表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔殺しの猟犬  作者: 鮫トラ
第一章 命の首輪
7/21

六匹目 この感情は


 両足と頭のない死体。それは、服装と体格から男性だということがわかる。大木の根に寄りかかるようにしているそれは、両足と頭部があれば居眠りしていると勘違いしていただろう。

 ミューリスは息をするのも忘れて、それから目が離せなくなってしまっていた。変色した血だまりだった物の上で何かが動いているのが見える。よく目を凝らせば、それは死臭に集まった昆虫であった。


 その瞬間、胃の中にある物がせりあがって来る。それを、なんとか、平然を装いつつゴクンと飲み込む。喉元まででとはいえ、ほんのりと胃酸の酸っぱい風味が口内を支配し、ミューリスは眉を顰めた。

 ブーン、ブーン、とどこかで羽虫の羽音が聞こえる。これらも、ニオイに釣られ集まって来たのだろう。

 何と無しに、隣へと顔を向ければ、クティトはジッとミューリスを見ていた。おそらく、吐きそうになっていたのも見られていただろうと想像できたミューリスは何事もなかったかのように目の前の死体を見下ろす。


「この人が……」


 クティトは答えず、一歩前へと出る。そして、首に下げていた十字架を取り出し、身をかがめた。ミューリスはハッとしたように、急いで彼女の隣にじゃがみ、胸元の十字架を見えるように彼へと翳す。


「クティトさん……」

「そうだよ。あの人の探してた人」


 どうしてわかったんですか。そう訊こうと、ミューリスは横に顔を向ける。すると、口を開くよりも早く、彼女が答える。


「鼻。ニオイで分かった」


 そう言って十字架をしまい、立ち上がったクティトはもう一歩、死体へと近づく。ミューリスは顔色一つ変えずに淡々と死体を観察することができる彼女が理解できなかった。

 ミューリスはすっかり、死臭に鼻をやられてしまったのか、鼻から息を吸っても何も感じない今にほんの少しだけ感謝した。きっと、まだニオイが理解出来たら、せっかく飲み込んだ物がまたせりあがって、今度は我慢できないと思ったから。


「死後、数日って感じか……って、アンタ」


 クティトが怪訝を含んだ声色でミューリスを見つめる。そして、彼女はミューリスの目を指さす。意味がわからず首を傾げると、彼女は答えをミューリスへと告げた。


「アンタ、泣いてるよ」

「え……?」


 そう言われてミューリスは手を自分の顔へと当てる。すると、彼女が言った通り、瞳からは今も湧き水のように涙が流れていた。

 どうして、泣いているのか。自分でも意味がわからず涙を拭う。だが、それだけでは止まらなかった。ポタポタと落ちた滴は服や地面へと吸い込まれ生地や土の色を僅かに濃くする。


「え、あ、なんで……す、すみません……っ」


 必死に涙を止めようとハンカチを取り出し目元にあててみる。だけど、やっぱり涙は止まらない。なんで、なんで。ミューリスはそう考えながら無性に叫びたくなった。

 胸が苦しい。締め付けられるようなそれは、酷い後悔だった。なんで、こんな感情が……ミューリスは木の根元に座る男性を見る。

 まさか、彼の意思が流れ込んできたとでもいうのだろうか。そう考えて、あるわけがないとその考えを蹴り飛ばす。話したこもない他人で、しかも亡くなった相手の感情など知るすべはないのだから。何度も深呼吸を繰り返しているうちに、ミューリスは落ち着きを取り戻す。


「……すみません。もう、大丈夫です」


 最後の涙を拭う。もう、気持ちはすっかり落ち着いた。先ほどまで感じていた謎の後悔や怒りと言った形容しがたくも、強い感情は無くなっている。

 クティトは何も言わず、軽く手を男性へと翳す。その行動の意図がわからない。だが、なにをしているのかと聞くのもなんだかダメなような気がしたミューリスが黙って見守る。


 パラパラとクティトの掌から白い光の粉が落ちる。まるで雪のようにきらきらとしたそれは、男性へと降りかかる。すると次の瞬間、男性の死体にうっすらと霜が付く。


「腐らないようにするためだよ。まぁ、やらなくても多分平気だろうけどね」


 クティトはそう言って、今度は翳していた手を軽く振る。キラリ、と白い光にも似た雪が舞い、それは氷でできた手押し車が、まるで最初からあったかのように鎮座していた。

 まるで、魔法みたい。そう考えて、ミューリスは心の中でこっそり苦笑を浮かべざるおえない。なにをバカなことを考えているんだか。魔法なのだから、そうに決まっているだろう。


