第12話「才能の片鱗」
翌朝、俺は緊張していた。
今日はエレノア・ヴァンバーグ主席査問官代理との初の面談日だ。
昨夜遅くまで、提案書の最終調整を行った。急進的な要素を排除し、段階的で実現可能な改革案に仕上げた。少なくとも、論理的には完璧な内容だと思う。
でも、なぜか不安が残る。
「準備はできてるか?」
執務室でマルクスが声をかけてくる。
「ああ、一応は」
俺は提案書のファイルを手に取った。
『レオン、データ分析の結果をお伝えします』
アルフィの声が頭に響く。
「どんな結果だ?」
俺の頭に、アルフィから送られてくるデータが流れ込む。複雑な分析グラフ、確率計算…そして一つの数字が浮かび上がった。
『エレノア・ヴァンバーグが改革派である可能性は70%です』
俺の胸に、安堵の気持ちが広がった。70%。かなり高い確率だ。
『過去の発言、投票行動、人事評価などを総合的に分析した結果です』
アルフィの声に確信があった。でも、なぜか俺の心の奥で小さな不安がくすぶっている。
「それなら安心だな」
俺は安堵した。
70%なら、今日の面談はうまくいく可能性が高い。
でも……。
なぜか、心の奥で小さな違和感がくすぶっている。
『データに疑問がありますか?』
アルフィが俺の思考を読み取る。
「いや、疑問というか……」
俺は言葉を選んだ。
「なんとなく、そう単純じゃない気がするんだ」
『興味深い反応ですね』
アルフィの声に関心が込められている。
『具体的には、どのような懸念でしょうか?』
「分からない。ただの勘かもしれないが……」
俺は頭を振った。
「まあ、データの方が信頼できるだろう」
* * *
午前10時。主席査問官代理室の前に立っていた。
重厚な扉の向こうから、落ち着いた女性の声が聞こえる。
「どうぞ、お入りください」
俺は深呼吸して扉を開けた。
エレノア・ヴァンバーグが机の向こうに座っている。
35歳という年齢よりも少し若く見える整った顔立ち。知的な眼鏡の奥の瞳は鋭く、でも決して冷たくはない。
「レオン・グレイさんですね。お座りください」
「ありがとうございます」
俺は指定された椅子に座った。
「まず、この度のヴィクトリア前主席査問官の件について、謝罪いたします」
エレノアが頭を下げる。
「不適切な処分により、ご迷惑をおかけしました」
「いえ、気になさらないでください」
俺は慌てて答えた。
「むしろ、公正な判断をしていただき、感謝しています」
エレノアが微笑む。
その笑顔は自然で、好感が持てる。
でも……。
また、あの違和感が湧いてくる。
何か、計算されたものを感じる。いや、計算というより、慎重すぎる配慮?
『レオン、彼女の表情を分析しています』
アルフィが割り込む。
『友好的で協力的な態度です。予想通りの反応と言えるでしょう』
そうか。やっぱり俺の勘違いかもしれない。
「それで、今日はどのようなご相談でしょうか?」
エレノアが本題に入る。
「新体制での協力関係について、お話ししたく」
俺は提案書を取り出した。
「こちら、私たちの改革提案の修正版です」
エレノアが書類を受け取り、丁寧に目を通し始める。
その間、俺は彼女の表情を観察していた。
真剣に読んでいる。時々、眉をひそめたり、頷いたりしている。
でも、何かが……。
『データ分析では、彼女は改革支持派のはずです』
アルフィが再度確認する。
そうだ。70%の確率で改革派。
なのに、なぜ俺は不安なんだ?
「なるほど」
エレノアが書類から顔を上げた。
「よく練られた提案ですね。段階的なアプローチで、現実的です」
「ありがとうございます」
俺は安堵した。
やはり好反応だ。アルフィの分析が正しかった。
「ただし」
エレノアの表情が少し変わった。
「一つ、懸念があります」
俺の心臓が早鐘を打つ。
「どのような?」
「改革には時間がかかります。そして、その間に必ず反発や混乱が生じる」
エレノアが手を組む。
「私は安定を重視したい。急激な変化よりも、現在のシステムの微調整で対応できないでしょうか?」
俺は愕然とした。
これは……改革派の発言じゃない。
完全に現状維持派の論理だ。
『興味深い展開ですね』
アルフィの声に困惑が混じっている。
『データ分析と実際の発言に乖離があります』
そうだ。
俺の直感が正しかった。
エレノアは改革派なんかじゃない。少なくとも、俺たちが期待していたような改革派ではない。
「微調整では」
俺は慎重に言葉を選んだ。
「根本的な問題は解決できないと思います」
「根本的な問題とは?」
エレノアの目が鋭くなる。
ここが勝負どころだ。
俺の中で、相手への不信感と真実を伝えたい衝動がぶつかり合った。
エレノアは賢い女性だ。建前や美辞麗句で誤魔化そうとしても、すぐに見抜かれるだろう。だったら、本質的な問題を正面から指摘するしかない。
これまでの経験が教えてくれている。真の改革者になるためには、不都合な真実から目を逸らしてはいけない。
覚悟を決めて、俺は核心を突いた。
「現在の男女格差システムは、表面的には女性優位ですが、実際は一部の上層階級だけが利益を得ている構造です」
「……」
エレノアが沈黙する。
俺は続けた。
「微調整では、この構造的不平等は解消されません。必要なのは、公正な実力評価システムの導入です」
長い沈黙が続いた。
