十一匹目 一番悲しき存在
グチャリ、パキリ。
そんな音が響く。檻の中でミューリスはその光景に言葉を失った。骨が砕け、内臓がボトボトと地面へと落ちる。
そう、魔獣は少女の亡骸を食べていた。口元を真っ赤に染め上げたソレは、最後に残った少女の片腕を口の中へと放り込み、ゴクンと飲み込む。その表情は実に嬉しそうでいて、実に悲しそうな、そんな複雑な物を浮かべているように、ミューリスには見えた。
どうして、どうして……私は、見ていることしかできないのか。ミューリスのそんな思いに反応するように、心臓がドクン、ドクン、と音を立てる。
『……アァ、ダメダ……ダメダ』
魔獣はそう呟き、クティトが飛び込むように繰り出したかかと落としをバックステップで躱す。落下した踵は砂糖菓子でも砕くように、岩のように硬く踏みしめられた地面を砕き、破片がパラパラと通り雨のように降り注ぐ。
『ドウシテ、ボクハ、ヨミガエラナキャ、イケナカッタノ?』
悲しい声だ。ミューリスはその声にひどく胸が締め付けられた。
『ボクハ、ボクハ、シアワセニ、ネムッタノニ……』
体勢を低くし、魔獣の懐へと飛び込んだクティトは、魔獣の首元目掛けて拳を振るう。上体を逸らし、紙一重で躱した魔獣は、そのままバク転でクティトの振るわれた拳を腕ごと、後ろ脚に爪で斬り裂こうとする。少女の細い白腕など簡単に斬り裂いてしまう刃がすぐそこまで迫る。
しかし、クティトの表情に焦りは全く浮かんでいない。
「幸せに眠った……ね。なら、余計にムカつくよね」
突き出していた腕を勢いよく横に逸らして、その蹴りを躱す。そして、そのままバックステップで下がる。ほぼ同時に地面へと着地した魔獣とクティトは、ほぼ同時に飛び出す。
魔獣の巨大な拳とクティトの小さな拳がぶつかり合い、衝撃波がミューリスの元まで届く。が、すぐに力負けした魔獣の拳が弾かれる。その隙を逃さんと、素早く屈み飛び上がるようにして放たれたクティトのアッパーが魔獣の顎を捉えた。
ドパァァァァァァンッ!
殴った音とは到底思えないような音が響き、魔獣がくぐもった呻き声を上げる。生ものが腐ったような不快な臭いが、血飛沫のように魔獣を起点に舞い上がった薄墨の黒い霧と共に立ち込める。
魔獣は大きく体を仰け反らせる。そんな魔獣には、先ほどまであった下顎は無くなっていた。クティトのアッパーによって粉砕されたようだ。魔獣の口からダランんと長い舌が垂れていた。
『オコッテイル。ボクハ、ボクハ。オコサレタコトニ? チガウ』
言葉を発するのに、口は必要ないのだろうか。顎は無いのに、変わらず喋る魔獣は、その赤い瞳を怒りに滾らせる。すると、黒い煙のような魔力が魔獣を取り巻く。
「なら、どうして怒っているの」
突き放すような声色でそう言ったクティトは、フーっと息を吐き出し、軽く首を鳴らす。その様子を見るかぎり、彼女はケガどころか、疲れすら感じていないようだ。対して、魔獣の方は、いつの間にか、体中が傷だらけになっていた。
いつの間にあんなケガを……だが、考えたところで無意味だろう。ミューリスの目には、あまりにも早すぎるクティトの動きを全て捉えるなど無理なのだから。
傍から見たら、きっと、クティトは苦戦しているように見える。ミューリス自身もそう思う。が、今の状態を見るかぎり、クティトが魔獣を倒すのも時間の問題のようだ。
あんな小さな体のどこからあんな力が出ているのだろう。やはり、獣人ということが大きいのだろうか……ミューリスがそんなことを考えていが、魔獣の言葉によって現実へと引き戻される。
『オワカレシタンダ』
