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敖霜枝  作者: 白玖黎
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 大陸の中心に位置する大国。

 その国は古くから神仙の加護を受け、神とともに歩む偉大な国であった。


「ここが人の都――朝歌(ちょうか)だ」


 初秋の冷たい風が吹き抜けるなか、堅固(けんご)な城壁に囲まれた街は寒さに負けぬ活気に満ちあふれていた。

 人混みに揉まれて道に迷わないように、哪吒(なた)に手を引かれて大通りを歩く。


 多くの店が(のき)を連ねる大通りでは鮮やかな薄絹が揺れ、華やかな街並みを作り上げていた。

 ずらりと並ぶ屋台は鼻腔(びこう)をくすぐる濃厚な煙を立ち上らせ、活気のある呼びこみが雑踏(ざっとう)(まぎ)れて響き渡る。

 どこからか、時刻を告げる太鼓(たいこ)の音が絶えず鳴り続けている。


「うわあああっ……人がいっぱい!!」


 平和を体現したような穏やかな景色を見て、敖丙は思わず感嘆の声を上げた。


 笑顔の人で溢れていた。

 子どもは(あめ)を舐めながら両親の手を引き、恋人たちは蓮の花が描かれた燈籠の前で楽しそうに談笑する。

 老夫婦は店先の品物を眺めながら、各々(おのおの)品定めしているようだった。


 誰もがみな幸せそうな顔をして、笑い合っている。


「おーい、哥哥(にいちゃん)。串食うか?」

「うん!」


 いつの間にか串焼き屋の前にいた哪吒に返事をする。

 世間知らずな敖丙が朝歌(ここ)まで無事に辿り着けたのも、すべて彼のおかげだった。


 あのあと哪吒と別れて東海に戻った敖丙は、七日間の謹慎(きんしん)を言い渡された。

 東海龍王は龍珠(りゅうじゅ)を取り戻すためとはいえ俗世(ぞくせ)へ渡った敖丙を不浄とみなし、一日三回聖水で身を清めるように命じた。


 そんな日々も明けてようやく謹慎が解かれたとき、真っ先に向かったのが彼のもとであった。

 もちろん、ばれないようにこっそりと水晶宮を抜け出して。


 俗世と神域の時間の流れ方は違う。

 あれから俗世では数月(すうげつ)が過ぎていたが、哪吒は前と変わらぬようすで待っていてくれた。


 哪吒は店主にもらった串焼き肉にかじりつきながら、敖丙に一本手渡す。

 じゅわりと脂が(したた)る串焼きからは湯気と一緒に香ばしいにおいが立ち上り、たっぷりとかかった調味料が今にもこぼれ落ちそうだ。

 口をつけてみると思っていたよりも熱く、ふうふうと息を吹きかけながら肉を()む。


「わあ……おいしい」

「羊の肉だ。食べたことないのか?」

「うん。でも書物で読んだことあるよ。ひつじって、海葵(いそぎんちゃく)みたいにもこもこしてるんだよね」

「海……なんだって?」


 どこか噛み合わないやり取りをしながらをしながら、敖丙は夢中で串焼き肉を頬張っていた。


 それはさておき、この国では様々な神仙が(まつ)られているようだった。

 これまでも金運を呼び寄せる神、縁結(えんむす)びの神、出世運を(つかさど)る神などあらゆる場所で神々の(びょう)を目にした。

 まるで人々の暮らしのなかに自然と神々が存在しているように感じられる。


「水神の廟はないのかなあ」

「いや、あると思うぞ。東海龍王はけっこう有名な神だし、水は民にとって大事なもんだからな」


 串焼きを平らげたふたりは、再び並んで歩き始める。

 どうやらこのあたりでは西域(さいいき)からの珍しい嗜好(しこう)品や輸入品が売れらているようだ。


 視線を(めぐ)らせていると、あるものを見つけて敖丙はふと立ち止まった。


 栄えた大通りから少し路地へ踏みこんだところにある、小さな露店(ろてん)

