35. 疎開、種の保全
35. 疎開、種の保全
日本経済が活力を取り戻した影響は欧米各国にも波及し、世界はおおむね落ち着いた経済発展を続けている。資源輸出各国も、日本は契約途中で一方的に契約を反故にするような国ではないと信頼しており、契約期間中は引き続き日本が資源を買い取ってくれることについては心配していない。また、そういった国々に対し、ODAを強化していく方針を日本政府は表明している。
俺はアギラカナでの緊急会議を終え艦長私邸と言う温泉旅館で息抜きをした後、地球に戻ってきており、今は大使館の執務室で状況を秘書室の面々に説明しているところだ。一条は七階に行ってここにはいない。
「……そういうわけで、今回のゼノの一群については、対処できそうだ。ゼノがどこまで浸透しているかわからないので、恒星間空間の探査を最優先に進めて行くこととしたが、今はアギラカナや太陽系の近くに他のゼノの集団がいないことを祈るだけだな。アギラカナはまだしも太陽系で地球を背にして戦うのはかなり厳しい。地球がゼノの衝突を一撃でも受ければ、人類は絶滅だ。一匹のゼノも取り逃がせないからな。
アギラカナの位置は幸い恒星同士を結ぶ最短パス上に無いから、ゼノの通り道にはなりにくい。だが、太陽系はそうじゃない。最悪、地球人をアギラカナに疎開させる必要が出てくる」
「地球人を疎開させるとして、対象はどうしましょうか?」
「まさか日本人限定とはいかんだろうが、どうしたもんかな。そもそも七十億の地球人全員を一、二年でアギラカナに疎開させることが物理的にできるのか?」
「二年あれば物理的には可能です。しかし、コアが同意しない可能性があります」
「どういうことだ?」
「艦長にはお伝えしていませんでしたが、日本人と他の地球人を比較した場合、アーセン人の遺伝情報が日本人は突出して多いのです。コアからすると、日本人をアギラカナに収容し保護することは許容するでしょうが、それ以外となると逡巡すると思います」
「そうなのか。俺が言ってもダメなんだな?」
「通常アギラカナ・コアと一口に言っていますが、実際はプライマリーコアとセカンダリーコアの二つからコアは構成されています。マリアはセカンダリーコアのアバターで従来通り艦長の指示に従うと思います。
それに対して、プライマリーコアには人格は無いと言われており、アギラカナを管理運営するセカンダリーコアに対し強い影響力を持ち、独自の判断基準に従ってそれを行使する場合があります。プライマリーコアは生物で言うところの本能のような物と考えても良いでしょう」
「アギラカナの本能か。赤の他人に軒先を貸したくないわけだな。なんとなくだが理解した」
「さらに言えば、我々が脅して地球の方々を連れ去るのなら短期間での疎開は可能でしょうが、各国政府を通してなら実質不可能でしょう」
「そうだろうな。自分の利益を大事にしすぎる人間が上に立っている国が多いからな。そういったやからは、地球が危なくなるのなら、俺を一番に疎開させろ、俺を特別待遇にしろとか言いだすだろうしな。
行った先でも人種が、民族が、宗教がとか言いだすヤツも出るだろうし。そっちは追々考えよう」
無駄に不安をあおる必要はないので、疎開については、ゼノが太陽系を目指していることが確定したあと具体的に動くことにすればいいか。
幸運なことにエリダヌス座イプシロンI星系を除き、いまのところ太陽系近傍の星系でゼノは発見されていない。ゼノが近傍の恒星間空間に潜んでいるにせよ、アーセンを襲ったほどの超大型の集団である可能性はかなり低いと考えられる。
これから先、探査範囲が徐々に広がっていく中で、そういった大集団を発見する可能性はあるが、太陽系までの距離があれば、その分時間的余裕が生まれる。ゼノを迎撃するのか。迎撃不能ならば地球からの疎開をどうするのか? そういったことを考える余裕は十分あるだろう。
仮に地球側の問題が全て無くなって、アギラカナに人類を疎開させたとしても、いきなり、土地はいくらでもあるから勝手に畑でも耕していろとは言えないし、何をしでかすかわからないような連中をアギラカナに連れて行きたくもない。
いっそのこと、地球人用に都市型の宇宙船を作ってしまおうか。船殻無しの宇宙船なら、大きなものでも比較的容易にできるだろうし。現に月のAMRも短時間で出来たしな。埼玉県の蕨市の人口密度が一万五千人だそうだ。ある程度の高さを持った空間で広さが三十平方キロもあれば、五十万人は詰め込めそうだ。
あの、チューブ入り栄養食に耐えれるのならばそこでの生活は可能だろう。全人類七十億を詰め込むにはAA-0001並みかそれ以上のものを一万四千隻用意する必要がある。これはさすがに戦力増強中のアギラカナではかなり難しいだろう。日本人限定のだと今の人口が一億二千万人で二百四十隻。これなら無理をすれば物理的には何とかなりそうだ。
あと問題なのは、日本に限ってもゼノが来たから宇宙に逃げろと言って、一体いくらの人が信じるかということだ。日本政府でさえ腰を上げるとは限らない。もし俺が日本の総理大臣だったとして、自国民に今いる場所を捨ててどこぞの見知らぬ場所へ行けとは言えないし、国民も、はいそうですかとは言わないだろう。いくら、エリダヌス座イプシロンIaの悲劇を映像で見せてやったところでCGか何かと思うに違いない。逆の場合だと最悪パニックも起こりえる。
