第16話「複雑な政治問題」
改革委員会第二回会議が開催されたのは、前回から一週間後のことだった。
特別会議室に集まった7名の委員の表情は、前回とは明らかに異なっていた。
前回の成功で得た自信と、今回の議題の複雑さを感じ取った緊張が入り混じっている。
「本日の議題は『ギルドと貴族院の関係改善』です」
エレノアが重々しく口を開いた。
「これは、前回の男女格差問題よりもはるかに複雑な政治問題です」
会議室に重い空気が流れた。
グレゴリー・ストーンが苦い顔をした。
「貴族院との関係は300年来の課題です。簡単に解決できるとは思えませんが」
「だからこそ、新しい視点が必要なのです」
エレノアはエリーゼを見た。
「特に、エリーゼ委員の経験は貴重です」
エリーゼは複雑な表情を浮かべた。
「私の勘当が、むしろ問題を複雑にしているのではないでしょうか」
「いえ、逆です」
俺は割り込んだ。
「エリーゼは内部と外部、両方の視点を持っている。これは貴重な資産です」
『レオンの判断は的確ですね』
アルフィが意識に語りかける。
『複雑な問題には、多角的な視点が不可欠です』
サラ・ミッチェルが資料を見ながら言った。
「具体的には、どのような対立があるのでしょうか?」
エリーゼが説明を始めた。
エリーゼの表情に、深い悲しみが浮かんだ。勘当された痛みと、それでも真実を語らなければならない責任感が交錯している。
「根本的には価値観の対立です」
彼女の声が微かに震えていた。
「貴族院は血統と伝統を重視し、ギルドは実力と革新を重視する。この違いが300年間、様々な摩擦を生んでいます」
俺の胸に、その長い歴史の重みが伝わってきた。
「具体例は?」
ロバート・テイラーが実務的な質問をした。
「魔法技術の特許問題、人材の引き抜き合戦、予算配分の争い……」
エリーゼは淡々と列挙した。
「最近では、ギルドの急速な成長に貴族院が危機感を抱いています」
マーガレット・ウィンザーが考え込んでいた。
「つまり、お互いが相手を脅威と見なしているわけですね」
「その通りです」
俺は分析を整理した。
エリーゼの説明を聞きながら、俺の中で違和感が積み重なっていた。
300年間の対立、お互いを脅威視する構造……。これは俺が追放された時と同じパターンだ。個人的な利害や感情が絡み合って、本来の目的を見失っている。
ギルド時代、俺は同僚との関係で同じ問題を経験した。お互いの実力を認めつつも、根本的に信頼しきれない。その結果、協力ではなく対立が生まれる。
エリーゼの複雑な表情も気になった。彼女自身、この問題の当事者でもある。貴族でありながらギルドとの協力を選んだ彼女の苦悩が、言葉の端々に現れている。
「問題の本質は相互不信だと思います」
『アルフィ、過去のデータを分析してくれ』
俺は心の中でAIに依頼した。
『了解しました。300年間の対立の歴史を検証します』
少し間をおいて、アルフィが報告してきた。
『興味深い傾向が見えます。対立が激化するのは、必ず外的脅威がある時期です』
「なるほど」
俺は理解した。
「外敵がいる時は団結し、平和な時は内部対立する。典型的なパターンですね」
ジョナサン・ブレイクが身を乗り出した。
「では、共通の敵を作れば協力するということですか?」
「いえ、それは根本的解決にはならない」
俺は否定した。
「必要なのは、相互の利益を見つけることです」
* * *
『マスター、分析結果が出ました』
アルフィが詳細なデータを提示してくる。
『過去300年で、協力が成功した事例は3回あります。いずれも段階的信頼構築から始まっています』
俺は立ち上がった。
「皆さん、歴史を見てみましょう」
準備していた資料を配る。
「過去300年間で、ギルドと貴族院が協力できた事例が3回あります」
グレゴリーが興味深そうに資料を見た。
「大魔獣災害の時、異国侵攻の防衛戦、そして疫病対策……」
「共通点は何でしょう?」
俺は問いかけた。
エリーゼが答えた。
「いずれも、まず小さな協力から始まっている」
「そうです。急に大きな協力を求めるのではなく、小さな成功を積み重ねる」
サラが実務的な観点から質問した。
「現在、小さな協力の可能性があるものは?」
エリーゼが考えながら答えた。
「魔法技術の共同研究でしょうか。貴族院には古い知識があり、ギルドには新しい技術がある」
「魔法教育の標準化も可能性があります」
マーガレットが付け加えた。
「娘の件で感じましたが、教育カリキュラムがバラバラなのは問題です」
ロバートが手を挙げた。
「経済面では、魔法技術の輸出促進で協力できるかもしれません」
次々とアイデアが出てきた。
『チームワークが機能していますね』
アルフィが評価する。
『多様な専門知識が統合されています』
俺は議論を整理した。
