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敖霜枝  作者: 白玖黎
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 東海の巡海(じゅんかい)夜叉(やしゃ)が人の手にかけられた次の日、東海龍王が人間に報復を宣言した。


 敖丙(ごうへい)はなんとか父を止めようと奮闘したが、実の息子が何を言っても東海龍王は聞く耳を持たなかった。

 いくら東海の者とはいえ、夜叉たちの暴挙はとても見逃せないものである。


 敖丙は正直に事の顛末(てんまつ)を語ったが、それはむしろ東海龍王の怒りをさらに()きつけるだけだった。

 彼は敖丙を無断で俗世(ぞくせ)干渉(かんしょう)し続けたとして激しく責め立てた。

 次に同じことがあれば息子であろうと容赦(ようしゃ)はしない、と最後に言い残して。


 やがて東海全域に出された宣戦布告も、今では神仙界中がその話で持ちきりだ。

 それもそのはず、東海龍王の言葉は天下に名だたる龍神が天理に逆らうと(おおやけ)にしたも同然だった。

 天帝ですら黙認しているこの事態に、もはやどうすることもできない。


 ()てつくような冷気に覆われた夜、敖丙(ごうへい)は最後に哪吒(なた)に会うために俗世へ足を運んだ。


「……そっか。哥哥(にいちゃん)、もう来れなくなるんだな」

「うん……」


 星のない空の下、ふたりは真っ暗な海のほとりに腰を下ろしていた。

 今思えば、随分と奇異な光景だ。

 人と人ならざる者が触れ合える距離で並んで座るなど。


「ごめん。僕は、君を助けることができなかった」


 ざあ、という雨音が聞こえる。

 海の中では気づきもしなかったが、雨が降り出してきたようだ。


 哪吒の肩も少しばかり濡れている。

 彼はこの雨のなか、敖丙に会いにきてくれたらしい。


 しばらくの間ふたりはただ並んで座っていた。

 どちらも何も言わない。

 だがこの前とは違って重苦しいとは思わなかった。


 そう思ってはいけなかった。

 戦争が始まってしまえば、敖丙は二度と哪吒に会えなくなる。

 これが、哪吒と過ごす最後の時間になるかもしれないのだから。


「ねえ、哪吒」


 敖丙はふと顔を上げた。

 隣を見ると、彼の瞳は相変わらず暗い海の先を見つめたままだった。

 けれどもこれだけは言っておかないといけないと、意を決して口を開く。


「僕、哪吒が見せてくれたものを絶対に忘れない。――いつか、新しい東海龍王になったとしても」


 哪吒と一緒に見て回った現世の景色は今も目の裏に焼きついている。

 どんな名匠(めいしょう)が描いた書画よりも鮮明に。


 四季の柔らかさ、人々の強さ、自然の豊かさに、都の美しさ。

 それらがとても尊く美しいものだと教えてくれたのは哪吒だ。


 哪吒は何よりもこの綺麗な世界を愛していたように思う。

 それ以外他に何もいらぬくらいに。

 そしてそれは敖丙も同じ。


「だから……もし僕が人間も神様も、平等に生きられる世界の(いしずえ)になれたら――また友だちになってくれる?」


 それを聞いた途端、それまで黙り込んでいた彼がこちらを振り向いた。


 今までずっと真珠のように育てられた敖丙にとって、ほんの少しではあったが哪吒と過ごした時間はなんとも新鮮で楽しいものだった。

 寂しくはあったが、たとえもう二度と会えなかったとしても。

 敖丙は哪吒のことを友だと思っているし、彼もそう思ってくれるだろうと――信じていた。


 月明かりのない夜ではその表情はよく見えなかったが、それでもたしかに彼は笑顔を浮かべていた。

 微笑んだ哪吒は心底嬉しそうで、けれどその感情は瞬きのうちに消え去る。


 不意に視線を背けられる。

 そして一拍の後、哪吒の顔に浮かんだ表情は――(さげす)むような冷ややかな嘲笑(ちょうしょう)だった。