ここ十年二十年ではゼノが現れない可能性の方が高いだろうが、だからと言って安心するわけにはいかない。現に太陽系から十光年の距離まで迫ってきているのだ。早いか遅いかの違いしかない。ゼノの衝突を一撃でも受ければ惑星の地表は荒廃、複数の衝突を受けてしまえば惑星そのものが崩壊してしまう。地震が来れば数百万人は被災すると分かっていても、住んでいる場所を離れられないのが人間だ。一人でも多くの人間を救うための武力を含めた最終手段は考えておく必要がありそうだ。
帰るあてのない疎開は、疎開とは言えない。大脱出だ。最悪脱出が間に合わなくなったとしても、既にAMRで観光客の精密生体情報を多数得ているから、人類の種の保全という意味では何とかなるだろう。まあ、俺の生きているうちにそんなことが起こることはないだろうから、その辺を深く考えるのはよそう。人以外の種の保全は時間がかかりそうだから、そっちを先に考えていく方が有益だ。
「アイン、動植物のクローンは生体情報さえあれば、何とかなるようなことを以前聞いたような気がするが、どうなんだ?」
「はい、簡単に複製であるクローンも、さらに、情報を最適化して、より目的に合った生物を作り出すことも可能です」
「そんなに簡単なのか。それでは、アイン、生体情報から動植物の複製がいくらでもできるということは、人の精密生体情報からクローンのようなものは作れるということか?」
「技術的には問題なくクローンを作成できますが、アギラカナ憲章でも生体情報のみからの人のクローン作製は禁止されています。
地球人を人と見なすかどうかは、プライマリーコアの判断となります。アーセン因子の多い日本人は確実に人種と見なせされますが、その他の地球人は、人種と見なされない可能性が高いので、クローン作製は可能でしょう」
「地球人類のことは、ゼノの危機が本当に訪れた時に考えればいいだろう。あとは、地球上の動植物の種の保全だな。ノアの箱舟じゃないが出来るものなら何とかしたい」
「地球上の種の総数は一千万ともいわれていますから、取捨選択は必要と思います。しかし、人以外なら、受精卵や種子と言ったものにこだわる必要ありませんから、生体情報を読み取るだけで複製は可能です。問題は、世代間で情報のやり取りが必要な高等生物をどうするかですか」
「???」
「例えば、自然界の肉食動物の子は、親の狩りを見て狩りの仕方を学ぶといったことを行っていますが、複製した個体には親はいませんので情報伝達の再現が難しいと思います。生体情報があれば何度でも複製可能ですからそのうち独自に自立できる個体が現れるかも知れません」
「うーん、それなりに問題はあるわけだな」
動植物の生体情報の採取はすぐにでも始めたいのだが、具体的な方法を思いつけない。とりあえずは、日本国内の動植物から始めるわけだが、宇宙から来た知性体が地球上の生物の生体情報が欲しいと公にするわけにもいかないし、そんなことをすれば誰だって警戒するだろう。理由も言えないし悩むところだ。
なんとなく、地球上の生物の種を保存した方がいいと思っていたが本当にそうなのか? 絶滅しかけの朱鷺なんか保護する必要があるのか昔から疑問に思っていたがどうなんだろ。
食用になるもの、人の生活に利用できるもの、そしてそれらを維持するために必要なもの。そんなんでいいんじゃないか。失敗してもやり直しがきくようだし。
「アイン、動植物の生体情報取得の件なんだけど、何かいい案はあるかい?」
「生体情報の精密読み取りは、あまり遠距離ではできませんから地道にドローンを飛ばして情報を拾っていくしかなさそうです。水中の生物も必要でしょうからかなり大掛かりになるかもしれません」
「やはりそうか。何機かそういったドローンを作って様子を見るか。アイン頼めるか?」
「了解しました。何機か作成させます」
「目立たないようステルスモードでな」
「了解です」
真面目な話を秘書室のみんなとしていたのだが、空気を読まない一条が七階から戻って来た。部屋の雰囲気がいつもとが違うことを珍しく察知したらしい。
「先輩、何かあったんですか?」
「特に何もないぞ。そういえば一条、月の視察はどうだったんだ? かなり楽しんでたようだな?」
「いやー、楽しかったです。はっはっは、は?…はっ!。いえいえ、一生懸命視察してきました。後でレポートに纏めて報告します」
こいつ目線をそらしてるぞ。
「レポートには及ばない。そういえば一条。お前には言っていなかったが、お前の親戚の叔母さんだったか、その人に日本政府が警護の人を付けてくれてるそうだぞ。これで安心だろ」
「そうだったんですか。今まで全然気にもしてませんでした」
「おいおい、お前はいっぱしのVIPだぞ、V・I・P。自覚しろよ。そういうことで、お前が出かけるときは、うちの方からも常時二名の警護をお前に付けてるからな。警護中は、対象の行動は次の警護に役立てるため逐一記録にも取ってるぞ。これも言ってなかったか」
「い、いつからですか?」
「お前が、俺のスカウトに応じた時からずっとだ。お前が月に行った時もこの大使館を出たところからずっとお前の近くで警護してる」
「『逐一記録』、……!」
赤い顔をして一条が走って逃げて行った。
【補足説明】
個人を特定できる精密生体情報による人の複製、生体情報クローンの作製はアーセン憲章では厳しく禁じられていた。そのため、アギラカナではアーセンより脱出した時、アーセン人の受精卵だけを保持し、アーセン人のクローン作製を可能とする個人を特定できる精密生体情報を保持していなかった。アーセン憲章を土台にして作られたアギラカナ憲章でも生体情報のみからの人の複製は禁じられている。
人類には強制連行以外だと疎開なり大脱出は無理じゃないでしょうか。世紀末覇王みたいなのも出てきてヒャッハーしそうですし。