 だが、本当に見事としか言えない。氷の手押し車は見た目さえ除けば、普通にどこでも使える代物だろう。魔法に疎いミューリスでも、彼女がいかに魔法の高い技術を有しているかがわかる。

 普通、魔法と言うのは長い年月を経て、技術を磨いていくものだ。あの若さであれだけ、精巧なものが作れるなんて、いったいどれだけの努力を重ねたのか。全く想像できない。


「……ちょっと、なにボーっとしてんのさ」


 ハッとミューリスはクティトの方へと向く。どうやら、結構意識が考え事の方へと持っていかれていたみたいだ。いつの間にやら、男性は手押し車の荷台に座るようにして移動させられている。

 あんな小さな体でどうやってやったのか。だがそれよりも、手伝わず彼女一人にやらせてしまったことをミューリスは詫びた。


「あっ、すみません!」

「……別にいいよ。早く戻ろう」


 どこからか、取り出した大きな黒い布を手押し車に座る男性へと被せ、その姿が見えないようにすると、クティトは空を仰ぎ、歩き始める。ミューリスも釣られるように空を仰げば、青空にはうっすらとオレンジ色が混ざり始めている。森を歩くだけで相当時間を使ったようだ。


「あの、クティトさん」

「なに」

「私が押しましょうか?」


 クティトが押す手押し車を見つめる。とても精巧に作られたそれは、車輪の回転音すら立てない。クティトは一瞬考えるように立ち止まったが、すぐに手押し車から手を離し、すぐさま先を歩き始める。

 ミューリスはきっと冷たいだろうなと思いつつ、意を決して氷でできた手押し車の取っ手を掴む。すると、ミューリスは小さく驚きの声を上げた。


「え、つ、冷たくない……?」












 帰り道は平和だった。ミューリスはまた魔獣が出てくるのではとビクビクしていたが、無事それも杞憂に終わってくれた。本当に、不思議なぐらいなにも無い帰り道だった。

 氷の手押し車が思った以上に人目を引いてしまったが、無事、依頼人である彼女の家までたどり着く。クティトはミューリスから手押し車を奪うと、目線で行けと指示を出す。

 重たい心臓の鼓動を感じながら、ミューリスは扉をノックした。


「はい」

「こんにちは。ミューリス・イーデンです」


 そう言うと女性がバタバタと急いでいる音が聞こえてくる。ミューリスはこれから伝える言葉を頭の中で思い浮かべ、胸が痛んだ。そして、ジワリと目の奥で涙が上がって来たような気がした。それを飲み込むと同時に扉が開かれる。

 期待と不安に満ちた表情の彼女。ミューリスはその期待に応えられないことを酷く悔やんだ。が、ずっと自分の頭に引き篭るわけにはいかない。


「依頼の件でお話があり……来ました」


 ミューリスは背中に彼の乗った手押し車が隠れており、彼には布もかけられているため、彼女がまだ彼を見ることは無い。だが、彼女は雰囲気でとっくに気付いている筈だ。

 ミューリスは静かに息を吐き出し、横へとズレる。クティトが、彼女だけに見えるようにそっと布を退かす。彼女の視界にクティトの押す手押し車に乗るラッシュバルトが映る。


「彼が、ラッシュバルトさんで間違いありませんか」


 ミューリスが静かに問いかける。表情はできるだけ冷静を取り繕うとしている。ギィテはそんなミューリスと彼を交互に見つめ、そのままゆっくりと彼へと彼へと歩み寄る。

 クティトも気を使ってか、彼からわずかに離れると、静かに瞳を閉じたまま待つ。


「あ……そんな……」


 ギィテの手が彼の肩へとそっと置かれる。薄い氷の膜が付いたそれは、彼女の体温が触れても溶けるということは無かった。ミューリスはグッと唇を噛みしめ、彼女の言葉を待つ。


「なんで……っ。貴方……なんで……っ!」


 嗚咽交じりにギィテが彼の体に縋りつく。彼女の悲愴に満ちた表情と声、それがミューリスの体を貫いていき、それは締め付けるような痛みとなって襲い掛かる。

 もっと、早く、早く見つけていれば。そんな思いで満たされる。この時、ミューリスはハンターという職業の一端に触れたような気がした。


「彼……です。まち、がい……ありません」


 時間にして数分。やっと彼から離れたギィテは涙交じりにそう言った。その声に乗った感情がミューリスの心臓にダイレクトに伝わったような気がし、息苦しくなる。

 だが、何もしてあげられない。悲しみに落ちていく彼女をただ眺めるしかできない。そんな彼女にギィテはうつ向いたまま口を開く。


「どこ、で……彼を見つけたんですか」

「……近くの森の奥で発見しました。そのままの形で大木に寄りかかるようにしていました」

「その時から……なかった……のね」

「発見できず。申し訳ありません」


 後半の方はミューリスは言葉を震わせた。すると、ギィテは縋るような視線でミューリスを見つめる。その視線から酷く強い怒りを感じた。熱のように熱くて、ドロドロに溶けたチョコレートのようにねっとりとしたそれに背筋が粟立つ。

