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 しかし、時刻は既に十九時を過ぎ、運動部棟の正面玄関は施錠されてしまっていた。十八時半で部活を終えよという規定がある妙塩高校では、この時間、運動部棟に限らず、体育館棟にも自由に入れない。


「もしかして、マスターキーは正面玄関も開けられるんじゃないの?」

「確かに。黒幕は、生徒が居なくなった夜の運動部棟に忍び込みたかったのかな?」


 なんとかドアを開けられないかと苦心しているところに、ククリのスマホが実瑠玖からの電話を着信した。


『先輩、やっぱり青柳さんが犯人でした! 二階堂先輩が青柳さんをすごく詰めてくれて、今職員室に呼び出してます!』


 電話越しに、遠く青柳の涙ながらの懺悔が聞こえた。その音質の荒さからして、二階堂のスマホのスピーカーを通して聞こえてくる声だと思われた。


『ごめんなさい、ただ課金する金が欲しかったんですぅ! 塾をサボってバイトしてたのが見つかって脅されて、言う通りにしたら許すって言うからそれで!』

『お前オタクなだけで真面目なのに……誰に脅されてやったんだよ』

『スクールカウンセラーの正木一(はじめ)先生です』

「スクールカウンセラー?」


 ククリが素っ頓狂な調子で繰り返した。正木といえば、麻菜によくちょっかいをかけている、あの男性カウンセラーだ。


「確かにスクールカウンセラーなら授業時間に縛られない。昼休み後、プールに鍵を投げ込みに来る暇は十分にあるわね」


 麻菜も頷いたところに、聞こえてきた青柳の呟きが場を緊迫させた。


『正木先生は、マスターキーが手に入ったらすぐに行動を開始するって言ってました。今、ちょうど運動部棟にいるんじゃないですかね……もし捕まえるなら――』


 青柳が厚顔にも共犯者を売っている。麻菜はそれを皆まで聞かず、鬼気迫る様子で運動部棟正面玄関を振り返った。


「ねえククリ。この自動ドアのガラス、割って」


 麻菜が言い放った言葉に、ククリは危うく眩暈に倒れるところだった。ククリがニヤニヤしながら麻菜を見る頃には、器物破損を教唆した本人は既に自動ドアから十分な距離を取っていて、可笑しくなるほど“やる気”満々である。


「え、いいの? あたしホントにやっちゃうよ?」

「構わないわ。どうせ弁償するのはパパだし」

「ごめんね麻菜のパパ~、恨むなら天運を恨んでね!」


 楽しそうに声を上げて笑ったククリは、懐から銀のテーブルナイフを一本取り出した。それは旧家庭科室から拝借したもので、一連の黒幕を警戒して持ってきたものだ。ククリはナイフを右手の人差し指と中指の間に挟むと、自動ドアに向けて真っすぐに投げた。

 ナイフはガラスの中央に刺さった。ガラスの表面に蜘蛛の巣のような亀裂が生まれ、粉々に割れて崩れ去る。ガラスが弾ける音と、実瑠玖の悲鳴が共鳴した。


『なんですか今の音は!』

「麻菜が自動ドアを割った。近くに先生いたら早めに謝っといて」

『自動ドア割った!?』

「大丈夫! 麻菜のお父さんは学校の理事長だから」

『えッ』


 言い終えて、ククリは電話を切った。麻菜が先行する形で運動部棟に入り、階段を駆け足で登っていく。


「正木の奴がどこにいるかわかるの?」

「部室棟に限らず、この学校で犯罪者に狙われるものなんて一つしかないわ」

「理事長の命?」

「パパなんか狙ってどうするの。でも近いわね。パパのコレクションよ。部室棟にあるもので言えば、三階廊下の西洋画。あれは本来、講堂に飾るものだったけど、置き場がなくて運動部棟に放り込まれたの。マニアにとっては価値がある絵らしいけど、今の状態は完全に宝の持ち腐れよ。怒りで盗みたくなる人だっているかもしれない」

「あのカウンセラーってマニアなの?」

「知らない。でも部室棟には、他に目ぼしいものなんてないわ」


 

 二階から三階に向かおうとしたその時、途中の踊り場に人影が見えた気がして、ククリがナイフを振り投げる。やはり、階下に向かおうとした何者かがいたようで、ナイフはその人物の腕を掠めて血を飛び散らせ、床に突き刺さった。驚いた人影は踵を返し、三階へ戻る。


「急いで!」


 ナイフを拾うククリに声をかけ、麻菜は一足先に階段を駆け上がる。ククリもすぐに追いついて、二人は揃って運動部棟の三階に辿り着いた。しかし、階段から左右に伸びる縦長の廊下を順繰りに見てみたが、正木と思われる人物の気配はない。


「マスターキーを持ってるんでしょ。どこかの部屋に隠れたかな」

「……わからない」


 麻菜は辺りを見回し、ふとククリが持つ血濡れたナイフを見た。ぐっと奥歯を噛みしめ、そのナイフを握った手首を取る。

 ククリが小さく怯えたように言った。


「麻菜?」

「わたしの共感覚の条件は、他人との『同席』。その同席の範囲って、どの程度許容されると思う?」

「どういうこと?」

「彼は腕を怪我した。応急処置として患部の地を口で吸い取る可能性は十分にある」

「嘘でしょ、麻菜。やめときなよ!」

「ククリ」


 麻菜はククリの手首を引き寄せ、ナイフを口元にぐいと近づけた姿勢のまま、ククリの瞳を真っすぐに見つめた。薄暗い廊下において、銀色の刃が鏡のように麻菜の白い肌を映して、一か八かの決意はククリにだって止めようがないことを悟らせた。


「しょうがないな」


 ククリはナイフを傾け、麻菜の唇に赤い血が滴るようにしてやる。二人の声が重なった。


「BITE」


 瞬間、麻菜の瞳の中で犯人の逃走の記憶が再生される。麻菜は東を向いて声を張り上げた。


「一番奥の部屋よ!」


 ククリが飛び出し、麻菜が示したドアを蹴り飛ばす。数回蹴ると鍵の部分が歪み、なんとか開くことができた。

 その角部屋は複数の運動部が使う雑多な倉庫で、事件の黒幕は窓際にしゃがみこんで情けなく震えていた。その窓には望遠鏡が設置されていて、北に位置する校舎の裏側を見通し、旧校舎のとある一室を臨ませている。


 その窓の光景を見て、麻菜は呆然と呟いた。


「犯人の狙いは、何かを盗むことじゃなくて……旧家庭科資料室に居るわたしを、盗み見ること?」

「ヒャアアアアア!!」


 なんのつもりか、床に転がった正木一は情けなく悲鳴を上げた。それは明らかに麻菜の呟きを肯定していて、絶句する麻菜に代わって、ククリの卒倒しそうな叫び声が上がった。


「はあああああ!?」

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