1 北部戦線の野戦病院
「雪だ」
その声に私は空を見上げた。
細かい白い粉のようなものが天から落ちてくる。
「パウダースノーね」
私は白い息を吐きながら言った。
辺りがざわつく。
「負傷兵だ! 負傷兵が運びこまれてきたぞ!」
ここは前線の野戦病院だ。
病院と言ってもテントを張っただけの簡素なものだ。
次々と負傷者が運び込まれてくる。
手や足を失った者、顔の半分が火傷で焼き爛れた者、腹から内蔵が飛び出している者。
衛生兵でさえも思わず顔を背けるような凄惨な状況だ。
普通なら、これだけの重傷者は、野戦病院とは言ってもテントだけのこんな施設では助からないであろう。
だが、ここには私がいる。
私がいれば、そこは病院と同じだ。
「聖女様! お願いします」
私は腹から腸がはみ出て、悶絶している兵士に歩み寄った。
「ヒール!」
私がかざした手から黄緑色の温かい光が出て、重傷者の体を光が包む。
腹の傷が消え、はみ出ていたはずの内蔵も、もう見えない。
「おおおおおおおおおおおお」
周囲から感嘆の声が響く。
私は周囲の称賛の声をよそに、昨晩、この最前線の野戦病院に到着した時のことを思い出した。
「あら、あなたが、補充の聖女?」
「はい」
「名前は野良だったっかしら」
「いいえ、ジャンヌです」
「あら、ごめんなさい」
聖女マリアンヌは見下した目で私を見て言った。
それもそのはずだ。聖女は基本的に聖女の家系からしか生まれない。そして聖女が生まれてくる家はたいてい貴族だ。
だが私は違った。
農奴の末娘だった。
5歳のときに両親の野良仕事を手伝っていたら、突然、光がほとばしり目が見えなくなった。
泣き叫んでいると、「大丈夫、怖がらないで」という声がした。
恐る恐る声のする方向に顔を向けて目を開くと、雲の上のような場所におり、眼の前には天使と女神がいた。
「あああ、うあああ」
言葉が上手く出ない。
「案ずることはありません。あなたは神に祝福されています。天使の加護があなたに与えられています」
それだけ言うと女神の姿が消え、天使もいなくなった。
気がつくと畑の中で私は一人で泣いていた。
両親が飛んて来た。
私が自分が見たことを話すと両親は驚き、私を教会に連れて行き、神官にそのことを話した。
「ジャンヌ、これに手をかざしてごらんなさい」
神官は両親の話を聞くと、水晶の玉のようなものを持って来て、私に前に置き、そう言った。
私が手をかざすと、水晶が輝いた。
「おおお、間違いない。女神の祝福が降りたのだ」
私は何のことだか分からなかった。
だが、そのまま私は教会に引き取られ、王都に送られ、修道院で聖女の修行をさせたれた。
まれに聖女を生み出す貴族の家系以外の者からも聖女が生まれることがあるのだという。だが、その場合には決まって、女神か天使が降りてきて、お告げをするのだという。私はそのケースだった。
そうして聖女として修道院で修行をしていたところ。海峡を挟んだ、隣国のエングラドが攻めて来たのだ。エングラドは海を渡った北にある寒い国で、南方にある農業国の我が国を、食料の確保のためいつも狙っていた。
そして、今日、私は初めて、最前線で聖女として負傷兵を癒やしているのだ。
私が次々と死にかけていた重傷者を治してゆくと、「すごい」、「噂には聞いてはいたがまさかここまでとは」という称賛の声がした。
横についていた聖女マリアンヌは唇を噛み締めて、恨めしそうな目で私のことを見ていた。
一通り、負傷者の治療が終わり、一息つこうとした時、伝令が駆けて来た。
「すぐに聖女を! 将軍が斬られた!」
周囲がざわつく。
聖女には戦闘能力も防御力も無い。本来はもっと後方に控えているべきなのだ。だが、戦況が厳しいため、最前線の野戦病院にまで来ている。しかし、本当の前線には出ることはない。さらに司令官である将軍が斬られるというのであれば、もう前線は崩壊して押されているはずである。そんな場所にゆくのは自殺行為だ。
「どうやら野良の仕事のようね」
聖女マリアンヌは私を見て言った。
「私が行くのですか?」
「そうよ」
「でも私は昨日来たばかりの新人です」
「あなたの力は、今、証明されたわ。悔しいけどあなたが、ここでは一番よ。だから将軍を治療するのは、あなたよ」
伯爵令嬢の聖女マリアンヌはそう言いながらもちっとも悔しそうな顔をしていなかった。むしろ、ざまあみろと笑っているように見えた。
「とくにかく、すぐに来て下さい」
私は兵士に腕を引っ張られた。
転ばないように、私も駆け足になった。
振り向くと、マリアンヌたちは撤収の準備をし始めていた。
(いったいどうなるの?)
農奴と修道院の生活しか知らず、回復魔法しか使えない私が、最前線に出て、生きて帰れるのだろうか。
だが、逃げるには「時すでに遅し」だ。
怒号や罵声が飛び交い、血煙が上がる戦場がすぐ目の前にあった。
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