 ずっと目を閉じていたクティトがゆっくりとその瞳を開く。何を思って考えているのかは相変わらずわからない。が、射抜くようなそれにギィテがピクリと反応する。


「――アンタの代わりにこれをやった犯人。殺してきてあげようか?」

「えっ」


 二人の視線が絡んだ瞬間、クティトはそう言い放つ。その言葉と視線からは全く温度を感じられない。そのまま周りの温度が急に下がったような気がした。

 ミューリスは驚愕を浮かべ、次に強い不快感を露わにした。今、彼女はなんて言ったか。クティトの言葉が脳内で復唱され、ミューリス余計に顔を不快感に染めあげる。

 どうしてここまで、不快に思うか。それは、彼女が冗談ではなく本気で言っているとわかってしまったからだ。


「クティトさん、なにを言っているんですか。ギィテさん、すみません。突然」


 ミューリスが語気を強めて言う。が、クティトはチラリとミューリスを一瞥して、すぐにギィテへと視線を戻してしまう。ギィテの方もまるでクティトしか見えていないと言うような様子でいるために、ミューリスの言葉は届かないようで無反応だ。


「本当にこの人をこんな目に遭わせた人を見つけ出せるの?」


 悲しみに満ちていたギィテの瞳がギラりと光が宿り、声にも力が篭る。クティトはそんな彼女をまっすぐ見据えたまま頷く。


「絶対見つけてみせる」


 表情は変わらず淡々とした言葉だが、その声は自信を感じさせ、彼女であれば有限を実行できると思わせる強さがあった。

 ギィテは暫し、逡巡した後、意を決したようにクティトをまっすぐ見つめる。ミューリスは二人の間に流れる空気がチリチリとした緊張感が増していくのを感じたような気がした。


「で、どうする? 依頼、変更する?」

「……っ」


 抑揚のない口調で話すクティトの瞳が探るように細められる。ギィテはその瞳を怒りに煮えたぎらせながらも、踏ん切りがつかないようだ。そんな彼女にクティトは囁くように背中を押す。


「アンタの思っている通り、これは()()()()()()()()

「――ッ!」

「大丈夫。私はハンターだ。アンタの怒りをかわりに伝えてあげる。ゴミクズ野郎の心臓を抉り出し、潰してあげる」


 ヒュゥ、と冷たい風がどこから吹きつける。ギィテはうつ向き、ゆっくりと顔を上げる。さび付いたネジのようにぎこちなくクティトとミューリスを順番に見つめたギィテの瞳は殺意に満ちていた。

 口を開く。ミューリスは彼女が吐息を吐き出すと同時に酷い痛みが胸を抉った。グッと表情を歪め、グルグルとした言いようのない熱が胃の中を回る。


「クティトさん、ミューリスさん」


 ミューリスが胃の熱に吐き気を覚えていると、ギィテが声をかけた。ハッとして表情を正すと、彼女の瞳をまっすぐ見つめ、姿勢をピシリと正した。クティトもわずかに姿勢を正す。


「依頼させてください。……彼を……私の大切なあの人をこんな目に遭わせた……」


 ギィテは歯の隙間から息を静かに吐き出す。よく見れば、握り締めた拳は震えており、彼女が体の内から湧き上がる殺意と怒りと悲しみを必死に我慢しているのが伝わって来る。

 チラリとギィテはラッシュバルトを見る。その瞳は先ほどまでの憎悪や怒りなど嘘だと思わせるほど優しい。その代わり様にミューリスは大きく瞳を見開いた。

 が、次にミューリスたちの方へと向いたギィテの瞳は再び憎悪と怒りと悲しみに満たされていた。薄く微笑んでいる彼女が酷く痛々しい。


「悪魔を殺してください」


 その言葉は酷く重たく、ミューリスが頷く前に――


「任せて。ホルプス教会のハンターとして必ず貴女の依頼に応えましょう」


 その時、ミューリスはクティトが笑っているように見えた。




 




次回更新日は2019年11月12日(火)を予定しています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