終わり
「初めまして、九藤歳明と申します」
「初めまして、八幡明恵です。もう聞いたかもしれないけど、明子の妹です。今回は随分ひどい目にあったと聞きました。うちはそんなことないから安心していいわ」
「そうなんですか。正直、人間不信になりそうだったのでそう言ってもらえると嬉しいです」
「あなたの仕事ぶりは姉さんから聞いてるから期待しているわ。とりあえず今日は仕事の説明をするからついてきて頂戴」
「八幡さんがしてくれるんですか?」
「ええ、他の子にも紹介したいしあんまり時間はかけないから大丈夫よ。それと明恵でいいわ」
「わかりました、明恵さん」
そうして明恵さん自ら仕事場と仕事の説明をしてくれた。何人かのバイトっぽい人に挨拶したがみんな和気あいあいとしていて和やかな雰囲気だった。はっきりとした挨拶、綺麗な笑顔、あそこではバックヤードで挨拶するのなんて脅しに来た店長だけだったし、笑顔なんておびえ交じりのひきつったものしか見たことない。スーパーでこんな雰囲気など一度も見たことがなかったというのにここは本当に同じ世界なのだろうか。スーパーからはそこまで離れていないはずなのだが。
「とりあえず今日はこんな感じかしら。そしたらスケジュール確認したいから連絡先教えてもらえる?ありがとう。とりあえず明日は来られるんだもんね?じゃあ、あしたから頑張ろうね!」
「え?帰っていいんですか?」
「もちろん。今日のあなたの仕事はみんなへのあいさつと仕事の多少の理解よ。もうすることはないから今日は帰ってゆっくり休んで頂戴。うちはそれなりに忙しいんだから明日から頑張ってね」
「わ、わかりました」
帰されてしまった・・・。どうしよう、「なに帰ってるのかしら、勤労意識が足りないわね」とか言ってクビにされないだろうか。なんか不安になってきたので一応連絡しようと思い、携帯を開く。すると、明恵さんからは叱咤激励の連絡が来ていた。どうやらクビにされてはいないようだ。一安心していると明子さんからは電話が来ていた。どうやら帰りは不安でいっぱいだったので気づかなかったらしい。一応折り返しの電話をするとすぐに出てくれた。
「歳明くん?今日は明恵のところに行ったんでしょ?大丈夫だった?あそこよりはずっとマシな環境だと思うんだけど」
「心配ありがとうございます。マシどころか天地ほどの差がありますよ。罵倒も嫌味もないし、みなさんなんだか楽しそうに働いてます」
「・・・そっか。よかった。悔しいけどうちより整った環境だしお給料もいいからね。それでね、あの店長なんだけどね、横領してるのよね。歳明くんに気づかれたと思って急にクビにしたみたい。もう証拠もあるからちょっと明日に家まで来てもらえるかしら。何となく外は怖くって。住所はもう送ったから」
憧れの明子さんからのお誘いで、舞い上がりながら明子さんの家に向かう。明子さんの家の近くでは工事をしているのか、マンホールが開いたままになっている。幼いころ、排水溝に落としたお気に入りだった人形をなぜか思い出して、なんだか嫌な気分になる。せっかく明子さんに会うというのに暗い顔は見せたくない。嫌な気分を振り払っていると、道路の向こう側で明子さんが手を振っている。どうやら途中まで迎えに来てくれたようだ。なんだか焦った顔をしているような。
指が上を指している。
上?そういえばなんだか暗い。
上から落ちてくるのは、鉄骨?
大きな音を立てて、道路を挟んだ彼に鉄骨が落ちてくる。あちらこちらに飛び散った血が、腕が、足が、恐らく彼はもう生きていないことを如実に物語る。その場に悲鳴が響き渡る。いや、それは自分の口から出ているものだ。知らず知らずのうちに頬をかきむしる。目の前で飛び散った彼は恋人ではないし、恋人未満でもない、職場でよく働いてくれるから目をかけているだけの知り合いだ。だがそれが余計に、脳が事実を冷静に処理しようとする。中途半端に冷静な脳内は目の前の彼だったものの一つ一つを子細に記憶に焼き付けていく。腕から飛び出た骨を、まだ消化されていないのか腹のあたりからこぼれ出る焼きそばのようなものと血が混ざったにおいを、目が、鼻が、受け止めたまま無慈悲に記憶に放り込む。いくら映画やらドラマやらで見たことがあるといっても本物のそれには遠く及ばない。
そしてそれらが彼女の理性を完全に削りきってしまうのに要した時間はほんのわずかであった。半狂乱になった彼女が飛び出したのは目の前の道路。開いていたマンホールはなにも言わずに彼女を呑み込んだ。
飽きた