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悪魔殺しの猟犬  作者: 鮫トラ
第一章 命の首輪
9/21

八匹目 狙われる心臓




 悲鳴にも似た音が響く。硬いものをなにかで引っ掻いたような高音。思わず耳を塞ぎたくなるようなそれに顔を顰めていると、森に続く村の出入り口から黒く大きな物体が入って来るのが見えた。

 黒い煙のような醜悪な魔力をまき散らしながら入って来たそれは――魔獣だ。気付いた村人が悲鳴を上げる。すると、それは連鎖し、村に悲鳴が響く。


 なんで、魔獣が。女神像が村の出入り口にある限り、魔獣は入ってこれないはずなのに。そこまで考えたその時、ミューリスの背中をクティトが軽く叩いた。

 触れられたそこが酷く冷たい。まるで、氷にでも当てられたかのようだ。


「アンタは村人を避難させて。余裕があれば棺も」


 短くクティトが言う。ミューリスは困惑に満ちた眼差しで聞き返す。


「ク、クティトさんは……」

「私は、入って来たヤツラを殺す。アンタはとにかく、私から人を遠ざけることだけ考えて。私が力を使うためにも」


 そう言うが早いか、クティトは魔獣がいる方へと駆け出す。風など吹いていないのに、まるで突風にでも後押しされているかのような速さであっという間に小さくなっていく。

 ミューリスは伸ばしかけた手を下げると、その手をグッと握り締める。とにかく、村人を避難させなければ。そう考えれば早い。大地を蹴り駆け出した。


 ドゴォォォォォン!


 村の出入り口のほうでそんな爆発音にも似た音が木霊する。空気が震え、魔獣の悲鳴や肉が引き裂かれるような音が振動となって伝わって来る。どうやら、さっそく、クティトと魔獣の戦闘が始まったようだ。

 ミューリスは、間違っても村人たちがクティトの方へと逃げないように、声を張り上げた。


「皆さん! 魔獣が現れました! ですが、落ち着いてください!」


 オロオロとどうすればいんだという不安に満ちていた村人たちは、ミューリスの声が聞こえるなり、彼女に注目した。縋り、恐怖に満ちた視線が射抜いてくる。ほんの少しだけ、それに違和感を感じたが、気にする余裕は無かった。

 ミューリスは太く息を吐き出すと、クティトが戦っている村の出入り口を指さした。いまだに音と振動は響いている。


「現在、私の仲間が魔獣と戦っています。ですが、念のため、避難をお願いします! この村で一番大きな建物はどこですか?」


 そう問いかけると、村人たちは顔を見合わせ、それは自然と一人の女性へと向けられる。それは、宿屋を営んでいる彼女だった。隣に立つ妹が不安げな様子でぬいぐるみを抱きしめている。


「私の宿が一番大きと思います」

「では、村人の皆さんは今すぐに宿の方へと避難してください」


 ミューリスはそう告げ、踵を返した時。


「おい! あんたの仲間が戦っていると言ったが、あのちび助だろ! だ、大丈夫なのか!」


 ミューリスは立ち止まり、振り返る。すると、村人たちは声を出した男性の言う通りだというように、一様に不安に満ちた眼差しを向ける。

 そう思うのも無理はない、たとえ頼りなさげな見た目と言えど、村人たちはてっきりミューリスが戦うものだと思っていたからだ。が、現実はミューリスよりも小さな少女が戦っている。誰も言葉には出さないが、“あんな少女が戦えるはずがない”という思いがミューリスの胸を貫く。


 ミューリスは勢いの止まらない爆発音染みた音を聞く。彼女が戦う姿なんて一度しか見ていない。だが、あの一回で――彼女を信じるのに十分だ。

 村人が危機感の感じられない笑みを浮かべるミューリスに懐疑の目を向ける。そこそこ話したギィテや宿の受付の女性も例外ではない。


「平気です。彼女は……クティトさんは強いですから」


 自信を持って言い切る。すると、村人たちの懐疑に満ちた眼差しにうっすらと光が顔を覗かせる。そして、呆れたように誰かが笑った。


「そんなに自信満々に言われたら、早く避難としないとな。あんたたちの邪魔にならないためにも」

「そうだね。さっ、みんな、急げ! 荷物取りに帰ろうなんて思うなよ。どうせ、この嬢ちゃんとあのちび助がこの村を守ってくれるんだからな!」


 男たちの一言で、村人たちは急ぎ足で宿へと向かい始める。ミューリスはよかったとホッと胸を撫で下ろし、音のする方へと再び顔を向ける。先ほどより、鳴り響く爆発音のようなのものが小さくなったような気がする。

 ミューリスはグッと、拳を握り締めると、棺へと向かう。危険なので、ちゃんとギィテには前日に説明して、ミューリスが運ぶということは伝えてある。そしてこういう場合の為に、棺を乗せた台には車輪が付いている。これなら、一人で運べそうだ、と思ったその時――


