Ⅱ
『テーブルマナー』の卓条麻菜とは、とある特殊能力で捜査する失せ物専門探偵である。その特殊能力とは、「同席した人が最後に食べたものと同じものを食べると、その時の食事風景を幻視することができる」というもの。
その活動は、全てが非営利だ。
「今、バイトって言いました?」
保健室から出てきたスクールカウンセラーが、戸口に立ったままククリにそう問うた。
「いえいえ、BITE、食べるって意味ですよ。また麻菜に付き纏ってるんですね、正木先生?」
「なんて言い方するんですか。私は彼女を心配しているだけですよ。彼女を特別扱いしないようにと理事長からも言われていますし」
「へぇ?」
「この学校、バイトは禁止ですからね、三徳さん」
ククリは、去り行く正木の背中に舌を出してから保健室に入る。養護教諭は昼休憩で席を外しており、室内には膨れっ面した麻菜が、奥のベッドに座っているのみだった。
「あいつまた来てたんだ。災難だったね、麻菜」
「嫌よ、あの人。カウンセラーの癖に共感覚を信じない。わたし、別にクラスで浮いてるから保健室に居るわけじゃないわ」
麻菜はその能力から、他人と食事をすることにリスクがある。そのため、昼休み中は決まって保健室に避難していた。本来なら旧家庭科資料室を使いたいが、昼食のためだけに移動するには少し距離がある。あの古建物は新校舎北側の山の斜面にあるのだ。
「いいからお弁当を……あら」
麻菜は、ククリの手にあるランチバッグに目を遣ったところで、戸口で所在なげに佇む女子生徒に気づいた。ククリは、その子犬のような瞳の少女を手招きし、麻菜の前に進ませる。
「お昼の前に、依頼だよ。この子は水泳部一年の白田実瑠玖。つまり、あたしの部活の後輩」
水泳部室の鍵が、紛失したそうだ。
「部室の鍵は部員が週替わりで管理していて、今週はわたしが当番なんです。なのに、さっき学食に行こうと鞄を開けたら、財布と一緒に入れていた部室の鍵がなくなっているのに気づいて。もしかしたら、昨日部室の中に置きっぱなしにしたのかもって、探しに行ったんですけど」
妙塩高校の水泳部室は、体育系部室棟の地下にある。その通称運動部棟の南側には、三階建ての体育館棟が併設されていて、体育館棟の一階は講堂、二階は武道場、三階が屋内運動場、地下にあるのが屋内プールだ。水泳部室へは、運動部棟正面玄関を入って地下に降りる道だけでなく、プールサイドから繋がる二棟連絡通路からも出入りすることができる。
実瑠玖は鍵を探して、運動部棟の部室の扉とプールサイドにある連絡通路の扉、その両方から部室への入室を試みた。しかし、二つの扉はどちらもオートロックで施錠されて開かなかった。元々、鍵は入室時にしか使わない仕様なのだ。
「部員の皆にも、鍵に心当たりがないか聞いて回りましたけど、当然、誰も知らなくて。最後にククリ先輩へ聞きに行って、麻菜先輩の話を聞いたんです」
「というわけで、今日のお弁当は実瑠玖が食べた朝食セット、ハニートーストとヨーグルトの完全再現です」
ククリが麻菜に手渡した弁当箱には、たっぷりの蜂蜜とバターを乗せたトーストが艶やかに輝いて詰められていた。
「保健室に来るのが遅かったのは、これを作っていたからなのね」
「味の聞き取り調査に手間取ってね」
ククリは茶目っ気たっぷりに一言謝ると、麻菜と二人、声を合わせる。
「BITE」
ハニートーストを齧り、麻菜の眼前に広がったのは、実瑠玖が家の食卓で母と共に朝食を食べている光景だった。彼女は既に制服に着替えていて、リビングの戸口には通学用の荷物を準備している。
「『鍵は財布と一緒に入れていた』。これは鞄のポケットなどを使って、教科書等とは分けて入れていた、という意味ね。おそらくエナメルバッグの前ポケット。当番制で鍵を管理するなら、紛失防止に大きめのキーホルダーなどを付けていた? バッグの前ポケットが、一部膨らんでいるのが見える」
「あ、当たってます」
「ということは、今朝までは確かに鍵を持っていたということね。失くしたのは午前中のうち。ところで、鍵が見つからないなら、今日の部活はどうなるの?」
「顧問の浮嶋先生には報告していて、しばらくはマスターキーで凌ぐって言ってくれました」
「そう。なら放課後、ゆっくり探しましょう。あなたも昼食をとらないと、昼休みが終わってしまうわ」