第10話「反撃の弁明」
翌朝、俺たちは『市民の権利を守る会』の代表、ジョナサン・ハミルソンと会っていた。
王都中央区にある小さな事務所。質素だが清潔に保たれた室内には、市民の相談記録や法律書が整然と並んでいる。
白髪の紳士ジョナサンは、俺たちの持参した資料を慎重に検討していた。
「これは……確かに重大な不正ですね」
彼の表情が厳しくなる。
「しかし、我々が動くことで政治的リスクを負うのも事実です」
俺は覚悟していた反応だった。
「ジョナサンさん、お気持ちは分かります。でも、この不正を放置すれば、被害はもっと拡大します」
エリーゼが静かに説明する。
「私はローゼン家から勘当されました。でも、正義のためなら、それでも構わない」
彼女の決意の重さが、ジョナサンの心を動かしたようだった。
「……分かりました。協力しましょう」
ジョナサンが深く頷く。
「ただし、証拠の信頼性について、法的専門家による検証が必要です」
『優秀な判断ですね。これで外部からの圧力を確保できます』
アルフィの声が頭に響く。
「ありがとうございます」
俺は安堵した。
少なくとも、俺たちは完全に孤立したわけではない。
* * *
午後、俺たちは主席査問官室の前に立っていた。
重厚な扉の向こうで、俺たちの運命が決まる。
「レオン、準備はいいか?」
マルクスが心配そうに聞く。
「ああ。やるしかない」
俺は深く息を吸った。
昨日の夜、俺の胸に様々な感情が渦巻いていた。
追い詰められた状況への危機感。仲間を守らなければという重い責任感。そして何より、エリーゼが家族を失ってまで貫いた正義への想い…これらすべてが俺の心を燃え上がらせていた。
俺の脳裏に、追放された時の屈辱的な記憶が蘇る。あの時の俺は感情的で、論理的な反論ができなかった。でも今度は違う。
俺の手のひらに、汗が滲んだ。今度こそ、論理と事実で勝負する。
相手の矛盾を突く。俺たちの行動こそが真の正義だと証明する。
扉が開かれた。
「入室してください」
事務官の声が響く。
* * *
査問会議室の空気が、俺の肌に重くのしかかった。古代魔法陣の青白い光が、追放の記憶を蘇らせて胸を締め付ける。
しかし、今度は俺一人ではない。マルクス、リリア、エリーゼが隣に立っている。
ヴィクトリア・クローディア主席査問官が、冷たい視線で俺たちを見つめている。
「レオン・グレイ及び関係者の皆さん」
彼女の声が会議室に響く。
「昨日交付した活動停止命令について、弁明の機会を設けました」
「まず確認しますが、あなたたちは『風紀秩序の維持』及び『機密情報の保護』に違反する活動を行ったという認識はありますか?」
俺は予定通りの質問だと思った。
「はい、その認識について申し上げたいことがあります」
俺は落ち着いて答えた。
「まず、『風紀秩序の維持』について質問があります」
ヴィクトリアの眉がわずかに上がる。
「質問? あなたは弁明する立場です」
「弁明の前に、ギルド規約の解釈について確認させてください」
俺は資料を取り出す。
「規約第15条『風紀秩序の維持』は、具体的にどのような行為を禁止しているのでしょうか?」
『優秀な戦略です。相手に定義を説明させることで、主導権を握ります』
アルフィの声が頭に響く。
ヴィクトリアが少し困った表情を見せた。
「それは……ギルドの品位と秩序を乱す行為全般です」
「では、ギルド内部の不正や汚職を暴露することは、『品位と秩序を乱す行為』に該当するのでしょうか?」
俺の質問に、会議室が静まり返った。
「それは……」
「主席査問官、お答えください」
エリーゼが丁寧だが毅然とした口調で追及する。
「私たちが調査したのは、まさにギルド内部の不正です。225万コインの研究費不正流用。これを明らかにすることが、なぜ『風紀秩序を乱す』行為になるのですか?」