声の調子は変わらず不気味な音色だ。が、ミューリスはその声から泣きたくなるほどの悲しみを含んでいることが、自分で発した言葉のように感じ取れた。
『サヨウナラッテ、アノコハ、イッテクレタンダ。ダカラ、ボクモ、サヨナラッテイッタ……ソレナノニ、ソレナノニ……! ナゼダ! ナゼボクヲ』
魔獣を取り巻く魔力が激しく渦巻く。それは、魔獣に刻まれた傷を一気に癒し、その体をより強靭なものへと変化させていく。カギ爪はより鋭く凶悪になり、鋼のような体毛はまるで鎧のような見た目と変化した。
どこか、中世の騎士を思わせる姿となった魔獣は遠吠えを高らかに上げる。それは、開戦の銅鑼のように森に響き、振動によってパラパラと葉が舞い落ちた。
その姿には、泣きたくなるような悲しみは消えていた。ただただ、吐き気がするほどの憎悪と怒りに塗りつぶされていた。
『オコシタンダァァァァァァアアアアアアアアアッ!』
ドンッ!
魔獣が大地を踏み抜く勢いで蹴る。そのまま、クティトへと迫った魔獣は剣のように鋭いかぎ爪を横薙ぎに払う。クティトは軽く飛び上がってソレを躱すと、そのカギ爪を土台にもう一度飛びあがり、背後へと着地。
サッと魔獣は生き物離れした動きで振り向くと、もう一度カギ爪を横薙ぎに払う。が、またしても、クティトは同じような動きでソレを躱す。
それを、何度も、何度も、何度も、魔獣とクティトは繰り返す。
『クソォォォォォォ! アタレヨォォォォォ!』
「無駄だね。その程度の動きじゃ、私には届かない」
しびれを切らした魔獣はやたらめったらにカギ爪を振り回す。風切り音と共に繰り出されるそれをミューリスは目で追えない。それほどに速い。だが、クティトは表情一つ変えず……いや、むしろ、先ほどよりもつまらなさそうにその攻撃を躱し続けていた。
『クソッ、クソッ、クソ!』
真っ二つに斬り裂かんとカギ爪が振り下ろされる。それを、半身となって躱す。素人目に分かるほどの隙が魔獣にできる。だが、クティトは反撃せず、ただジッと魔獣の次の動きを見ていた。
どうして、反撃しないのだろうか。ミューリスはやっと見えるようになった戦闘光景を見ながら、そんなことを思った。彼女の圧倒的な強さがあれば、魔獣を倒せるはずなのに、彼女はそうしない。
その様子はまるで、何かを待っているように見える。
『ウガァァァァァァァ!』
いくら攻撃しても当たらない魔獣は地団駄を踏む。すると、魔獣の体から噴き出した黒い煙のような魔力がクティト目掛けて放たれる。あれに巻き込まれたらどうなるかはわからないが、きっとよくないことが起こるだろう。
クティトはフッと息を吐き出す。白い吐息は、煙となって黒いソレとぶつかる。そして、一気にその黒い魔力を凍り付かせた。その瞬間、魔獣とミューリスの視界から彼女の姿が消えた。
「時間切れだ」
そう声が耳を撫でた同時に――魔獣は膝から崩れ落ちた。
『ッゴァ……!?』
口から黒ずみ粘着質の液体を吐き出す。そして、苦しそうに浅い呼吸をしながら魔獣は自分の胸を抑えていた。そんな魔獣の隣にはクティトが立っている。
クティトは何かを持っている。それは、子どもの頭ぐらいはありそうな、濁ったレモン色の球。夕日の木漏れ日を吸い込むように淀んだ光を放つそれは魔獣の心臓だ。
『イツ、ノ、マニ……!』
ぽっかり空いた胸を両手で抱くように押さえながら、魔獣はかすれ声で恨めし気にクティトを見上げる。
「さぁ、もう眠った方がいい。アンタは怒りすぎた。疲れたでしょ」
