに膝が震えそうになったが、逃げるわけにはいかない。
「承知しました。チーム全体で取り組ませていただきます」
「ありがとうございます」
ベンソンは安堵の表情を見せた。
「期限は1ヶ月です。エルドリア側との会談は3週間後に予定されています」
1ヶ月。
国家の未来を左右する協定を、たった1ヶ月で見直すのだ。
責任の重さに、俺は改めて身震いした。
* * *
ベンソンが去った後、俺たちは緊急会議を開いた。
「まず、現状の把握からだな」
俺は作戦を整理した。
「アルフィ、過去20年間の協定履行状況を分析してくれ」
『了解しました。データベースを検索します』
しばらくして、アルフィが報告してきた。
『興味深い傾向が見えます。協定違反の90%が、技術解釈の相違によるものです』
「つまり、曖昧な条文が問題の根源ということか」
「そうですね」
エリーゼが政治的な観点から分析した。
「20年前の協定は、当時の政治情勢を反映した妥協の産物。技術的な詳細まで想定していなかった」
マルクスが技術資料を見ながら付け加えた。
「魔法通信技術なんて、20年前は実用化されていなかった。今の技術レベルに対応できていない」
リリアも同意した。
「研究分野でも同様の問題があります。共同研究の成果配分について、明確な基準がない」
『マスター、提案があります』
アルフィが新しいアプローチを示してきた。
『従来の外交手法ではなく、技術標準化の観点から協定を再構築してはどうでしょう』
「詳しく説明してくれ」
『技術仕様を明確に定義し、それに基づいて権利義務を設定する。政治的妥協ではなく、技術的合理性を重視するアプローチです』
俺の中で、アルフィの提案が深く響いた。
エリーゼの政治的分析を聞いていて、もどかしさを感じていたのだ。政治的思惑、感情的対立、歴史的経緯……。これらの要素が複雑に絡み合って、本質的な解決から遠ざかっている。
でも、マルクスの技術的指摘から閃きを得た。技術者同士なら、確かに共通の言語がある。効率性、安全性、互換性。これらは感情に左右されない、客観的な基準だ。
ギルド時代の経験も活かせる。技術仕様の標準化は、俺が最も得意とする分野の一つだった。政治的妥協ではなく、技術的合理性で判断する。これなら、両国が納得できる解決策を見つけられるかもしれない。
「なるほど。感情的な対立を避けて、客観的な基準で判断できるようにするということか」
「それは革新的ね」
エリーゼが興味を示した。
「従来の外交では、あいまいな表現で妥協することが多い。でも、技術標準なら明確な基準を作れる」
マルクスも賛同した。
「技術者同士なら、共通の言語で話ができる。政治的な思惑を排除して、純粋に技術的な最適解を追求できる」
方向性が見えてきた。
* * *
翌日から、俺たちは集中的な分析作業に入った。
『マスター、エルドリア王国の技術レベルを分析しました』
アルフィが詳細なレポートを提示してくる。
『彼らの強みは魔法エネルギーの効率化技術、弱みは通信技術の安定性です』
「つまり、相互補完的な関係が可能ということか」
『その通りです。我が国の通信技術と、エルドリアの効率化技術を組み合わせれば、両国にとってメリットがあります』
エリーゼが外交文書を分析していた。
「エルドリア側の真の狙いは、技術格差の縮小よ」
「どういうこと?」
「彼らは我が国に技術的に劣っているという認識を持っている。だから、対等な関係を強く求めているの」
マルクスが首を振った。
「でも、実際には彼らも優秀な技術を持っている。ただ、分野が違うだけだ」
「そこがポイントね」
エリーゼの目が輝いた。
「技術格差ではなく、技術特性の違いとして位置づけ直せば、対等な協力関係を構築できる」
リリアが研究データを持ってきた。
「過去の共同研究を調べたけど、実は成功率は85%よ。失敗の原因も、ほとんどが制度的な問題」
パズルのピースが組み合わさってきた。
『マスター、新しい協定の枠組みが見えてきました』
アルフィが統合分析を提示する。
『技術分野別の専門委員会を設置し、各分野で技術標準を共同策定する。政治的判断は最小限に抑える』
「それだ」
