七匹目 悲しみに混じる
宿へと戻った二人。ミューリスの表情はずっと暗いままだった。結局、依頼は変更された。そして、それを承諾してしまった。
何も言いだせなかったとはいえ、ミューリスは後悔していた。
脳裏に浮かぶはラッシュバルトの見るも無残な姿だった。そしてそれを、悲痛に満ちた瞳で見つめるギィテ。彼女がああ言った気持ちはわかる。だが、そうなれば協会ではなく……憲兵の仕事だとミューリスは強く思う。しっかりと調査をして、あんなことをした犯人を捕まえ、処罰すべきなのに……
「アンタの疑問に答えてあげようか」
「え……?」
うつ向いていた顔を上げる。窓際の椅子に座ったままのクティト。その表情は窓から差し込む夕日に照らされているためにうまく見えない。
「アンタ、どうして憲兵に通報しないのか……って考えてるんでしょ」
「――っ! な、なんで……」
「前のやつも同じ顔してたからすぐにわかった。で、なんで、憲兵に通報しないか……アンタはあの時、私と依頼人が話していた内容、覚えてる?」
そう言われて、ミューリスは思い出す様に瞳を閉じた。もっと覚えていると思ったが、ギィテのあのギラギラとした眼差しばかりを思い出してしまう。が、すぐに、ミューリスは彼女の言葉を思い出す。
――アンタの思っている通り、これは人の仕業じゃない。
そうだ、確か彼女はこういった。ギィテがそれを聞いた瞬間、表情が変わったことも。何故か、鮮明に思い出せた。それほど、強烈に残っていたようだ。
「……まさか、魔獣の仕業だと言うのですか……」
「いや、違う。魔獣はあんな綺麗な殺し方はしない。人間なんか一飲みで死体すら残さない。まぁ、運が良ければ骨ぐらいは落ちてるかも」
「で、では……」
「――悪魔だよ」
氷の矢で心臓を貫かれたような衝撃と冷たさが体を巡る。ミューリスはクティトを見つめ、口を開けたまま固まってしまう。その大きく見開かれた瞳は夕日に照らされるクティトを映す。
「……なん、で。そう……言い切れるの、ですか……っ」
「頭がなかった。悪魔は人間の脳みそが好物なんだよ」
「それだけで……」
非難するような眼差しでミューリスはクティトを睨む。悪魔を信じているミューリスだからこそ、それだけの理由で悪魔の仕業だと言い切るクティトの思考が理解できなかった。
クティトは眉一つ動かさず、小さく息を吐き出す。それは、呆れからくるものだと思ったミューリスは眉間にできた皺を深くする。が、その背筋には冷たい汗が流れていた。
それもそのはず、クティトの声と表情に変化はなくとも、ミューリスは彼女の体から漏れだす気配が変わったのを感じたから。
「それだけじゃない。あそこでは言わなかったけど、あの死体にはさ」
クティトが一拍置いて、言葉を続けた。
「内臓がなかった」
ヒュっと息を呑む。
「背中の皮膚を切り裂かれ、背骨も抜かれ、その中の内臓を綺麗に持ち去っている。けど、心臓だけを残してる。それに、あの死体には魔法がかけられてた。死体が腐りにくくするようにっていう意味と、これは“自分の物だ”っていう意味でさ。これって、悪魔がよくやるんだよ」
「な、なぜ……ですか」
声を震わせ、ミューリスは顔を真っ青にして聞き返す。淡々と紡がれる言葉。自分で直接見ていないのに、直接見たような気分に陥る。クティトは沈む夕日を横目でチラリと見やる。
「儀式の時の為に心臓を保存しておくため。悪魔が人間の心臓に触れると、数分と持たずにすぐに腐って溶けちゃうらしいんだ。だから、その時が近くなると、悪魔は人間を殺して、材料である心臓以外の内臓を抜き取り、その日まで心臓を死体の中に保存しておくの。だから、腐らないようにするための魔法もかけてある」
「……」
「アンタは魔法……というより、魔力という存在をあんまり感じ取れないみたいだから魔法に気付かないのもしかたないか」
その言葉にミューリスは心臓がズキンと痛んだ。すると、クティトは軽く後頭部を掻く。
「まぁ、もうそれなりに経ってるから、魔力が薄れてて気づきにくいってのもあるよ。あの依頼人は信者だって言ってたし、きっと魔法に詳しい人なのかもね。だから、彼を見た瞬間に気づいたんだと思うよ」
ミューリスは無言のまま、クティトの背後にある窓を見つめる。夕日が完全に沈んだようだ。一気に暗くなる風景に、自分の心が映されたようにも思って、嫌な気分になった。
クティトは静かに立ちあがると、そのままソファへと寝ころんだ。