 店先に並べられていたのは、なんと色も形も様々な花だったのだ。


「変な店だな。生きた花を売ってるなんて」


 哪吒が言うように、この国で花そのものを売るのは珍しいことであった。

 そもそも裕福な貴族は自分の庭を持っているし、農民は金をかけてまで草花を()でる余裕などない。

 乾燥させた花ならともかく、観賞用の生花の需要は少なかった。


 それでも敖丙が思わず足を止めてしまったのは、店先で堂々と咲き誇る花々の美しさに目を奪われたからだ。


 なかでも一際(ひときわ)目を引いたのは、白磁(はくじ)の花器で群れ咲く小さな花だった。

 紅、黄、白の花は八重(やえ)咲きで、(すべ)り落ちる水滴が星屑(ほしくず)のように(きら)めいている。

 どんな染料に(ひた)しても出せないであろう艶やかな色に、敖丙はほうと息を吐いた。


「きれいな花だな……」


 すると、すぐそばにいた店主が話しかけてきた。


「お客さん、お目が高いネ。これは菊の花だヨ。見たことないだろう?」


 流暢(りゅうちょう)ながらも少し(なま)りのある言葉遣いの店主は、変わった格好をした男だった。

 浅黒い肌を真っ白な布で包み、高い鼻と()りの深い顔立ちをしている。

 見る限り、この国の人間ではないらしい。


「おじさん、行商人?」

「その通り。楼蘭(ろうらん)から来たヨ」


 楼蘭とは、遥か西方の砂漠にある小国である。

 西域の国々との交易路の途上に位置し、この国との貿易も盛んだと聞いたことがある。

 そんな遠い異国の地からわざわざ花を売りに来たというのか。


 敖丙が不思議に思う一方で哪吒は花の方に見覚えがあるらしく、「菊ってこんなんだったか?」としきりに首を傾げていた。

 店主は(ほが)らかに笑いながら説明を続ける。


「この国では薬として使われることが多いからネ。華やかな花を咲かすなんて、みんな知らないのサ」


 どうりで今まで見かけたことがなかったわけだ。

 草花を生薬(しょうやく)として使うときにはたいてい乾燥させてから用いるから、水分が抜けて原型を(とど)めていないものも多い。

 これほどまでに美しく可憐(かれん)な花を咲かせる植物なのに、なんとも()しい。


 目の前にある菊はどれも瑞々(みずみず)しく生きている。

 寄り集まった菊の花は小ぶりだが、一輪でも十分に品格を感じさせた。


「それでも、冬になると全部散っちゃうんだろ?」

「いいや、そんなことないヨ」

「え?」

「菊の仲間はね、冬にも立派な姿を見せるんダ」


 そのとき、不意に店主が言った。


「正確には(くき)の話なんだけどネ。花が散ったあとも、茎だけは凛とした立ち姿を保ち続ける。寒い時期に他に植物はないから、それがよく目立つのサ。己のあるがままを受け入れる菊の花のようすは、詩にも残っているヨ」

「詩?」

「うん。(いわ)く、『草木が枯れる晩秋に(しも)を恐れず、高貴に(たたず)む枝』。ええっと、たしか……」

「――傲霜(ごうそう)()


 意外にも、店主の代わりに答えたのは隣にいた哪吒だった。


「そう、それそれ。よく知ってるネ、お客さん」

「……別に、花が詩に詠まれるのは珍しいことじゃねえし」


 感心したようにうなずかれ、哪吒はぶっきらぼうに言い返した。


 哪吒が詩歌にも精通していたとは知らなかった。

 驚きを素直に口にすると、彼は照れくさそうに笑いながら「一度だけ書物で読んだことある」と言う。


 おそらく敖丙が知らないだけで、哪吒は意外と勤勉家なのだろう。

 それはこれまでの言動からも(うかが)い知れたし、改めて実感した。

 敖丙は哪吒の新しい一面をまた知れたようで嬉しくなった。


 しばらく菊の花に見入っていた哪吒は、やがて思い切ったように懐から貝殻の貨幣(かへい)を取り出し、それを親指の先で真上へと弾いた。

 貝貨(ばいか)が宙を舞い、落ちて来たところを彼の手のひらが(つか)み取る。


「きれいだし、ひとつ買う」

「一輪貝貨七枚だヨ。いや、五枚でいいヨ」

「いいよ、とかいいながらそこそこ高えな!」


 文句を言いながらも哪吒はちょうどの額を払うと、黄色い菊の花を受け取った。

 お金があればよかったなあと思い、そのようすを遠くから眺めているだけでいると、彼もまたその視線に気づいてこちらを見る。

 そのままずんずんと敖丙に近づき、買ったばかりの菊を押しつけてきた。


「え、えっと。哪吒……?」

「それ、やるよ」

「えっ!? いいの!?」

「おう。大事にするんだぞ」


 にっこりと微笑まれて、敖丙もつられて(ほお)(ゆる)めた。


 初めて人間と心を通い合わせた瞬間だった。

 その笑顔にどれだけ救われたか、きっと哪吒は知らないだろう。

 種族も生きる世界も、何もかも違う自分に対して優しくしてくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。


 (つぶ)れないようにそっと菊を握りしめると、そのぬくもりがじんわりと心に染みる。

 ふたりは店主と軽い挨拶を交わして再び都を見て回った。


 水のように澄みきった秋の空が高く晴れ上がっている。

 黄色の菊は、黄金の花弁が陽光に照らされてとても(まぶ)しかった。


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