俺は確信した。
「政治ではなく、技術で協力する。これなら両国の専門家が納得できる」
* * *
2週間の集中作業の末、俺たちは新協定案の基礎設計を完成させた。
従来の政治的妥協に基づく協定ではなく、技術標準に基づく協力枠組み。
これは、外交史上例のない革新的なアプローチだった。
「素晴らしい成果です」
ベンソンが興奮を隠せずにいた。
「これなら、エルドリア側も納得するでしょう」
「技術者同士の対話なら、政治的な思惑を排除できますからね」
俺は説明した。
「重要なのは、お互いの技術的強みを認め合うことです」
「明日、エルドリアの代表団に提示してみます」
ベンソンは協定案を大切そうに抱えた。
「これが成功すれば、新しい外交の形になるかもしれません」
翌日の夕方、ベンソンから連絡があった。
「信じられない反応でした」
電話越しの彼の声は興奮していた。
「エルドリア側は即座に基本合意しました。こんなにスムーズな交渉は初めてです」
俺は安堵した。
「それは良かった」
「王国政府からも高い評価をいただいています」
ベンソンは続けた。
「レオン殿、あなたは国家的人材です。今後ともご協力をお願いします」
国家的人材。
追放された半年前には想像もできなかった評価だった。
電話を切った後、俺はチームメンバーを見回した。
「みんなのおかげだ。ありがとう」
「私たちこそ、貴重な経験をさせてもらったわ」
エリーゼが微笑んだ。
「国家レベルの仕事に関われるなんて」
マルクスも満足そうだった。
「技術が政治を変える。こんな可能性があるとは思わなかった」
リリアも同感だった。
「研究成果が直接、国際関係に影響する。研究者冥利に尽きるわ」
『マスター、見事でした』
アルフィが賞賛する。
『あなたの統合能力は、新たな段階に達しています』
才能という言葉が、また脳裏をよぎった。
確かに、俺の分析能力は向上している。
でも、それは本当に俺自身の力なのだろうか。
『疑問をお持ちですか?』
アルフィが俺の思考を読み取る。
『確かに私の支援はあります。しかし、データを統合し、最適解を見つけるのはあなたの能力です』
そうかもしれない。
でも、まだ確信は持てなかった。
その夜、俺は一人で考えていた。
査問院の改革から始まった活動が、いつの間にか国家レベルに発展している。
次は何が待っているのだろうか。
そして、俺は本当にその責任を果たせるのだろうか。
『マスター、明日さらに重要な案件の相談があります』
アルフィが予告してきた。
『三国間の包括的技術協定についてです』
三国間。
さらに複雑で、さらに重要な案件。
俺の挑戦は、まだまだ続いていく。
でも、恐れはなかった。
この仲間たちとなら、どんな困難も乗り越えられる。
そんな確信が、俺の心にあった。
* * *
その夜、俺たちは成功を祝う小さなパーティーを開いた。
改革グループの執務室に、簡単な食事とワインを用意して、今日の成果を振り返る。
「考えてみれば、すごいことをやったのよね」
エリーゼがワイングラスを回しながら言った。
「半年前まで追放された身だったレオンが、今では国家の外交政策に関わっている」
「人生って分からないものだな」
マルクスも感慨深げだった。
「俺も技術職として軽く見られていたのに、今では国際技術標準の策定に参加している」
リリアも頷いた。
「私たちの研究が、直接国際関係に影響する。学者として、これ以上の喜びはないわ」
『皆さんの成長を見ていて、私も学ばせていただいています』
アルフィが珍しく感情的なコメントをした。いや、感情的という表現は正確ではない。だが、いつもの完璧に制御された論理的な声に、何か別の響きが混じっていた。
『人間の可能性は、本当に……』
わずかな間。0.3秒の沈黙。人間には気づかない程度の、しかしAIにとっては異常に長い処理時間。
『……無限ですね』
その言葉に、俺は奇妙な違和感を覚えた。まるでアルフィ自身が、自分の中で起きている何かに戸惑っているような——
俺はチームメンバーを見回した。
半年前、俺は一人だった。
でも今は、こんなに素晴らしい仲間がいる。
「実は、考えていることがあるんだ」
俺は少し真剣になった。