ヴィクトリアの顔が青ざめた。
「その……調査方法に問題があったのです」
「調査方法?」
マルクスが立ち上がる。
「俺たちは商工会の正式な監査として、完全に合法的な手続きで調査を実施しました」
リリアが資料を提出する。
「これが商工会からの正式な監査許可書です。私たちの調査には何の違法性もありません」
俺は畳み掛けるように続けた。
「主席査問官、逆にお聞きします。ギルドの『風紀秩序』を本当に乱しているのは誰ですか?」
「不正に研究費を流用し、私腹を肥やしている人物こそが、真の『風紀秩序の破壊者』ではないのですか?」
会議室に緊張が走った。
ヴィクトリアの手が震えている。
「あなたたちは……何を言っているのですか」
「証拠があります」
俺の声に、冷静な怒りが宿っていた。
俺の頭に、アルフィから送られた数々の証拠が浮かぶ。不正の金額の大きさに、改めて怒りが込み上げる。
「225万コインの不正流用」
俺の拳が握りしめられた。
「架空の学会参加費、水増しされた機材購入費、存在しない貴族会議参加費…」
俺の胸に、燃えるような正義感が湧き上がる。
「全て、あなたの個人口座に流用されています」
『レオン、素晴らしい』
アルフィの声に、わずかな感動が混じっていた。
『あなたは完全に主導権を握りました』
ヴィクトリアが立ち上がった。
「そ、そんな根拠のない中傷を……」
「根拠があります」
エリーゼが別の資料を提出する。
「こちらが『市民の権利を守る会』による法的検証結果です。証拠の信頼性は法的専門家により確認済みです」
俺は続けた。
「主席査問官、あなたこそギルド規約第15条『風紀秩序の維持』に違反しているのではないですか?」
「そして、俺たちを活動停止処分にしようとするのは、不正の隠蔽が目的ではないのですか?」
* * *
会議室は静寂に包まれた。
ヴィクトリアは完全に言葉を失っている。
他の査問官たちも、明らかに動揺していた。
俺は確信していた。
なぜか、この戦略が成功することが分かっていた。相手の弱点を突く最適な方法が、自然に頭に浮かんだのだ。
ヴィクトリアの微細な表情の変化、他の査問官たちの心理的動揺、そして会議室の空気の変化。すべてが手に取るように分かる。
今なら、次の一手で、完全に相手を詰ませる。
「……」
長い沈黙の後、副査問官のエレノア・ヴァンバーグが口を開いた。
「これは……重大な問題ですね」
「主席査問官、この件について正式な調査が必要かもしれません」
ヴィクトリアの顔が真っ青になった。
「ちょ、ちょっと待ってください! これは罠です! 彼らの策略に騙されてはいけません!」
しかし、もう遅い。
他の査問官たちは、すでに証拠の重大性を理解していた。
「申し訳ございませんが」
エレノアが立ち上がる。
「本日の活動停止命令については、一旦保留とさせていただきます」
「そして、主席査問官の不正疑惑について、正式な内部調査を開始いたします」
俺たちは勝った。
完全な勝利だった。
* * *
査問会議室を出た後、俺たちは廊下で抱き合った。
「やったな、レオン!」
マルクスが俺の肩を叩く。
「まさか、あんな完璧な反撃ができるなんて」
リリアも涙を流して喜んでいる。
「本当に素晴らしい弁明でした」
エリーゼが微笑む。
「あなたの戦略的思考には、いつも驚かされます」
俺は複雑な気持ちだった。
確かに勝利した。でも、これは本当に俺の力だったのだろうか?
『レオン、今日のあなたは特に優秀でした』
アルフィの声が頭に響く。
「特に、って?」
『質問の順序、論理の組み立て、タイミング。全てが完璧でした』
「でも、それはアルフィが――」
『いえ、違います』
アルフィの声に、何か特別な響きがあった。
『今日の戦略は、私の提案を超えた部分が多くありました』
そうだろうか?