そう言った時、クティトの青色の瞳に僅かな悲しみが色を浮かべる。そして、それは辺りに満ちた魔力にも影響を与えているのか、冷たさに釣られるようにミューリスも悲しくなった。
魔獣はクティトを見上げたまま浅い呼吸を繰り返す。その赤い瞳には先ほどまで見せていた憎悪と怒りは無くなっていた。ただ、ただ、悲しくなるほどの虚無を浮かべていた。
握った魔獣の心臓にピキリとヒビが入る。魔獣の口元に笑みが浮かぶ。真っ赤な瞳から、透明な滴が零れた。
パキン。
魔獣の心臓が砕ける。破片が地面を跳ね、光の粒子となって消える。
「ごめんね。君が怒る前に、あの子を怒ってあげられなくて」
項垂れるように消えていく魔獣にそう呟いたクティトの表情は、消えていく光と共に消えてしまいそうなほど儚げだった。ミューリスは消えていく魔獣を見つめる。
キラキラと、星が天へと還るようなそれはとても神秘的で美しい。クティトはそれを見送ることなく、フッと息を吐き出すと同時にいつもの姿へと戻る。その姿からは、先ほどまでの儚げさなど微塵も感じさせない。
「アンタ、また泣いてる」
振り向きそう言って、クティトはミューリスを守っていた檻を消した。ずっと格子を掴んでいたために、ミューリスはそのままガクンと地面に転びそうになる。それを、すかさず、クティトが腕を掴んで支えた。
「あ、す、すみません……」
立ち上がるころには涙は引っ込んでいた。こんなに泣き虫だった覚えはないはずなのに……ミューリスは頭を捻ってはみたが、特に思い浮かぶことは無かった。
確かに、人より勘が鋭いからか、他人の悲しみや喜びと言った感情を察することができるが、今回とはあまり関係なさそうだ。わかるというだけで、その感情に自分が左右されたことは無いからだ。
「――っ!?」
突然、視界が歪む。じわじわと迫るように暗闇が視界の端からやって来る。頭が重い。クティトが何かを言っている。だが、ぼんやりとしていてうまく聞こえない。
どうしたんだろう。そう考えた時、視界から迫ってきていた暗闇は侵食速度を上げ、それ以上考えることはできなくなった。
ガタン、という揺れと音で目を開ければ、そこは馬車の中だった。ミューリスはぼんやりとした顔で首を動かす。馬車の窓からは、穏やかな草原のニオイを連れた風が吹き込み、太陽の陽ざしが大地を温めている。
そこで、ミューリスは自分が最後に見た景色を思い出した。そして、自分が気絶し、馬車に運ばれたのだという考えを導きだした。なんとか起き上がろうとしたが、体は重たくうまく動かない。
「あ、起きたんだ。無理に体を動かさない方がいいよ」
向かい席に座るクティトは、窓に視線を向けたままそう言った。ミューリスは“すみません”と言おうとしたが、喉が渇いて掠れてしまいうまく声は出ない。
だが、水を飲みたいという欲求は湧かなかった。それを感じ取ったのか、クティトは鞄から出しかけた水をしまった。
とても申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ミューリスはグッと口を引き結び、窓から差し込む陽射しを見つめた。
「疲れたよね」
声が出ないで軽く頷くと、クティトも頷く。
「まぁ、新人にしてはちょっと大変すぎたからね。しかたないよ」
彼女は頬杖をつき外を眺める。日差しが彼女の茶髪を煌めかせている。そういえば、村はどうなってしまったのだろう。そう思って彼女を見れば、察したように「あぁ」と言った。
「依頼は無事達成。まぁ、依頼人以外の村人は全員死んじゃったけどね」
クティトは淡々と続ける。その事実に心がズキズキと痛んだ。
