第13話「イレギュラーへの対処」
エレノアとの面談から一週間が経った。
彼女は改革案を「前向きに検討する」と言ってくれたが、正式な返答はまだない。
今日こそ、何らかの進展があることを期待していた。
「レオン、ちょっといいか?」
マルクスが執務室に駆け込んできた。
「どうした?」
「査問院から正式な通達が来た。君宛だ」
俺は封筒を受け取った。
エレノア・ヴァンバーグの署名入りの公文書だった。
『改革提案に関する協議会を本日午後2時より開催する。改革グループの代表者全員の出席を求める』
「ついに動きがあったか」
エリーゼが書類を覗き込む。
「でも、なんだか急ね」
確かに、通常なら3日前には通知が来るはずだ。
『イレギュラーな対応ですね』
アルフィが指摘する。
『何か予期せぬ事態が発生した可能性があります』
俺も同じことを考えていた。
エレノアは慎重な人物だ。こんな急な招集をかけるのは、よほどのことがあったに違いない。
* * *
午後2時、査問院の大会議室に改革グループのメンバーが集まった。
俺、エリーゼ、マルクス、リリア。
そして、エレノアの他に見知らぬ人物が3名同席していた。
「お忙しい中、急な招集に応じていただき感謝します」
エレノアが口を開いた。
その表情は、前回会った時よりも硬い。
「実は、皆さんの改革案について、予想外の反応がありました」
「反応?」
俺は聞き返した。
「はい。商工会から正式な支持表明が届いたのです」
それは予想外だった。
商工会といえば、王都の経済を支える重要な組織だ。彼らが改革案を支持するということは、大きな後押しになる。
「それは素晴らしいことでは?」
エリーゼが言った。
「通常であれば、そうです」
エレノアの表情が曇る。
「しかし、問題があります。商工会の要求が、皆さんの提案よりもはるかに急進的なのです」
彼女は資料を配った。
商工会からの要望書だった。
「これは……」
マルクスが息を呑む。
俺の目が要望書の内容を追う。査問制度の大幅な緩和、知識アクセスの完全自由化、査問院の権限縮小…
俺の胸に、冷たい衝撃が走った。これは俺たちが望んだものを遥かに超えている。
「彼らは皆さんの改革案を『第一歩』と位置づけ、更なる急進的改革を求めています」
エレノアの声に、明らかな困惑と警戒が混じっていた。
「そして、査問院内の保守派がこれに強く反発しています」
俺の頭に、状況の全貌が浮かび上がった。俺たちの慎重な改革案が、思わぬ形で急進派と保守派の激しい対立を引き起こしてしまった。
俺の手のひらに、じっとりと汗が滲んだ。
『典型的な改革のジレンマですね』
アルフィが分析する。
『小さな変化が大きな期待を生み、それが更なる対立を生む』
「それで、エレノア代理はどうお考えですか?」
俺は直接聞いた。
彼女は少し考えてから答えた。
「私は、安定的な改革を支持します。しかし、現在の状況では、どちらの陣営も妥協する気配がありません」
「つまり、俺たちが調整役になれと?」
「その通りです」
エレノアは頷いた。
「皆さんには、両陣営を納得させる修正案を作成していただきたい」
難しい注文だった。
急進派を満足させつつ、保守派も納得させる。そんな都合の良い案があるだろうか?