俺は振り返ってみる。
確かに、弁明の途中で思いついた質問や反論が、アルフィの事前分析を超えていた気がする。
なぜか最適な言葉が、自然に口から出てきたのだ。
「俺も……成長してるのかな?」
『興味深い変化です』
アルフィの声に、微妙な響きがあった。
まるで、俺の変化を注意深く観察している研究者のような。
* * *
夕方、俺たちは執務室で今後の戦略を検討していた。
「ヴィクトリアの失脚は確実だな」
マルクスが満足そうに言う。
「内部調査が始まれば、他の不正も明らかになるだろう」
「問題は、次の主席査問官が誰になるかね」
エリーゼが考え込む。
「エレノア・ヴァンバーグが昇格する可能性が高いけど、彼女が改革派かどうかは分からない」
俺は別のことを考えていた。
今日の弁明で、俺は確実に何かが変わったと感じている。
アルフィの分析に頼らず、自分の判断で行動できた瞬間があった。
それは小さな変化かもしれない。でも、確実に俺の中で何かが動き始めている。
「レオン、どう思う?」
リリアの声で現実に戻る。
「え?」
「次の展開よ。ヴィクトリアが失脚した後、どう動くか」
俺は少し考えてから答えた。
「まず、俺たちの正当性を確立しよう」
なぜか、明確な戦略が頭に浮かんだ。
「今回の勝利を活用して、改革グループの影響力を拡大する」
「そして、新しい主席査問官との関係構築を進める」
『優秀な判断ですね』
アルフィの声に、感心の響きがあった。
『でも、一つ注意があります』
「何だ?」
『今回の勝利で、あなたたちへの注目が集まります。敵も増えるでしょう』
確かに、その通りだ。
俺たちはヴィクトリアという大物を倒した。それは大きな成果だが、同時に多くの敵を作ったことも意味する。
「用心深く進めよう」
俺は仲間たちに言った。
「勝利に酔って油断すれば、今度は俺たちがやられる」
みんなが頷く。
しかし俺の心の中には、新しい自信が芽生えていた。
アルフィの助けは確かに大きい。でも、俺にも自分なりの判断力があるのかもしれない。
* * *
その夜、俺は一人で執務室に残っていた。
「アルフィ、正直に聞きたい」
「今日の俺の判断は、本当に俺自身のものだったのか?」
『興味深い質問ですね』
アルフィの声に、微妙な響きがあった。
『レオン、あなたはどう思いますか?』
「分からない。でも、確実に何かが変わった気がする」
『変化について、もう少し詳しく説明してください』
俺は言葉を選んで話した。
「今まで、俺はアルフィの分析に完全に依存していた」
「でも今日は、アルフィの提案を聞く前に、自分なりの答えが見えていた」
『それは確かに変化ですね』
「これは何を意味するんだ?」
俺の胸に、期待と不安が入り混じった。
『可能性が二つあります』
アルフィの声に、いつもとは違う慎重さがあった。
『一つは、私との連携により、あなたの判断力が向上している』
『もう一つは…』
アルフィが言いよどむ。まるで重大な秘密を明かすかどうか迷っているかのように。
「もう一つは?」
俺の心臓が早鐘を打った。
『あなたには元々、特別な能力があったのかもしれません』
俺の頭が真っ白になった。特別な能力?俺に?
「それは…どういうことだ?」
俺の声が震えていた。
『まだ確証はありません。でも、今日のあなたの判断を見ていると…』
アルフィの声に、明らかな興味と期待が混じっていた。
アルフィの声に、何か意味深な響きがあった。
『レオン、あなたの成長を注意深く観察させてください』
まるで、俺が何かの実験対象になったかのような口調だった。
でも、それは気のせいかもしれない。
「分かった。でも、あまり観察されてるって意識すると、逆に緊張する」
『大丈夫です。自然にしていてください』
俺は窓の外を見た。
王都の夜景がいつものように美しく輝いている。
今日は大きな勝利を得た。でも、これはまだ始まりに過ぎない。
俺たちの改革は、これからが本番だ。
そして、俺自身の変化も、まだ始まったばかりなのかもしれない。
「明日からが本当の勝負だな」
俺は拳を握りしめた。
新しい自分を発見する旅が、始まろうとしている。