「つまり、技術、教育、経済の3つの分野で段階的協力が可能ということですね」
「でも、どうやって最初の一歩を踏み出すか」
グレゴリーが現実的な問題を指摘した。
「300年間の不信を、そう簡単には拭えません」
ここで、俺の中で決定的な瞬間が訪れた。
議論が膠着状態に陥っているのを感じていた。みんな問題は理解している。でも、最初の一歩を踏み出す具体的な方法が見えない。この空気を打破しなければ、せっかくの機会が無駄になってしまう。
俺の経験が活かせる場面だった。ギルド内の派閥対立でも、最初は小さな協力から始めることで、徐々に信頼関係を築いていく手法が有効だった。
グレゴリーの現実的な懸念も理解できる。でも、誰かが最初の一歩を提案しなければ、永遠に現状維持のままだ。この責任を取るのが、俺の役割なのかもしれない。
「交流委員会の設立を提案します」
「交流委員会?」
エレノアが聞き返した。
「はい。ギルドと貴族院の代表者による小規模な委員会です」
俺は構想を説明し始めた。
「まず月1回の定期会合から始めます。議題は技術情報の交換や教育方針の相互理解など、対立的でない内容に限定」
「なるほど」
サラが理解した。
「まず顔の見える関係を作るということですね」
「その通りです。お互いを知ることから始める」
エリーゼが懸念を表明した。
「でも、私が委員になれば、貴族院側は反発するのでは?」
「むしろ、それが強みになります」
俺は彼女を見つめた。
「君は両方の世界を知っている。その経験こそが、橋渡しに必要なんです」
『レオンの人材活用法は優秀ですね』
アルフィが賞賛する。
『弱点を強みに変える発想です』
マーガレットが賛同した。
「私も賛成です。対話なくして理解はありません」
ロバートも頷いた。
「商工会としても、両者の協力は経済発展につながります」
グレゴリーは慎重だった。
「しかし、失敗すれば関係はさらに悪化します」
「だからこそ、慎重に設計する必要があります」
俺は詳細な計画を提示した。
「委員は各3名ずつ。議題は事前に合意したもののみ。決定事項は勧告にとどめ、強制力は持たせません」
* * *
2時間の議論の末、交流委員会設立案は承認された。
「では、早速貴族院に打診してみましょう」
エレノアが立ち上がった。
「まず非公式な接触から始めます」
会議終了後、エリーゼが俺に話しかけてきた。
「レオン、本当にうまくいくと思う?」
「100%の保証はない」
俺は正直に答えた。
「でも、何もしなければ確実に現状維持だ」
「そうね……」
エリーゼは窓の外を見つめた。
「私にとって、これは故郷との和解のチャンスでもある」
「君なら大丈夫だ」
俺は確信を込めて言った。
「君の強さを俺は知っている」
『マスター、素晴らしい会議でした』
アルフィが満足そうだった。
『複雑な政治問題を、具体的な行動計画に落とし込むことができました』
その日の夕方、エレノアから連絡があった。
「レオン、貴族院から前向きな返答がありました」
電話越しの彼女の声は興奮を隠せずにいた。
「来月、予備会談を開催することになりました」
「それは素晴らしい」
俺は安堵した。
「ただし、条件があります」
エレノアの声が少し硬くなった。
「あなたに、さらに大きな案件への参加を要請したいと」
「大きな案件?」
「王国レベルの安全保障問題です。隣国との魔法技術協定の見直しに関わってほしいと」
俺は驚いた。
半年前の俺は、ギルドから追放されて絶望していた。それが今では王国レベルの案件に関わることになる。この急激な変化に、正直戸惑いを隠せない。
でも同時に、不思議な達成感もあった。査問院の改革から始まって、ギルドと貴族院の関係改善、そして王国の安全保障。段階的に、しかし確実に、俺の活動範囲が広がっている。
責任の重さに膝が震えそうになる。一歩間違えれば、王国全体に影響を与えかねない。でも、それを恐れて逃げるわけにはいかない。
「それは……責任重大ですね」
「はい。でも、今日の会議を見ていて確信しました」
エレノアの声に確信があった。
「あなたには、複雑な問題を解決する特別な才能がある」
才能、という言葉が再び出た。
『アルフィの支援があるからこそですよ』
俺は心の中で謙遜した。
『いえ、マスター』
アルフィが否定する。
『私はデータを提供するだけです。それを統合し、最適解を見つけるのはあなたの能力です』
俺は深呼吸した。
「承知しました。やらせていただきます」
「ありがとうございます。詳細は明日打ち合わせましょう」
電話を切った後、俺は考えていた。
半年前まで、俺は一介の追放された魔術師だった。
それが今では、王国の政策に関わる立場にいる。
人生とは、本当に予測不可能だ。
でも、一つだけ確かなことがある。