そして、エレノアがゆっくりと口を開く。
「レオンさん、率直にお聞きします」
その声音が、これまでとは明らかに違う。
「あなたがたの真の目的は何ですか?」
俺は覚悟を決めた。
「ギルド内の不平等をなくすことです。性別や出身階級に関係なく、実力で評価される組織にしたい」
「そのためには、どの程度の変化が必要だと思いますか?」
「……大きな変化が必要だと思います」
俺は正直に答えた。
エレノアが深いため息をついた。
「やはり、そうですか」
彼女が椅子にもたれかかる。
「レオンさん、私はあなたがたの理想を理解します。そして、それが正しいことも分かります」
「でも?」
「でも、私の立場では支持できません」
エレノアがはっきりと言った。
「私は混乱を避けたい。大きな変化は、必ず大きな混乱を招きます」
俺は静かに頷いた。
やはり、俺の直感が正しかった。
『レオン』
アルフィの声が響く。
『あなたの判断は正確でした。私のデータ分析を上回る洞察でした』
そうか。
俺は、AIの分析よりも正確に相手の本質を見抜いたのか。
「ありがとうございました、エレノアさん」
俺は立ち上がった。
「率直なお話を聞かせていただき、今後の方針が明確になりました」
「お役に立てず、申し訳ありません」
エレノアも立ち上がる。
「でも、もし小さな改善案があれば、喜んで検討いたします」
俺は微笑んだ。
「考えてみます」
* * *
査問官室を出た後、俺は廊下を歩きながら考えていた。
『レオン、驚きました』
アルフィが感嘆の声を上げる。
『あなたの直感は、私の70%確率の分析を覆しました』
「たまたまだよ」
『いえ、偶然ではありません』
アルフィの声に確信が込められている。
『あなたには、データを超越する洞察力があります』
データを超越する洞察力?
俺に、そんなものがあるのか?
確かに、最近は相手の心理や真意を読み取るのが得意になった気がする。
でも、それが特別な能力なのかどうかは分からない。
執務室に戻ると、みんなが待っていた。
「お疲れさま、レオン」
エリーゼが振り返る。
「どうでしたか?」
「うーん」
俺は椅子に座った。
「結論から言うと、エレノアは味方にはならない」
「え?」
マルクスが驚く。
「でも、AIの分析では改革派だったんじゃ……」
「データと現実は違った」
俺は面談の内容を詳しく説明した。
みんなが聞き入っている。
「つまり」
リリアがまとめる。
「エレノアは理想は理解するけど、実行はしたくないということですね」
「そういうことだ」
俺は頷いた。
「でも、敵対もしない。中立の立場を維持したいんだろう」
「さらに、彼女には別の事情がある」
俺は面談中に気づいたことを話した。
「彼女がヴィクトリアの後釈を引き受けたことに、既得権益層からの圧力があったはずだ。彼女の慎重さは、そのプレッシャーの結果だ」
「え? どうして分かるの?」
マルクスが驚く。
「彼女の目を見ていて分かった。理想を語る時の輝きと、現実を語る時の諦め。そのギャップが大きすぎる」
『レオン』
アルフィが割り込む。
『今回の判断で、あなたの能力について確信しました』
「どんな?」
俺の胸に、期待と困惑が入り混じった。
『あなたには、論理的分析と直感的洞察を統合する稀有な才能があります』
仲間たちの視線が俺に集中した。エリーゼの瞳に驚き、マルクスの表情に感心、リリアの顔に好奇心が浮かんでいる。
俺の頭に、アルフィから送られてくる分析データが浮かんだ。人間の思考パターンの分類図、判断プロセスの比較チャート…
『通常、人間はデータに依存するか、直感に頼るかのどちらかです。しかし、あなたは…』
俺は困惑した。自分では普通にやっているつもりなのに。
「それって、普通じゃないのか?」
『非常に珍しい能力です』
アルフィの声に、明確な確信があった。
『注意深く観察を続けさせてください』
『一つ、例をお見せしましょう』
アルフィが面談のデータを再生する。
『私の分析では、エレノアの表情変化から「慎重さ」を読み取りました。しかし、あなたはその一歩先、「圧力の存在」まで見抜いていました』
「それは……」
『データとインスピレーションの完璧な融合です。私の補助があったとはいえ、結果は予想を遥かに超えています』
俺は窓の外を見た。
俺には、本当に特別な能力があるのだろうか?
それとも、単に経験を積んだだけなのか?
分からない。
でも、一つだけ確かなことがある。
俺は変わり始めている。
以前の俺なら、絶対にアルフィの分析を疑ったりしなかった。
でも今は、自分の判断を信じることができる。
これが成長なのか、才能の覚醒なのか、俺にはまだ分からない。
ただ、アルフィが言うように、何か特別なものを俺が持っているとしたら……。
それは、これからの戦いで大きな武器になるかもしれない。
『マスター、一つ提案があります』
「何だ?」
『あなたの才能を、もっと積極的に活用してみませんか? 私のデータ分析と、あなたの直感を組み合わせれば、予想以上の成果が期待できます』
「さて」
俺は仲間たちを見回した。
「エレノアは味方にならないが、敵でもない。この状況をどう活用するかが問題だ」
新しい戦略を立てる時が来た。
そして今度は、俺の直感も武器として使えるかもしれない。