「期限は?」
リリアが実務的な質問をした。
「3日です」
「3日!?」
マルクスが驚きの声を上げた。
「申し訳ありませんが、これ以上対立が激化すると、改革そのものが頓挫する恐れがあります」
エレノアの言葉には切実さがあった。
彼女も板挟みになっているのだろう。
「分かりました」
俺は決断した。
「3日で何とかします」
* * *
会議室から出ると、メンバーたちの表情は重かった。
「3日で両陣営を納得させる案なんて、無理じゃない?」
リリアがため息をつく。
「確かに難しいが、不可能ではない」
俺は考えを整理しながら言った。
「まず、商工会の真の狙いを理解する必要がある」
「真の狙い?」
エリーゼが聞き返す。
「彼らは本当に完全自由化を望んでいるのか? それとも、交渉のために高い要求を出しているだけなのか?」
『鋭い観察です』
アルフィが評価する。
『交渉術の基本ですね。最初に高い要求を出して、妥協点を有利にする』
「じゃあ、どうやってそれを見極める?」
マルクスが質問した。
「直接会って話すしかない」
俺は決めていた。
「今から商工会の代表に会いに行く。エリーゼ、一緒に来てくれるか?」
「もちろんよ」
「マルクスとリリアは、保守派の意見を詳しく調査してくれ。特に、彼らが絶対に譲れない点は何かを明確にしてほしい」
「了解した」
二人が頷く。
「3日しかない。効率的に動こう」
* * *
商工会の本部は、査問院から馬車で30分の距離にあった。
豪華な建物の中で、俺たちは副会長のロバート・スミスと面会した。
「レオン・グレイ殿、お会いできて光栄です」
ロバートは40代半ばの精悍な男性だった。
「商工会の要望書について、直接お話を伺いたく参りました」
俺は単刀直入に切り出した。
「なるほど、賢明な判断ですな」
ロバートは微笑んだ。
「我々の要求が急進的すぎると?」
「正直なところ、そうです」
俺は率直に答えた。
「このままでは、改革そのものが潰れてしまう」
「ふむ」
ロバートは考え込むような仕草を見せた。
「では、こう言い換えましょう。我々が本当に求めているのは何か、お分かりですか?」
俺は少し考えた。
商工会の立場、彼らの利益、そして現在の状況……。
俺の中で、商人の立場への理解が深まっていた。
ギルド時代の技術者としての経験が活かせる。技術開発でも、ビジネスでも、不確実性は最大の敵だ。どんなに優秀な技術や戦略も、ルールが不明確では活用できない。
商工会の人々が真に求めているのは、特権ではなく公正性。予測可能で透明性のあるシステムなのだ。
問題の核心を掴んだ手応えがあった。
「予測可能性、ですね」
俺は答えた。
「ビジネスにとって最も重要なのは、ルールが明確で予測可能なこと。現在の査問制度は、基準が曖昧で、いつ何が禁止されるか分からない」
ロバートの目が輝いた。
「素晴らしい。その通りです」
彼は身を乗り出した。
「我々は完全自由化を求めているわけではない。明確で、公正で、予測可能なルールを求めているのです」
『交渉の糸口が見えましたね』
アルフィが告げる。
これで方向性が定まった。
完全自由化ではなく、ルールの明確化と透明性の向上。これなら保守派も受け入れやすいはずだ。
「では、具体的にはどのような形を?」
エリーゼが質問した。
「例えば、査問基準の公開、判定プロセスの透明化、そして異議申立て制度の確立」
ロバートが具体例を挙げる。
「これらがあれば、我々も安心してビジネスができる」
なるほど、これなら現実的だ。
「協力していただけますか?」
俺は確認した。
「もちろん。ただし、形だけの改革では意味がない。実質的な変化を期待していますよ」
「約束します」
握手を交わし、俺たちは商工会を後にした。
* * *
夕方、改革グループの執務室に全員が集まった。
「保守派の調査結果はどうだった?」
俺は聞いた。
「彼らが最も恐れているのは、危険な知識の流出だった」
リリアが報告する。
「特に、軍事転用可能な魔術や、社会秩序を乱す可能性のある思想」
「それと、査問官の権威失墜も大きな懸念事項ね」
マルクスが付け加える。
「なるほど」
俺は情報を整理した。
商工会は予測可能性を求め、保守派は安全性と権威を求めている。
「両立は可能だ」
俺は結論を出した。
「どうやって?」
「段階的導入と、カテゴリー分類システムだ」
俺はホワイトボードに図を描き始めた。
「知識を危険度によって5段階に分類する。最も安全なカテゴリー1から始めて、段階的に開放していく」
「それで?」
「各カテゴリーごとに明確な基準を設定し、公開する。これで予測可能性が確保できる」
「なるほど!」
エリーゼが理解した。
「そして、上位カテゴリーは従来通り厳格に管理することで、保守派の懸念にも応える」
「その通り」
『バランスの取れた解決策ですね』
アルフィが評価する。
「問題は、この案を3日で完成させることよ」
リリアが現実的な指摘をした。
「今夜は徹夜になりそうだな」
マルクスが苦笑する。
「でも、やるしかない」
俺は決意を新たにした。
この予想外の事態を、むしろチャンスに変える。それが、真の改革者の姿勢だろう。
「よし、始めよう」
全員が頷き、作業が始まった。
深夜まで続く長い戦いの始まりだった。
* * *
深夜2時。