「く……っ、あははははっ! お前、ほんっとうにおもしれえやつだな!!」

「な、哪吒……?」

「あー、もう我慢できねえ」


 いつもと違う哪吒のようすに敖丙は異変を感じる。

 どこか狂気じみた表情で笑い転げる彼にいつもの優しい面影はない。

 ひたりと冷たいものが背中を伝っていく。


眷属(けんぞく)を殺され、怒り狂った龍王が人間に戦争を仕掛(しか)ける。少し遅くなったが、まあ計画通りだ」


 どこかおかしいとは思わなかったのか、と軽蔑(けいべつ)すら(ふく)ませた声音で問いかけられる。


 ひとつ、神域のある東海に()()()()人間が迷いこんだこと。

 ふたつ、()()()()人間が龍族の秘宝を盗み出せたこと。

 みっつ、人間界にやってきた敖丙を助けたのが()()()()彼だったこと。


 そして――巡海夜叉たちが哪吒の住む集落ばかりを(ねら)って(おそ)っていたこと。


「ぼんくらのお前でも、ようやくわかったか?」


 人間は神々に恵みを求めて祈りを捧げ、神々はそれに(こた)えることで力を得る。

 その逆もまた然り、と哪吒は歌うように言う。


「天帝は東海龍王を神ではなく、()()()()()()()として討伐(とうばつ)を任された。――他でもない、この俺に」


 身体中の血が引いていくようだった。

 あまりにも重い事実は敖丙を底の底まで突き落とした。


 東海龍王は堕落した。

 要はそういうことだった。


「俺に下された命令は、お前を殺すことだった。そうすれば、俺たちの集落を守ってやるって」


 ――だが。

 次に放たれた言葉を聞いて、敖丙は初めて哪吒に対し恐怖にも似た戦慄(せんりつ)を覚えた。


()()()()()、そう思ったよ。俺は神が嫌いだ。関わらないとか言いながら、いつもえらそうに人を見下して……支配して! だから、たとえ最高神だろうがなんだろうが関係ない。神を名乗る者全員、人間界(この世界)から消してやる」


 哪吒は身につけていた腕輪を環状の武器に変化させ、腰に巻いていた赤い布を宙に投げた。

 すると霊力を秘めた布は雨をまとって舞い上がり、彼の頭上で巨大な龍の姿に変わる。


「最後にいいことを教えてやるよ」


 (ささや)くように言われたその言葉はぞっとするほど冷たく、感情が乗っていない。

 同時に彼の(ふところ)から長い糸のようなものが取り出された。

 いや、糸にしてはやけに太い。


 あれは()だ。

 何か細長い生き物の――それこそ龍のような生物の背筋。


「お前の兄ちゃん――東海龍王の二太子(にたいし)敖乙(ごういつ)を亡き者にしたのはこの俺だ」


 水の身体を持つ龍が天にも(とどろ)咆哮(ほうこう)を上げた。


 突然、あたりに(すさ)まじい轟音(ごうおん)が響き渡る。

 地鳴りのような音とともに、目の前の海が割れていく。

 哪吒の赤い布が生み出した龍によって、東海の中心にまるで巨大な生き物のような竜巻が起こされたのだ。


 それでようやく理解する。

 ――彼は十分に神と対抗できるほどの力を持っているのだ。


人間(おれたち)の未来は人間(おれたち)が決める。神様(おまえら)が入りこむ隙はない」


 憎悪(ぞうお)に満ちた声に背を押され、敖丙はいよいよ動き出した。

 彼の横を通り過ぎ、そのまま龍の姿となって厚い雲の(おお)う空へ飛び立つ。


 ああ、やっぱり。

 哪吒にとって本当に大切なのは、敖丙と過ごした日々などではなかった。


 最初からわかっていたはずだった。

 人と人ならざる者は(たが)いに(あい)()れない存在だと。

 けれどそれでも敖丙は彼と一緒にいたいと思ってしまったのだから、自業自得としか言いようがなかった。


 風を切って空を()け、敖丙は逃げた。

 西へ西へ、東海から離れて誰にも見つからぬところまで。


 ――もう二度と、戻ることはない。


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