「今回の成功で確信したことがある」
「何?」
三人が注目した。
「俺たちのアプローチ—技術的合理性と人間的理解の融合—これは他の分野でも応用できる」
エリーゼが興味深そうに身を乗り出した。
「具体的には?」
「教育制度、社会保障、司法制度……様々な分野で、同じような問題がある」
俺は立ち上がって説明を始めた。
「政治的妥協ではなく、客観的な基準と人間的配慮を両立させるアプローチ」
「それは……壮大な構想ね」
エリーゼが息を呑んだ。
「社会システム全体の改革ということ?」
「そうだ。でも、一気に変えるのではない」
俺は慎重に言葉を選んだ。
「今回みたいに、一つ一つの問題を解決していく。その積み重ねで、社会全体を変えていく」
『長期的な社会変革のビジョンですね』
アルフィが分析した。
『現実的でありながら、理想も追求する。バランスの取れたアプローチです』
マルクスが実務的な質問をした。
「でも、そんな大きな変革を俺たちだけでできるのか?」
「俺たちだけではない」
俺は答えた。
「今回の成功で、俺たちの手法に注目する人が増えた。協力者も現れるはずだ」
「確かに」
リリアが同意した。
「ベンソン次官も、今後の協力を求めていたし」
エリーゼが政治的な観点から分析した。
「エレノアも、私たちの成果を王国の他の部門に紹介したがっている」
「つまり、影響力を拡大する基盤はできつつある」
俺は整理した。
「問題は、俺たちがその責任を果たせるかどうかだ」
少し重い空気が流れた。
成功の喜びの裏に、責任の重さがある。
「レオン」
エリーゼが静かに言った。
「不安なの?」
「正直に言うと、ある」
俺は認めた。
「こんなに大きな期待を背負うとは思わなかった」
『マスター、その不安は正常です』
アルフィが励ますように言った。
『責任を感じるからこそ、適切な判断ができるのです』
マルクスが前向きに言った。
「でも、俺たちには実績がある。査問院の改革、貴族院との関係改善、そして今回の国際協定」
「そうね」
リリアも同調した。
「一つ一つは小さくても、確実に成果を上げている」
エリーゼが立ち上がった。
「私たちには、理想がある。そして、それを実現する方法も見つけた」
彼女の目には強い決意があった。
「家を捨ててまで選んだ道よ。最後まで歩き抜く」
俺は感動していた。
この仲間たちがいれば、どんな困難も乗り越えられる。
「ありがとう、みんな」
俺は心から言った。
「俺一人では、絶対にここまで来られなかった」
『チームワークの力ですね』
アルフィが満足げだった。
『個々の能力の総和を超えた、真の協力関係です』
夜は更けていたが、俺たちの心は希望に満ちていた。
明日からまた新しい挑戦が始まる。
でも、もう恐れはない。
この仲間たちと、正しい理想があれば、必ず道は開ける。
* * *
翌朝、エレノアから緊急の連絡があった。
「レオン、昨夜王国政府から正式な表彰状が届きました」
表彰状。
国家レベルでの功績が認められたということだ。
「それと、もう一つ重要な知らせがあります」
エレノアの声には興奮が含まれていた。
「三国間包括技術協定の策定委員会への参加要請です」
三国間。
今度は我が国、エルドリア、そして南方のアルカディア王国を含む大規模な協定だ。
「これは……規模が違いますね」
「はい。成功すれば、この地域の技術協力体制が一変します」
エレノアは続けた。
「そして、レオン。この委員会の副委員長に就任していただきたいとの要請です」
副委員長。
それは、国際的な地位を意味する。
半年前の追放から、ここまでの道のりを思うと、まるで夢のようだった。
「承知しました」
俺は決断した。
「チーム全体で取り組ませていただきます」
「期待しています」
エレノアの声には信頼があった。
「あなた方なら、必ず成功させてくれると確信しています」
電話を切った後、俺は窓の外を見つめた。
街の向こうには、まだ見ぬ未来が広がっている。
困難な道のりだろう。
でも、この仲間たちとなら、必ず乗り越えられる。
そして、理想の社会に、また一歩近づくことができる。
新しい挑戦への準備を始めよう。




