九匹目 斬るか、潰すか。簡単でしょ?
まるで流れ星のように、クティトは屋根を伝い、そのまま飛び込むように森の中へと落下していく。生い茂る木々の枝に一瞬だけ足をつけ、勢いを殺すことなく次の木へと飛び移る。
「――ひぃぃぃぃっ!」
クティトに抱えられたミューリスは叫び声を上げずにはいられなかった。強い風が吹きつけ、クティトの体から出た魔力が冷気となって体を冷やす。そして、フワリ、フワリと彼女が木々に足を付けるたびに襲い掛かる内臓が浮くそれに吐き気が胃から喉に上ってきそうだ。
「ク、クティトさん! こ、怖いです! 速いです!」
ギュッとクティトにしがみつき、ミューリスは半泣きで叫ぶ。クティトは真っ白なオオカミの耳を軽く倒す。そして、僅かに眉を顰めたまま、トンっと木を蹴り、もう一段階スピードを上げた。
木漏れ日と木々から囁くような風など感じる余裕なんてない。ミューリスは再び叫んだ。
「ワザとスピード上げてませんか!?」
「……うるさいな。そんなに叫んでると舌噛むよ」
「で、ですが……!――というよりも、どこに向っているんですか?」
ヒュウ、ヒュウ、と風切り音が耳に痛い。クティトは倒しかけていた耳をピンと立てる。
「さぁ、どこだろうね。私はクズ野郎のニオイを追ってるだけだから」
「あの村に……いたんですか……?」
そう訊くと、クティトは鼻で笑った。だが、その表情はどこか、自嘲染みたものを感じる。
「いたじゃん。アンタだって見たでしょ?」
「――え?」
ミューリスは戸惑いに瞳を揺らし、瞬いた。そして、噛みしめるようにその言葉の意味を考える。が、わからなかった。
見ていると言うのはどういう意味か。まさか、あの森で出会った魔獣か。だが、あれはクティトが倒した。じゃあ、誰なんだ。そう考えて戦慄する。
クティトが着ているコートの襟をつかむミューリスの手が僅かに震える。出会った村人たちの顔が脳裏に浮かび上がる。
ほんの少し言葉を交わした程度で……みな、一様に悪人、ましてや悪魔などには見えなかった。それに、彼らは先ほど……
「……クティトさん……貴女は……」
「アンタは、誰が悪魔だと思う?」
「えっ」
その時、ミューリスの耳にうんざりするほど聞こえていた風切り音が聞こえなくなった。突然、無音の部屋にでも放り込まれてしまったかのように、耳が音をうまく拾ってくれない。だが、彼女の声だけは突き刺す様に鮮明に聞こえた。
「残った三人。アンタは誰を悪魔で、誰が一番かわいそうな人間だと思う」
「――ッ。 わ、私は……」
ミューリスが口を開きかけたその時、ずっと感じていた浮遊感が終わり。地面へと着地したような感覚を感じた。軽く周りを見回せば、そこは、昨日訪れた、大樹がある場所であった。
その時、ミューリスはこの場所が昨日よりももっと冷たく鬱々とした空気で満たされていることに気が付く。が、その時――
「――いたっ」
ドサリという音と共にミューリスは地面へと尻餅をついていた。尾てい骨から駆け抜けた痛みに思わずそう言って、落とした本人であるクティトを見上げた。
降ろすなら一言言って欲しかった。そんな思いを込めて見つめても、クティトはチラリとミューリスを見た後、目の前の大木へと視線を向けた。仕方なく、立ち上がり、同じように大木を見据える。が、そこには何もない。
ただ、大木と根元の血だまりだけがあるだけだ。が、ミューリスは停止した。
――ナニカいる。
そう思った理由は、ドロドロとした泥でもなすりつけられているような、そんな視線がミューリスを貫いていたからだ。
魔獣に見られている時とは違った悪寒という名の冷たい空気が、頬を撫で、後頭部を撫でて後ろに流れていくような感覚がした。
ミューリスの額から流れた汗が、頬を伝い、首筋を伝い、シャツの襟を濡らす。まだ、なにも出てきていないのに、膝がガクガクと震えてしまいそうだった。
「そこにいるのはテメェのニオイでわかってる。とっとと出てきなよ」
クティトの口からそんな言葉が飛び出る。その声は、聞いているだけで心臓が縮み上がってしまいそうだ。それほどまでに、今の彼女の声には冷たく凍り付いてしまいそうなほどの“殺意”が握り締められていた。
辺りに冷気が立ち込め、うっすらと草木に霜が付く。吐き出した息は白く凍え――
「ニオイで追ってきた? まったく、ハンターっていうのは気味が悪い。だけど……さすがは女神の犬っころってことかな」
大木の裏から一人の女性が姿を現す。ミューリスはその姿を見た瞬間、思わず“どうして?”と聞きそうになった。なぜなら、姿を現したのは――宿屋で受付をしていた彼女だったから。
