V
麻菜は、保健室で正木と交わした最近の会話を思い出していた。
『その目の下の隈、よく眠れてないんじゃありませんか?』
『血行不良なんです』
『でも、私、見てしまったんです。君、遅くまで学校に残って何かしているでしょう?』
『結構不良なんです(笑)』
当時の麻菜は聞き流したことだが、正木はある日の放課後、麻菜が旧校舎に向かうのを目撃したそうだ。
正木は元来異常なほど仕事熱心でそれを苦に思わない。彼は夜遅くまで帰らない麻菜を心配し、麻菜が旧校舎で何をやっているのか確かめようとしたのだ。
旧校舎の中を覗くには、角度や高低差の関係から、運動部棟の三階最東端の部屋が適していた。正木は人気のない時間に目的の部屋に侵入するため、運動部棟を自由に出入りできるマスターキーを欲した。
若い男のカウンセラーという立場から、女子生徒の事情や噂話には詳しかった。彼は青柳を協力者に選び、犯行の計画を立てた。
尤も、彼自身は全ての行為を「犯行」とは認識していない。青柳は彼に脅されたと言っていたが、本人曰く、非行を律したに過ぎないそうだ。
彼にとっては、全てが仕事のうちであったのだ。「カウンセリングが必要なのはお前だ!」とククリは叫ぶ。
麻菜はすぐさま「ストーカー被害にあった」と父へメッセージを送った。正木の処遇について、まだ父からの連絡はないが、あれ以来、正木が麻菜を訪ねて保健室に来ることはなくなった。
数日後、二階堂と実瑠玖が青柳を連行して旧家庭科資料室に訪れた。麻菜とククリにお礼をしに来たと言って、オンラインで使えるギフトカードを手渡してきた。現代っ子である。
しかし、麻菜はその礼品を下げなく押し返した。
「うちは非営利だって言ったでしょ」
「でも、何も渡さないわけにはいかないだろ」
あまりに釣れなく答えるので、見かねたククリが「貰っておきなよ」と言っても、麻菜は首を横に振るばかりだ。
「ククリが、わたしの能力は凄いと言ってくれる」
麻菜は言う。その目を見たククリは、もうお手上げというように肩をすくめ、ギフトカードをそっと返した。
「私が活動する動機は、正木先生と大して変わらない。誰かの失くしものを見つけるたびに、わたしは自己肯定感を貰っているのよ」