俺には素晴らしい仲間がいる。
そして、正しい目標がある。
どんなに困難な問題でも、必ず解決してみせる。
次の挑戦に向けて、準備を始めよう。
* * *
その夜、俺はチームメンバーと緊急会議を開いた。
王国レベルの案件への参加について相談するためだ。
「すごいじゃない」
エリーゼが興奮気味に言った。
「ついに国家的な舞台に立つのね」
「でも、責任も重くなる」
マルクスが現実的な懸念を示した。
「失敗すれば、これまでの成果も台無しになりかねない」
リリアも慎重だった。
「隣国との協定なんて、専門外よ。大丈夫なの?」
『マスター、彼らの懸念は理解できます』
アルフィが割り込んできた。
『しかし、今回の貴族院問題で、あなたの政治的判断力は証明されました』
俺は仲間たちを見回した。
「確かにリスクは大きい。でも、これは俺たちの改革を次の段階に進める絶好の機会でもある」
「どういうこと?」
エリーゼが聞いた。
「王国レベルで実績を作れば、俺たちの理念をより広く実現できる」
俺は立ち上がって説明した。
「査問院の改革は第一歩だった。でも、本当の目標は社会全体の変革だろう?」
三人は黙って聞いていた。
「知識の解放、実力主義の実現、公正な評価制度。これらを王国全体に広げるチャンスなんだ」
『理想論ですが、現実的でもありますね』
アルフィが評価した。
『段階的に影響力を拡大する戦略は正しいです』
マルクスが口を開いた。
「でも、俺たちに国家レベルの問題を扱う能力があるのか?」
「今日の会議を見ていて確信した」
俺は答えた。
「俺たち一人一人は確かに限界がある。でも、チームとしてなら可能だ」
「どういう意味?」
リリアが問いかけた。
「君は研究者として論理的思考力がある。マルクスは技術者として問題解決能力がある。エリーゼは政治的洞察力がある」
俺は彼らの専門性を整理した。
「そして俺には、それらを統合する能力がある。アルフィの分析支援もある」
『的確な分析ですね』
アルフィが同意した。
『チームとしての総合力は、個々の専門家の単純な和を超えています』
エリーゼが立ち上がった。
「分かったわ。やりましょう」
「エリーゼ……」
「今日の貴族院問題でも、私たちは新しいアプローチを見つけることができた」
彼女の目に決意が宿っていた。
「王国の問題だって、同じように解決できるはず」
マルクスも頷いた。
「確かに、技術的な問題なら俺の知識が役立つかもしれない」
「研究の観点からも参加したい」
リリアも同意した。
「理論的な裏付けは任せて」
俺は感動していた。
半年前、俺は一人だった。
でも今は、こんなに心強い仲間がいる。
『素晴らしいチームワークですね』
アルフィも感動しているようだった。
『このチームなら、どんな困難も乗り越えられるでしょう』
「では、明日からの準備に入ろう」
俺は実務的な話に移った。
「まず、隣国との現在の関係について情報収集が必要だ」
「私、外交関係の資料を集めてみる」
エリーゼが提案した。
「貴族院のコネクションが使えるかもしれない」
「俺は技術協定の内容を調べる」
マルクスが続いた。
「どんな魔法技術が関わっているのか知る必要がある」
「私は過去の協定の成功例と失敗例を研究してみる」
リリアも役割を見つけた。
「パターン分析から最適解を導き出せるかもしれない」
『私は各国の政治・経済データを整理します』
アルフィも参加を表明した。
『多角的な分析材料を提供できます』
準備方針が固まった。
明日からの1週間で、可能な限りの情報を集める。
そして来週、王国の未来を左右するかもしれない協議に参加する。
責任は重いが、やりがいもある。
「最後に一つ」
俺は仲間たちを見回した。
「もし途中で無理だと思ったら、遠慮なく言ってくれ。俺たちは無謀になってはいけない」
「分かった」
三人が同時に答えた。
その夜、俺は一人で星空を見上げていた。
半年前の絶望的な追放から、今日の王国レベル案件への参加まで。
まるで夢のような展開だった。
『感慨深いですか?』
アルフィが静かに聞いてきた。
「ああ。でも、これはまだ始まりに過ぎない」
俺は窓の向こうの街を見つめた。
「本当の目標は、この世界をもっと公正で、もっと自由にすることだ」
『長い道のりですね』
「そうだ。でも、一歩ずつ進んでいけばいい」
『あなたには、それを実現する力があります』
アルフィの言葉に、俺は少し照れた。
「俺一人の力じゃない。チーム全体の力だ」
『謙虚さも、リーダーの重要な資質です』
明日からまた新しい挑戦が始まる。
王国レベルの外交問題。
今までで最も困難な課題かもしれない。
でも、俺には確信がある。
この仲間たちとなら、必ず乗り越えられる。
そして、また一歩、理想の世界に近づくことができる。