「……とにかく、明日は早くから葬儀がある。自分の大切な材料を取られたんだ。悪魔がもしかしたら何か仕掛けてくるかもしれない」
その言葉に答えず、ミューリスはうつ向いたまま床を見つめる。そう言われても、どう答えたらいいかわからない。
「まぁ、言葉だけじゃよくわかんないよね」
「すみません……」
「謝らなくていい。それが普通なんだから。アンタ、今日は大変だったでしょう。眠れなくても早く寝た方がいい。ベッドは占領していいから」
それだけ伝えると、クティトはゴロンと寝返りを打ってミューリスに背を向ける。暫くすると、すぐに静かな部屋に彼女の寝息が小さく聞こえてくる。
彼女にまた気を使わせてしまった。ミューリスは申し訳ない気持ちでいっぱいになりつつも、体と心に溜まった疲れに導かれるように、ベッドへと倒れ込んだ。
ボスン、とあまり柔らかくはないが、今のミューリスにちょうどいい。重たくなる瞼の隙間から、クティトの背中を見つめる。そして、蚊の鳴くような声で「おやすみなさい」と言って、その意識を落としていった。
朝日が昇るほんの少し前。人々は粛々とラッシュバルトの葬儀の準備を進めている。村人総出といえど、小さな村だ。すぐに準備は終わるだろう。
かっちりと教会の制服である黒のコートを身に纏い、協会の紋章が入った制帽を被った二人は少し離れたところからソレを見守っていた。
昨日と表情の変わらないクティトに対して、ミューリスは眠ったことによっていくらか頭がすっきりしたおかげか、その表情は引き締まっている。
「クティトさん」
「なに」
二人は前を向いたまま目線も合わせず、話す。
「悪魔は現れるのでしょうか」
「さぁ、どうだろう。悪魔本人が来るということは無いかもね。大抵は魔獣や信者が来る」
「この村には女神像が出入り口に設置されているので可能性は低そうですね。……そう言えば、クティトさんの鼻でわかったりはしないのですか?」
クティトはピクリと眉を一瞬動かすと、チラリとミューリスを横目で一瞥する。
「わからないね。死体についてた魔力から辿ろうかと思ったけど、薄すぎて追えない。まぁ、悪魔も自分の魔力からハンターが嗅ぎつけてくるって知ってるからワザと隠してるのも理由の一つだね」
「そう言う場合はどうするんですか?」
「……どうもできない。悪魔が尻尾を出すまで、ソイツの信者を殺したり、嫌がることをしてイラつかせるしかない」
葬儀の準備を始める大人たちの邪魔にならないように、端っこで遊ぶ子どもたちがチラチラとミューリスたちを見ている。見慣れない格好の人間が物珍しいのだろう。バレないようにと慎重に見ているのに、バレバレなのがなんとも微笑ましい。
軽く微笑み、子どもたちに手を振ると、子どもたちは恥ずかしそうにしつつも嬉しそうに手を振り返す。
「……儀式をすると言っていましたが、いったいなんの意味でやるんですか?」
ミューリスは自分で聞いておきながら、戦慄した。どうして、こんな平然と聞けたのだろう。昨日までの怯えて困惑していた自分と思えない。クティトも僅かに思うとこがあるようだ。が、すぐに興味を無くしたように答える。
「さぁ。悪魔の儀式ってのはよくわかってない。同じような儀式でも内容が全然違う。人を呪い殺すためだったり、何かを蘇らせたりあたりがよくあるかな。まぁ、一番はわかってるのは、その儀式を成功させちゃいけないってこと。それだけ覚えとけば平気だよ」
「……はい」
やっぱり、嫌に頭がすっきりしている。いや、しすぎているというべきか。ミューリスはそんなことを考えながら、ラッシュバルトの棺の横に立つギィテへと視線を向けた。
きっと、最後の別れを惜しんでいるのか、表情は楽し気にしようとはしているみたいだが、今にも泣きだしそうなソレに胸が締め付けられる。そして、必ず彼女たちを守ろうと思った。
「アンタは、自分にできることをやればいい」
「私に……できることですか……」
「アンタは戦えない。だけど、私は戦える。だから、変なことはしようとしなくていい」
それだけ言い残すとクティトは、葬儀の準備が整ったことを知らせる村人の元へと行ってしまう。ミューリスは暫く、彼女の言葉を噛みしめるように復唱し、歩き出そうとしたその時――
「おねぇちゃん」
「……え?」
どこからか声が聞こえて、振り向けば、そこには少女が立っていた。ピンク色のワンピースを身に纏い両手で赤茶色の犬のぬいぐるみを抱えた少女はミューリスが振り返るや、満面の笑みを浮かべる。