「今、村は教会の浄化部隊が浄化作業中。でも、もう住んでる人はいないから、廃村になるだろうね」
浄化部隊とはなんだろう。聞いたことの無い単語に首を傾げたかったが、体がだるくてうまく動けないのでやめた。
ガタン。
馬車が止まる。窓を見れば、いつの間にか賑やかな声と様々なニオイが入り混じった風が吹きこんでいた。どうやら、協会へと着いたらしい。
御者が声をかけると、クティトは短く返事をして、扉を開けた。数日ぶりの賑やかな景色。ミューリスはホッと自分の体が安心して行くのを感じた。
「さて、迎えが来たよ」
馬車から降りた彼女がそう言ったその時――
「ミューリス!」
女性の声が聞こえた。聞きなれた憧れの声だと気付くのにそう時間はかからなかった。馬車に乗り込むように現れたサマンサはギュッと疲労で動けないミューリスの体を抱きしめた。
あまりにも強く抱きしめられたせいで喉から変な声が出た。が、サマンサの力が緩むことは無い。まるで、生きていることを確かめるようにサマンサはギュッと力を込める。
「よかった……帰って来てくれて……っ!」
その声から彼女が心から安堵しているのが伝わって来る。ミューリスは泣きそうになった。久々の家族以外から与えられたその温かさがあまりにも嬉しかった。
背中を撫でてくれる手がとても優しい。サマンサは何度も、何度も、噛みしめるように「良かった」と呟く。すると、だんだん、怠かった体が自由を取り戻してきた。
ふと、視線を彼女の背後へと動かせば、クティトがミューリスの方を見ていた。そして、ミューリスが気付いたことに気付くと、そのまま踵を返し教会の中へと消えていく。
あぁ、まだ、お礼言ってない。ミューリスはそんなことを考えながら、サマンサへと視線を戻す。
「サマンサ……さん」
まだ声はかすれている。聞き取りづらい酷い声だ。が、サマンサはパッと顔を上げ、微笑んだ。
「あ、の……報告は……」
「いいのよ。それは後でも。今はしっかり休みなさい」
そう言ってサマンサは「本当に真面目ね」と笑った。ミューリスも笑いそうになった。疲れ切ってまだ何かを考えるなんて億劫だというのに。
ポンっとサマンサの手がミューリスの頭に置かれる。サマンサの瞳がミューリスの疲れ切った顔を映す。
「ミューリス、頑張ったわね。怖かったでしょう」
サマンサの指がミューリスの目元へと伸びる。そして、瞳から零れた滴を掬い取る。すると、突然降り始めた豪雨のように瞳からとめどなく大粒の滴が降り始めた。
怖かった、不安だった。そんな言葉が口を出ない。いや、出してはダメだと思った。足を引っ張るだけで何もしていない自分がそんなことを言っていいはずがない。今だって、涙を流すことすら苦しかった。
そんな考えを知ってか知らずか、サマンサは穏やかな空気を保ったまま、ミューリスの背中を撫で続ける。それだけで、止めようとした涙は意志に反して流れ出る。
「いいのよ」
その言葉が酷く心地よい。まるで、頭から温かい綿あめにでも飛び込んだかのような甘い香りと柔らかさが脳を包む。フワフワとした言いようのない感覚。
瞼が重い。精霊が「眠れ、眠れ」と言って腕を引っ張って来る。まだ、眠れない。やることがあるのにと思っていても、意識がゆっくりと沈んでいく。ミューリスは最後の力を振り絞ってサマンサを見つめた。
「サマンサさん、私――」
「眠りなさい。今はゆっくりと」
スーッと劇の幕が落ちるように視界が暗くなる。そして、ミューリスはその声を聞き終える前にガクンとその意識を落としていった。
次回更新日2019年11月30日(土)ごろを予定しております。




