中学一年生
中学生の頃――小さな中学校だった。学年二クラス、七十四人。
入学して最初のクラスに、山口翔太はいた。クラスの人気者で、学級委員だった。
わたしは初め、目立たない生徒だった。吹奏楽部に入ったが、一年生の間はコンクールなどには出られず、基礎練ばかりだった。成績は良くも悪くもない。
きっかけは何だったのだろう。何もかも忘れてしまったが、どうも山口くんが関わっていたらしいということだけは強く憶えている。
どうせ、クラスの人気者と、わたしのような目立たない女が喋ったというのを気に入らないと思われたのだ。誰か派手な女の子に。
何の話題だったか憶えていないが、何かをきっかけに山口くんと話すようになった。
そしてある日、学校に行くと、上履きがなかったのだ。
トイレは一日我慢した。廊下で先生に見つかると、「家に持って帰って、持ってくるのを忘れた」と、水曜にはありえない言い訳をした。
犯人以外は、誰もわたしの足元なんて見ないはずだった。でも、帰り際に彼が気付いた。
「丸山さん、上履きどうしたの?」
よく響く声に、教室が一瞬静かになる。
「……あの、昨日、家に持って帰って、忘れたの」
「火曜に持って帰ったの? 丸山さん、変わってるなあ」
山口くんが笑い、そして教室の空気が変わったのを、わたしは肌で感じ取った。
それからも、わたしの物はよく失くなった。休み時間に、鞄の中から教科書を取られる。プリントを、ノートを取られる。その度にわたしは、忘れましたと嘘をつく。一度なくなるとそう簡単に出てこないから、次の日からは隣のクラスの部活の友達に借りる。毎回借りるから呆れられる。でも、「盗られた」とは言わない。いつも「忘れた」と言う。
一年生の終わり、ついに「忘れた」と言えないものを盗られた。
体育が終わって更衣室に戻ったら、ブラウスがなかった。体育の前には着ていたから、「忘れた」とは言えない。体育が終わったあとの授業は社会だった。
吹奏楽部の美幸に「頭が痛いから保健室に行く」と適当な嘘をついて、社会の授業を休んだ。更衣室中探しても、ブラウスはない。犯人が持っていったのだろう。教室に戻れないから、とりあえずついた嘘の通り保健室に行く。ジャージのまま、とりあえず残された制服は抱えて。
頭が痛いから休ませてほしいと言って、ベッドに横になった。
わたしには、犯人の目星がついていた。もしかしたら、一人ではないかもしれないが。
遠くでチャイムの音が聞こえて目が覚める。
「給食の時間だけど、戻る?」
保健室の先生に聞かれて、わたしは首を振った。
「食べる元気はある?」
「ないかも……」
「じゃあ、今日は早退しようか。荷物、持ってこようね。二組だっけ。クラスの子に頼んでくるから」
先生はそう言うと、出ていこうとした。が、ちょうどそのとき、保健室のドアがノックされる。
「失礼します」
声が聞こえてドアが開く。わたしはすぐ、ドアに背を向けた。
「丸山さん、いますか」
声を聞けばわかった。山口くんだ。
「あら、荷物持ってきてくれたの。ちょうど今、先生行こうと思ってたんだけど」
「荷物、危なかったから」
「……どういうこと?」
「丸山さん、たぶん具合は悪くないんでしょ。クラスに戻れなかったんだよね。ブラウス、ここに入ってるから」
声はわたしに向かっている。わたしは振り向かないまま、小さい声で
「ありがとう」
と言った。
ドアがまた開いて、閉じた。先生が荷物をベッドの横まで持ってきた。
「はい。じゃあ今日はもう、帰ろうか」
「……担任とか、いろんな人に、言わないでくださいね。面倒なことになるから」
「そうね。言わないわ」
先生が答えてから、わたしはブラウスが無傷であることを確認して、制服に着替える。
「ありがとうございました。帰ります」
そう言って保健室を出る。右に曲がる。立ち止まる。
「……まだいたの」
「〇〇さんと、××さんが、その荷物、いじってたんだ」
彼は、今ではもう憶えていない名前を並べて言った。
「そう、それで?」
「ブラウスに、ハサミを入れようとしてるところだった」
「そうなんだ。それで、止めてきてくれたの、わざわざ」
「……怒ってるの?」
「さあ。怒ってるかも。余計なこと、しないほうがいいよ。わたしに関わると、ろくなことないよ。じゃあ、今日は帰るから。鞄ありがとう」
早口で言って、通り過ぎる。そしてまた止められる。
「教科書も上履きも、忘れたんじゃないんだろ。全部〇〇が……」
「だとしても、山口くんには関係ないよ」
目を合わせないまま言って、走って帰った。
追ってこないとわかっていたのに、走るのをやめなかった。