ミューリスは釣られるように笑顔を浮かべると、少女の目線に合わせるためにその場にしゃがんだ。少女はギュッとぬいぐるみを抱きしめる。
「おねぇちゃん、協会の人でしょ? ラッシュおじさんを見つけてくれたってみんな言ってたよ」
「えぇ、そうですよ。この村の近くにある大きな町の協会から来ました」
「ねぇ、そのおぼーしカッコイイね」
少女がミューリスの被っている帽子を指さす。ミューリスは帽子を脱ぐと、少女に差し出した。
「被ってみますか?」
「うんっ!」
少女の頭に帽子をかぶせてあげる。小さな頭にはそれはやっぱり大きいようで、グラグラと帽子が揺れている。少女は不満げに帽子を脱ぐと、抱いているぬいぐるみに被せた。もちろん、サイズは帽子の方が大きい。
「その子はお友達ですか?」
そう言うと、少女は頷く。
「うん。大切なお友達。ラッキーって言うの!」
良く見えるように差し出されたぬいぐるみ。ミューリスの制帽を被っていてるために顔はうまく見えないが、どうやら手作りのようだ。ところどころほつれていたり、縫い目がガタガタな部分も多く見える。
「これね! おねぇちゃんに教えてもらいながら私が作ったの! すごいでしょ!」
えへへと得意げに笑う少女。ミューリスはそんな少女の頭を優しく撫でる。そんな少女を見ながら、ミューリスは故郷にいる妹を思い出した。
「すごいですね」
「うふふっ!」
そんな可愛らしい少女に癒されていると、カァン、という鐘の音が村中に響き渡った。パッと顔を上げれば、ちょうど葬儀を行う村の中央に置かれた鐘の近くに立っている男性がコチラに手を振っていた。
どうやら、葬儀が始まるようだ。ミューリスは片手を上げ、立ち上がる。そして、見上げる少女に手を差し出す。すると、少女はミューリスを見上げることなく、ラッシュバルトの棺桶がある方を見つめた。
「行きましょうか」
「……うん」
暗い雰囲気で静かに葬儀が始める。ミューリスとクティトは、村人たちから少し離れた場所でその様子を見守っていた……否、彼の棺の警護をしていた。
いつどこで、悪魔が仕掛けてくるかわからない。ミューリスは、この警護が無駄に終わればいいのにとただ願う。が、きっとそうはいかないと、心の中で自分が言っている。
「ラッシュ……お前は……っ」
「くっそ……っ、飲みに行く約束破りやがって……」
「うう……っ、なんで……っ!」
村人たちが棺に向って言葉を紡ぐ。そのどれもが、悲しみに満ちて、彼の早すぎる死にひどくショックを受けているということがヒシヒシと伝わって来たミューリスは、その表情に影を落とす。
まるで、纏わりつくように彼らの悲しみが伝わって来る。が、ミューリスはその時、漠然とした違和感を感じていた。言葉にできない、気のせいと一蹴で来てしまうほど、些細な違和感。
――悲しい。悲しい。どうして、どうして。どうして死んでしまったの。
そんな声が聞こえたような気がした。棺の傍に少女が立っている。その横には、宿屋で受付をしている女性が立っている。“おねぇちゃん”とは彼女のことだったのか。
少女が棺に抱き着く。その様子を見た村人たちが、耐えきれず我慢していた涙をその瞳から零す。ギィテは声を上げて泣き始め、その声が少し離れたここでも届く。
――もっと、一緒にいたかった。
また、そんな声が聞こえたような気がした。ミューリスは彼らの悲しみに感化され、幻聴が聞こえるようになってしまったのかと思った。耐えられなくなり、そっと顔を背ければ、ミューリスは大きく瞳を見開く。
隣に立っているクティトはいつもの無表情から打って変わって――恐ろしい形相でいたからだ。
「――ッ!」
茶色の瞳が僅かに青みを含んでいるように見える。それは、光の加減だったのかもしれない。冷たく氷のような、見たものを全て凍てつかせるようなそれにブルリと背筋が震える。
いったい、彼女は何を見ているのだろうか。ミューリスがそう思って、恐る恐る声をかけようとしたの時、また声が聞こえたような気がした。
――早く、返してよ。
ミューリスが弾かれるように辺りを見回したその時。
「ちっ、来たか」
「クティトさん……?」
クティトが吐き捨てるようにそう呟き、被っていた制帽を脱ぎ捨てる。そして、ミューリスの方へと向く。クティトの茶色の瞳の奥でギラギラと肉食獣のような気配が見え隠れしている。
「奴らが来た」
その声と同時に、村から悲鳴のような遠吠えが轟いた。
次回更新日は2019年11月16日(土)頃を予定しております。