奪還
たとえ表立った種族差別のない人族の国であっても、サイレンだけでは、行方不明の同族を当該地の官憲に捜索して貰うことは難しかった。
庶民同士の案件であったなら一応捜してはくれただろう。しかし、そのサイレンの場合、拉致監禁犯は貴族だ。それも、町でそれなりに権力のある。更には跡継ぎを過剰に甘やかす類いの親でもあり、息子の犯罪行為を犯罪とは思わず、当人の認識とのずれを承知で誤解を解かないまま愛玩動物扱いで放置、隠蔽に加担していた。
この事実を官憲が察するのは容易い。何故なら、捜査に本格的に着手する前に圧力が掛かるからだ。そして、被害者が他国人、更には縁の薄いサイレンでは不満を燻らせる正義漢は稀だ。身分制社会で一生を過ごす者に蔓延る諦念は如何ともし難い。
サイレンが国家を築いているのであれば、取れる手立ても他にあったかもしれないが、彼女達は群れで生活し、群れ同士の連帯はない。一つの群れ自体もさほど大きくはならない。
個人に毛が生えた程度の小集団、それも庶民の集まりでは他国において、しかもその地の貴族に対抗することはほぼ不可能である。
正攻法で当たるなら。
女のみのサイレンの伴侶は全員他種族だ。
職業も様々、年齢も様々、そして立場も能力も様々だ。
サイレンの自由に(合法的に)出入り出来る範囲の問題で圧倒的に相手は庶民が多いが、中には権力を持つ者もいる。地位はなくとも魔法に精通している者もいる。
そして、彼らが遵法や倫理に重きを置かない者であれば、こうした状況の時、事は迅速に進められる。
「二度とあの町、ってか、国でもいいが、行かなきゃいいだけの話だからな」
連れ合いのサイレンから相談を受けたクェジトルの男は、円環列島へ帰る前のひと手間くらい何てことはない、と安易に請け合った。
件の町で騒動を起こし、所謂指名手配をされたところで、痛痒は欠片もない。一生追われる身になる? 今も大して変わらない。クェジトルは訳ありの者が多い。そして、その "訳" が深淵の許容範囲内である事実以外は取るに足らない。
拉致監禁被害者を救い出す行為がその許容範囲に入ると目することは、一歩間違えればクェジトルであることの意味を履き違えた増長にもなり得、危険な判断ではあるが、楽観的な男はあまり深く考えていなかった。
経験則から、まあ大丈夫だろ、くらいのお気楽さである。
「深淵の価値観を安易に測るべきではない。最低でも死者は出すな」
町を見下ろす夜の丘に立って、クェジトルの男の隣で苦言を呈するのは外套に身を包んだ魔術師。こちらはクェジトルではないが、利害の一致で共闘することが多い為に気心の知れた間柄だ。両者を最初に結び付けたのは勿論、互いの伴侶だ。
しかし、クェジトルでない者にクェジトルが深淵を侮るなと忠告されるというのも愉快な構図である。
これがこの二人の常態だった。
「分ーってるって」
「……本当に大丈夫なの……?」
男の傍らで不安そうに見上げるサイレンの危惧は、男の身を案じてか、事を起こした後の自分達の身を案じてか、そのどちらもか。
「調べたところ、権力があるといっても非合法に拉致監禁した他種族の奪還の腹いせを大掛かりに行えるほどの非常識な力はない。秘密裡に差し向けられる危険は今までと大差ない。地の利のあることに驕らず、今まで通りの警戒を怠らなければいいだけだ」
「卵を盗みに来る奴らって 後を絶たないもんねー」
魔術師の淡々とした回答に同意するサイレンは、うんざりした態を特に強調したしかめっ面でうんうんと頷く。
「問題は拉致監禁犯の執着でしょうか」
四人の後方に控えていた偉丈夫が、やや緊張した声音で別の懸念を口にする。
この男もまたクェジトルだ。但し、先の男とは面識があるだけで組んだ経験はない。縁がなかったというだけで反りが合わないわけでもなく、今回のタッグにどちらも否やはない。
「かなりしつこい男らしいね」
偉丈夫の傍に寄りそう勝気な表情のサイレンが、眦を吊り上げて拉致監禁犯の性状に言及する。
「なーんか、ヤる気はないらしいのにべったりなんだと」
比較的汎用な人間の三大欲求に忠実な男は訳が分からん、と零して肩を竦める。
あくまで犯人の周囲の人間から聞く限りの情報で、実際にその様子を見てはいない為、確度は測り難い。
ただ、事実であれば、被害者を奪還した後も執拗に拉致を仕掛けてくる可能性があり、厄介なことこの上ない。
「だからって始末するのは無しなんだよな?」
いっそと滲ませて魔術師に確認すれば、断固とした頷きを返される。
「めんどくせえ」
しかし、言葉ほどには暗殺に固執しているようでもなく、そう腐しながらも男の顔は笑っていた。
「まあ、いい。行こうぜ」
特に男をリーダーとしていたわけではないが、残る全員、声掛けと共に歩き出した男の後へ無言で続いた。これから何をするつもりなのかを思えば、気を引き締めるだけで、戯言にも反発を口にしようという気になれなかっただけだった。逆の立場であれば、男はお道化るくらいのことはしたかもしれないが。
* * *
不穏な遣り取りを経ての奪還劇は、しかし限りなく地味に遂行された。
町の誰も、貴族の邸宅で行われた不法侵入や被害者の脱出を知らず、その後、貴族の跡取りが起こした犯罪を知ることもなかった。
全てが闇の中。
犯罪者は裁かれず、今尚、自由だ。
そして、被害者も自由だ。
両者の攻防の行く末は……誰が決着させるのか?
拉致監禁犯とニアミスした魔術師が、その身に掛けられた魔法に気付くことはなかった。
違和感を抱くことすらも。
掛けた当人が、いいほど時が経った後におしゃべりな精霊からその情報を齎され、安堵したのは言うまでもない。
当然と思えるほどの楽観(自信ではない)は、彼女には縁遠い。
「辜負族をうっかり殺しちゃったってくらいなら、結構ゆる~い裁定されたんじゃないかなあ。寧ろ辜負族以外にうっかりしちゃった時の方がマズかったんじゃね?」
「それが、彼らには分からないことだ、って自戒を促したんでしょう」
「そこで最低辜負族は殺すなってなるところがダメなのになあ。自分達の法や倫理にしか顔を向けてないから、対深淵の意味での自重しろーだったんなら忠告になってないよ」
「クェジトルがそれを言ったのなら問題だったでしょうけど、クェジトルでなければ、辜負族では多数派の思考なんじゃないかな……」
「あーまーそっか。だからクェジトルにはなれない」
覚書
クェジトルの男 ビーワッケン
上記の伴侶のサイレン リュエメノエナ・セルサニル
魔術師の男 ラユリード・ジツァニュアグ
上記の伴侶のサイレン カヴェラニカ・ファーヴラン
クェジトルの偉丈夫 ソギーマーナフ
上記の伴侶のサイレン ルラヒナカ・ファーヴラン