彼女が悪魔だ。見たことなんてないが、あの重たく陰鬱な雰囲気からそう理解させられた瞬間、ミューリスは激しい頭痛と胸痛に襲われた。ぐっと胸を抑え眉を顰めれば、ダラダラと大粒の汗が垂れる。
いったい何が。だが、その答えを出す前にその痛みは、陽が沈むように消えていく。いや、気にすることができなくなったということの方が正しい。
「――っははははは!」
笑い声が響く。
ミューリスは声のした方へと顔を向ける。すると、そこには楽しそうに笑っているクティトの姿があった。いつも、淡々とした口調で表情を動かすことなんてほとんどない彼女からは想像できないほどに楽しそうな笑い声。
だが、その顔は――酷く歪だ。笑っているのに、その瞳からは涙のように怒りが流れ出していているように見える。
「はははは! 犬っころか。そりゃあ」
何がそんなに楽しいんだ。ミューリスは大きく瞳を見開き、クティトから目を離せない。クティトは暫く笑っていたが、すぐに気を取り直したようにいつもの無感情を思わせる顔つきへと戻ってしまう。
だが、その顔には底冷えするほどの、静かなる憎悪が浮き沈みしているように見えた。ミューリスはどうしてそう見えたのか、不思議に思ったが、グッとその考えを飲み込んだ。
「お前らのことでしょ」
その一言には強い怒りが染みついていた。大木の傍で立っている彼女は肩を竦める。
「あら、じゃあお互いさまということね。……ねぇ、貴女たち、今ここで帰る気はない? そしたら、命ぐらいは助けてもいいわよ。貴女たちは予定外の存在だからね」
ニコリと、安心させるような笑みで彼女は言った。が、その声とは裏腹に辺りの空気は重たくなっていく一方だった。
ギラりと妖しく輝く彼女の瞳がミューリスを一瞬射抜く。全てを見透かすような視線にゴクリと生唾を呑む。まるで、“お前が恐怖で竦んでいるのを知っているぞ”と言われているかのようだった。
「はっ、嘘つきのテメェらの言葉なんか信じない」
淡々としていても力強い怒りにまみれた声が響く。ミューリスは下がりかけていた顔をハッと上げる。
「テメェらは殺す。その心臓を引きずり出して、グチャグチャに握りつぶしてやる」
辺りが白みそうなほどの冷気がクティトを起点に広がる。細胞までも凍り付きそうなほどの寒さだ。ミューリスの方へと向いたクティトは、「下がってて」と言う。
指示に従い真っ白な息を吐き出しながら、ミューリスは下がる。すると、彼女の冷気が渦巻く場所から出たおかげだろうか、木漏れ日に温められた空気が体を包む。
「あぁ、怖い怖い」
女性はそう言ってカラカラと笑う。その姿から彼女が恐怖なんて感じていないことなど明白だ。
「こんなに濃く魔力を垂れ流して、威嚇のつもり? なら残念ね、私にその程度は効かない。ただの魔力の無駄使い」
バカにするようなその声色に、ミューリスは眉を顰めた。が、クティトは表情一つ変えず、ただジッと目の前の女性だけを見据えている。
サラサラと風が吹くように辺りの温度がまた少し、下がった。魔力の範囲の外にいるのに、そのうすら寒さがミューリスにも感じ取れる。
「あぁ、テメェにはなんの効果もないだろうね。だけど、その後ろにいる――奴はどうだろう」
そうクティトが言った瞬間、女性は薄ら笑いを浮かべていたその顔を僅かに歪めた。そして、大木の後ろから、一人の少女が姿を現した。
「ねぇ、寒すぎて、心臓が凍っちゃうよ!」
少女が怒りをあらわにし、女性へと詰め寄る。その少女は落としたはずのぬいぐるみを抱いていた。そして、その表情には先ほどまで見せてくれていた少女らしい無邪気さや明るさと言ったものはなかった。
かわりにあるのは、見る物全てを品定めするような目つきだけがすごく印象的だった。少女は、クティトの背後にいるミューリスに気付くと、観察でもするかのようにスっと目を細める。
「あっ、おねーちゃん。なんだー、まだ生きてたんだ」
「なっ」
少女が心底つまらなさそうにそう言って、がっくり肩を落とす。ミューリスはその仕草に女性とは別の恐怖と気味悪さを感じた。
「ねぇ、どうしてあの二人は死んでないの? 私、お願いしたよね。あの二人の心臓もちょーだいって」
「あぁ、ゴメンね。ここの生き物はみんな魔力が少ないからね、弱い魔獣しかできなかったんだよ。まったく、アイツも、もう少しマシな物を用意してくれればいいのに……」
二人がそんな会話を始めたその時、黙ったままでいたクティトが体勢を低く構え――
「死ね。ゴミクズども」
一瞬で二人の元へと飛び込んだクティトは温度のない声でそう呟き、女性の心臓目掛けて拳を振り上げた。その速度は目では追えない。
「げっ、まず」