「おねぇちゃん」

「――ッ!?」


 ビクリと心臓が大きく跳ねる。ミューリスが恐る恐る、振り返ると、そこにはぬいぐるみを抱いた少女が立っている。どうして、まだこんなところに。


「は、はやく避難しないとダメじゃないですかっ」


 爆発音がもっと小さくなってきた。そろそろ、戦闘も終わるかもしれない。が、避難したことに越したことはない。ミューリスはできるだけ、優しくそう言って辺りを見回す。

 いつの間にやら、村人たちはもういなくなっている。もちろん、少女の姉と思われる彼女もだ。置いて行かれてしまったのか。その時、小さなさざ波のように何かが胸の中で立った。



「と、とにかく逃げましょう!」


 棺のロープを掴み、少女へと手を差し出す。


「どう……しました……?」

「……」


 だが、少女がミューリスの手を取ることは無い。うつ向いたままでいる少女と、困った様子でいるミューリスの間に風が流れる。それは、酷く生温く、気持ち悪くなるような空気だった。

 少女がギュッとぬいぐるみを強く抱きしめる。その時、ミューリスはそのぬいぐるみからナニカが滴り落ちていくのを見た。


 ぴちょん。


 それは地面へと吸い込まれ、茶色のそれを僅かに()()染めた。よく見れば、少女のピンクのワンピースの裾にも赤いなにかが付着していた。


「もし、かして……ケガをしたのですか……?」


 そうなっては大変だ。ミューリスが眉尻を下げそう訊いても、少女は答えない。爆発音はいつの間にか聞こえなくなっていた。

 ドクン、と脈が速くなる。なんだ、この気味の悪い空気は。ミューリスは目の前の少女がなんだか、恐ろしいものに見えてきた。なぜ、彼女は何も答えないのか。それが、余計に心に不安を蓄積させていく。


「……ねぇ、おねぇちゃん」


 やっと口を開いた少女。だが、その声は初めて聞いた明るく少女らしい声とはかけ離れた印象を抱かせるほど、低く暗い声だった。

 背筋が粟立ち、ミューリスは一歩、少女から後ずさった。彼女に近づいてはいけない。そんな確信にも似た何かを感じて、ほぼ反射的に、逃げるように棺へと視線を移す。


「ねぇ、ラッシュおじさんを何処に連れて行くの?」


 ふらりと、一歩少女が近づく。ミューリスはサッと少女へと顔を戻して、一歩後ずさる。


「ねぇ、どこに連れてくの?」

「そ、それは……」


 ミューリスは答えられなかった。普通に、みんなが避難している宿へと連れて行くと言えばいいのに。なぜか、そう言ってはならない気がした。

 なぜなら、それが“ウソ”だと少女にバレると直感していたからだ。死体はこの村の近くにある教会へと連れて行く。彼を守るために早朝、クティトと相談して決めたことだった。ギィテにも了承を貰っている。


――村の中におそらく、悪魔信者がいる。


 クティトの言葉を思い出す。が、ミューリスは目の前の少女がどうしても、悪魔信者だとは思いたくなかった。いや、思えなかった。

 こんな小さな子どもが、悪魔に関係しているはずがない。


「ねぇ、おねぇちゃん。答えて」


 一歩少女が近づいた時、彼女が持っているぬいぐるみが地面へと落ちた。


 ベチャリ、とぬいぐるみが落ちたとは到底思えない、水気を含んだ音が耳を撫でる。まるで、潰れたトマトのように、ぬいぐるみを起点に赤い水が地面へと飛び散る。

 その時、フワリと、鉄の香りが鼻腔をかすめていく。


「まさか……」


 ぬいぐるみの雑に縫われた縫い目からダラダラと紅い川が流れている。濃くなる鉄のニオイ。ミューリスはそのニオイから逃げるように一歩下がる。が、その時、トンっと、背中に何か硬いものが当たる。

 振り向けば、そこには台車に乗せた棺があった。ハッと、ミューリスが少女の方へと振り向いたその時――


「ねぇ、それ、返して?」


 少女の手が眼前へと迫る。呆気に取られた様子で、ミューリスはそれを見ているしかない。もう少し反射神経が良ければ、もう少し少女に対して警戒していれば……そんな“もしも”は今更考えたところで意味なんてない。

 ミューリスは訪れる死から背くように、目をギュッと瞑る。


「私の心臓に触らないでくれる?」


 冬の寒風と共に聞こえてくる声。冷たく鋭い声に導かれるように瞼を上げれば、そこには先ほどまで迫ってきていた少女はおらず、黒いコートをはためかせた――クティトが立っていた。