執務室には濃いコーヒーの香りが漂っていた。
「カテゴリー3の基準について、もう一度確認したい」
リリアが疲れた声で言った。
「軍事転用可能性が中程度、かつ社会影響度が限定的な知識、でいいんだよな?」
「そうだ。ただし、ここが一番議論になるところだ」
俺は頭を抱えた。
カテゴリー2と3の境界線をどこに引くか。これが成否を分ける。
『マスター、過去の査問記録を分析しました』
アルフィが助け船を出す。
『過去10年間で、実際に問題となった案件の70%は、明確な軍事転用意図があった場合です』
「つまり?」
『意図の有無を判定基準に加えることで、より公正な分類が可能になります』
なるほど。
技術そのものではなく、使用意図を重視する。これなら商工会も納得しやすい。
「それ、いいわね」
エリーゼが賛同した。
「ビジネス利用なら緩和、軍事利用なら厳格化。シンプルで分かりやすい」
「問題は、誰が意図を判定するかだ」
マルクスが指摘する。
「そこで、複数査問官による合議制を提案する」
俺は新しいアイデアを出した。
「単独判断ではなく、3名以上の査問官による判定。さらに、その議事録を公開する」
「透明性も確保できる」
リリアが頷いた。
みんな疲れているはずなのに、目は輝いている。
この案が、本当に査問院を変えるかもしれない。その可能性に、全員が希望を見出していた。
『チームの士気が高まっています』
アルフィが観察する。
『困難な状況が、かえって結束を強めているようですね』
その通りだった。
エリーゼの勘当、商工会の圧力、そして今回の板挟み。
試練の連続だったが、それが俺たちを強くしている。
「よし、最終案をまとめよう」
俺は立ち上がった。
「明日の午前中に最終チェック、午後にはエレノアに提出だ」
「分かった」
全員が頷く。
窓の外では、夜明けが近づいていた。
* * *
3日後の午後。
査問院の大会議室は、異様な緊張感に包まれていた。
商工会の代表団、保守派査問官、そして中立派。
三つの勢力が、俺たちの修正案を検討するために集まっていた。
「では、レオン・グレイ殿より、修正案の説明をお願いします」
エレノアが司会を務める。
俺は立ち上がり、準備した資料を配った。
「知識カテゴリー分類システム。これが我々の提案です」
会場がざわめいた。
「知識を5段階に分類し、各カテゴリーごとに明確な基準と手続きを定めます」
俺は丁寧に説明を始めた。
カテゴリー1は完全公開。日常生活に必要な基礎知識。
カテゴリー2は登録制。商業利用可能な応用知識。
カテゴリー3は許可制。特定条件下でのみ利用可能な専門知識。
カテゴリー4は厳格管理。軍事・治安に関わる機密知識。
カテゴリー5は最高機密。国家の根幹に関わる禁忌知識。
「重要なのは、この基準が公開されることです」
俺は強調した。
「誰もが、どの知識がどのカテゴリーに属するか、事前に予測できる」
商工会のロバートが頷いている。
「さらに、判定は複数査問官の合議制とし、議事録も公開します」
今度は保守派の一人が眉をひそめた。
「査問官の権威はどうなる?」
予想された質問だった。
「権威は失われません。むしろ強化されます」
俺は準備していた答えを述べた。
「透明で公正な判定を行う査問官こそ、真の尊敬を集める。恣意的な判断ではなく、専門性に基づく判断が、査問官の価値を高めるのです」
会場が静まり返った。
保守派の長老が口を開いた。
「カテゴリー4と5の管理は、従来通り厳格に行われるのか?」
「はい。むしろ、下位カテゴリーとの明確な区別により、より確実な管理が可能になります」
「ふむ……」
長老は考え込んでいる。
一方、商工会のメンバーたちは資料を詳しく検討していた。
「異議申立て制度についても触れられていますね」
ロバートが確認する。
「はい。判定に不服がある場合、理由を明示して再審査を請求できます」
「期限は?」
「30日以内です。十分な検討期間を確保しました」
また会場がざわめいた。
今度は期待を含んだざわめきだった。
エレノアが立ち上がった。
「質疑応答の時間を設けます。ご質問のある方は——」
次々と手が挙がった。
質問は1時間以上続いた。
技術的な詳細から、運用上の課題まで。
俺たちは徹夜で準備した回答を、一つ一つ丁寧に説明していった。
そして——。
「採決を行います」
エレノアが宣言した。
「この修正案を、試験的に導入することに賛成の方は?」
緊張の一瞬。
そして、次々と手が挙がり始めた。
商工会は全員賛成。
中立派もほぼ賛成。
そして——保守派からも、半数近くの手が挙がった。
「賛成多数により、修正案は承認されました」
エレノアの声が響いた。
「6ヶ月間の試験導入の後、本格実施を検討します」
会場に安堵の空気が流れた。
俺は深く息をついた。
やった。
本当にやったんだ。
『見事でした、マスター』
アルフィの声に、珍しく感情がこもっていた。
『予想外の事態を、見事に機会に変えましたね』
エリーゼが俺の肩を叩いた。
「お疲れ様。本当によくやったわ」
マルクスとリリアも笑顔を見せている。
でも、これは始まりに過ぎない。
6ヶ月後の本格実施に向けて、まだまだやることは山積みだ。
それでも、今日という日は、確実に歴史の転換点となるだろう。
査問院に、新しい風が吹き始めた瞬間だった。