女性は少女を突き飛ばすと、間一髪でその攻撃をバックステップで躱す。が、クティトの攻撃はそう生温くは無かった。拳に薄く纏っていた薄氷が銃弾となって女性目掛けて放たれる。
「心臓をぶち抜いてやる」
「ひーっ、最初から飛ばすねぇ。だけど、その程度じゃダメだね」
着地した女性はフッと息を吐き出す。すると、白い吐息は瞬く間に炎へと変わって氷の銃弾と衝突。爆発音と白煙が津波のように辺りへと広がる。ミューリスは片手で煙と吹き付ける突風を防ぐ。
グシャリ。
ミューリスが姿の見えないクティトを探そうと、首を動かした時、そんな音が響いた。そして、次に――女性の苦しむような声が白煙の中から聞こえてきた。
「がぁぁぁぁっ!」
幕を下ろす様に白煙が晴れていく。すると、大木から少し横にずれたところにクティトは立っていた。そしてその隣には、氷でできた杭によって地面へと磔にされた女性の姿があった。
悪魔を倒したんだ。そう思って近づこうとしたとこで、ミューリスは気付く。彼女の真っ白な毛並みに僅かではあるが赤い血液が付いていることに。
「――クティトさん……っ。まさか、ケガを」
「するわけないでしょ。こんな悪魔と呼んでもいいかわからない小物ごときに」
うんざりしたような声でクティトは――手に持っていたものを捨てた。ミューリスの目はそれを自然と追ってしまう。が、その時ミューリスは後悔した。
ベチャリ、という音と共に転がった赤い物体。ドクン、ドクン、と脈打つそれは“心臓”であった。が、その心臓は人間の物とは思えない外見であった。
色は赤色で、形こそ人間の心臓ではあるが、絡みついている血管は黒や紫と言ったおぞましい色で、蛇のような、ツタのような絡み方をしていた。そして、それが、心臓の動きに制限を加えている。
「な、あれは……」
「これが悪魔の心臓。これを潰さない限り、奴らは死なない。だけど、これを潰すには手順があるんだよ」
「手順……ですか……?」
クティトが薄く笑う。そして、コートのポケットから銀色に輝くナイフを取り出した。
「潰すには二択ある。一つは、ナイフでも何でもいいから“銀”で出来た物で心臓を突き刺す」
サクッと銀色のナイフを磔にされた女性の体へと突き刺す。その瞬間、女性は耳を塞ぎたくなるほどの声量で叫ぶ。
『ッアァァァアアアア!』
ナイフの刺さった傷口からジュウっと肉の焼ける音がする。恐らく、銀の浄化作用によってその身が焼かれているのだろう。女性の甲高かった悲鳴が血の底から響くような低いものへと変わる。
酷い声だ。しわがれていて聞こえにくそうなのに、すっと耳に入って来る。これが、悪魔の声なのかと戦慄している中、クティトは気にせず言葉を続ける。
「二つ目、これは、今のアンタには使えない方法だ。けど、私はこの方法でいつも殺すから、教えておく」
心臓を拾ったクティトはそれをグニグニと軽く握る。その時、クティトの手がうっすらと光を帯びる。すると、痛みに苦しんでいた女性の叫び声に変化が現れる。
『――キッサマァァァァァァアアアアアアッ! そのような、汚い手で! 触るなぁぁぁぁ!』
バタバタと激しく手足を動かし必死に立ちあがろうとする。が、チラリとクティトが見れば、新たな氷の杭が女性の体へと突き刺さる。それは、全ての関節へと刺さったために女性はもう動くことができなくなったようだ。
『クソガァァァァァァ! キサマ、キサマァァァァアアアアアア!』
「コイツが叫んでるから納得できると思うけど、この殺し方はコイツらにとって一番、嫌な死に方。そして、女神が一番望む殺し方だ」
心臓を握る手がより一層の光を放つ。ドクドクと、心臓がその光を嫌がるように激しく脈打ち、赤と黒が混じったような血がボトボトと吐き出され、地面を赤黒く染める。
『やめろ、やめろ……』
「無理」
グッと握る手に力を入れる。
『い、いやだ……いやだぁぁぁぁああああああああっ!』
心臓が木っ端みじんにはじけ飛ぶ。辺りに血が飛び散り、それは潰した本人であるクティトにも大量に降りかかる。
キラキラと飛び散った肉片が光の粒子となって消えていく。そして、女性の体も彼女があげる叫び声と共に光の粒子となって消えていく。
「最悪な臭い」
クティトは小さく吐き捨てると、握った手を開き、残った肉片を捨てる。それは、地面へと落下する前に光の粒子となって消えていってしまう。
クティトは軽く魔力を纏い、体に付いた血を凍らせると、軽く体を振ってそれらを振り落とし、大木の横で呆気に取られた様にしている少女へと体を向け――
「次は、お前だ」
その声はどこか寂しげだった。
次回の更新日は2019年11月23日(土)頃を予定しております。
なかなか、更新できずに申し訳ありません。これからも、よろしくお願いいたします。