 獣人化したことにより、真っ白な姿となった彼女の姿に、ゴクリと息を呑む。やはり、何度も見ても美しいという感想しか浮かんでこない。


「クティト……さん」


 やっと出た声は酷く震えていた。クティトは肩越しにミューリスをちらっと見ただけで、答えることなく、すぐに視線を前方へと戻してしまう。

 ミューリスは、ギュッとロープを握り締めたままクティトの背から顔を覗かせる。少し離れたところには、少女が顔を俯かせたまま立っている。その姿を見た瞬間、ミューリスの背筋が凍るような恐ろしさを感じた。


「アンタ、こんなところでなにしてんの」

「す、すみません……っ。私、彼を移動させようと……」

「それで、あんなのに捕まっちゃったと」


 少女がゆらりと身体を揺らす。すると、民家の裏から村人たちが姿を現す。ミューリスは困惑と驚きに脳内が満たされた。

 どうして、避難したはずなのに。そんな言葉が喉まで出かかる。村人たちはまるで、幽霊のようにふらふらと歩き、少女を守るように前へと二人の男性が躍り出る。


「……ちっ、()()()()()()()()()。おいアンタ、棺と一緒にもう少し下がってて」


 ミューリスは返事をして、背中で棺を押して下がる。クティトはミューリスが十分に下がるのを確認すると、一歩前へと出た。寒々とした魔力(空気)が辺りを支配し始める。ぬいぐるみから広がった赤い液体がその冷気によって薄く凍り付いていく。

 少女の前に出ている二人がもう一歩、踏み出す。その足元はおぼつかず、立っているだけでもユラユラと揺れている。


 ミューリスはその光景を見ながら、まるで昔見た人形劇の人形のようだと思った。まるで、自分の殻でもないかのようにぎこちない動き、そして、彼らから――生気を感じられなかった。


「みんな、あの二人の心臓を取ってきて」


 少女の言葉に男性二人が手に持っている剣を構える。


「……さて、久々だからうまくできるか不安だ。でも」


 もう一歩、クティトは踏み出す。


「アンタらじゃ、肩慣らしにもならないや」


 そう彼女が呟いた時、目の前に立っていた――村人が凍り付く。


「……え?」


 ミューリスがそんな間抜けな声を出すのも無理は無い。

 氷像となってしまった村人。武器を振り上げ、クティトへと駆け出そうとする者や、一歩踏み出そうと足を上げている者。その体に薄く霜さえついていなければ、まだ生きているとか違いしていただろう。

 クティトが振り向く。その表情は実につまらなそうでいることに気付いたミューリス。どうして、そんな顔でいるのか、質問しなくとも、顔つきで分かってしまったようだ。


「魔力があってもあんまり使ったことの無い生き物を凍らせるなんて、私にとって息をするのと一緒なの」


 そう言ってクティトは、肩越しに振り向いたまま軽く顎をしゃくる。そして、歩き出す。ミューリスは、棺のロープを握り締めたまま歩き出すと。

 クティトは、思い出したように立ち止まると、棺へと近づく。そして、蓋を開く。ミューリス首を傾げる。


「もう、ここまで来たら綺麗なままでは無理だね」

「クティトさん……?」


 氷で杭を創ったクティト。ミューリスはその杭を見た瞬間、何をするのか察してしまう。が、流石にこの状況で止めるという選択肢を選ぼうとは思わなかった。

 クティトは、チラリと、ミューリスを見た後――その杭を、棺で眠る彼の心臓部へと突き刺した。不思議と肉を貫いた音は聞こえない。


「よし、じゃあ行こうか。それ、置いて行っていいよ」

「え、あ……はい」


 ロープを棺の上へと置いたミューリス。そこで、疑問に思う。


「あの……どこに……行くのですか……?」


 足早に氷像の横を通り抜け、クティトを追いかけるミューリスはそう訊いた。その時、氷像の中にあの少女の姿がないことに気付く。加えて、少女の姉やギィテの姿も無いことを。


「悪魔狩りに行くんだよ」


 振り向かずそう答える。ミューリスはドクンと心臓に重たい衝撃が走った。思わず立ち止まりそうになってしまう。が、氷像から放たれる冷気から逃げるようにもう少し歩幅を速める。

 だがその時、クティトが立ち止まる。

 

「クティトさん?」


 振り向いた彼女は無言でつかつかと歩み寄ると、ミューリスの手を取る。彼女の魔力が冷気となって体を包み込んでくる。が、ミューリスはその冷たさに驚くよりも早く――


「わっ、ちょ、クティトさんっ!?」


 ミューリスはクティトに抱きかかえられていた。それはいわゆるお姫様抱っこというやつであった。


「アンタ、運動神経は悪くなさそうだけど、どんくさそうだから」


 クティトは呆れたような声色でそう告げるや否や、大地を勢いよく蹴った。





次回更新日は2019年11月19日(火)頃を予定しております。

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