こころ
次に二人で出かけることができたのは、九月末だった。
あの悲しい電話があってから、わたしは「おはよう」と「おやすみ」ばかりを山口くんに送った。
きっと別れなければならないのだと思って、待ち合わせ場所に向かった。
ところが、山口くんはたいへん上機嫌で、わたしはかえって困ってしまった。
「丸山さん、久しぶり! やっと会えた……。何食べたい?」
「何でも……。あなたの食べたいものを」
「そっか、じゃあ、今日は和食がいいな。行こう」
お店に入ってから、彼は会わない間に何があったかを話した。多くの現場に行ったらしい。
「丸山さんは? 何してた?」
「……何してたんだろう。仕事は普通だった。休みのときは本を読んでた」
「僕にも貸して」
「読む暇あるの?」
自分で言い方に刺を感じる。別に、彼に暇がないことを、恨んでいるわけではない。わたしは会えなくても寂しくない。それなのに、自分はどうしてこんな言い方をするのだろう。
「……そうだね。あんまり、暇はないかも」
急降下だ。
「ごめん……」
この人と喋ると、幼いわたしが出てくる。独りでいたがるわたし。
「今度……うちに来たら、好きなの、持って帰っていいよ」
取り繕うように言う。
「……うん。そうする」
「今日は?」
「明日早いからやめておくよ。ありがとう」
寂しそうに笑う彼を呼び戻してしまった。
「心ここに在らず、という感じだな」
月曜になって、仕事に出ると、瀬川さんにそう言われた。少し早めに出勤した朝だった。
「そうですか?」
「恋人と何かあった」
「いえ、何も」
考える間もなく、答えていた。
この否定は肯定だ。
「無理して付き合うなよ。気を遣わなきゃ一緒に居られない相手、しんどいだけだぞ」
瀬川さんは何もかも知っているふうにそう言うのだ。
「瀬川さんに恋愛のアドバイスなんかしていただかなくても……」
憧れていた人に偉そうにそういうことを言われるのが、一番気に障る。
ただの憧れで、恋心でも何でもなかったはずなのに、なぜか。
「怒るなよ」
「怒ってません」
「このアドバイスは僕からじゃないし」
「……え? じゃあ誰ですか」
「自分で考えろ」
瀬川さんはにやりと笑うと、パソコンに向かって仕事モードに戻ってしまった。
九時前になって、澤口さんと石井さんが来て、それから朝礼。
「十一月の誌面が進行中だが、十二月が決まったから報告する。ネットで恋愛コラムを書いている、こころさんという人だ。いつも通り手配してくれ。よろしく。記事に載せてる商品、売れ行きは上々だそうだから。この調子で頼む。以上」
瀬川さんがそう言って、朝礼は終わる。わたしたちはまたいつも通り、それぞれの仕事に取りかかる。
「こころさん、知ってる?」
石井さんに声をかけられる。
「いえ、テレビはチェックしてたんですが、ネットは……」
「SNSとかやらないの?」
「アカウントはありますけど……。友達いないので」
苦笑いしてやり過ごす。すぐにこころさんを調べる。
インタビューのために、彼女の価値観を調べ、素案を作る。恋愛に関する人の意見を、こんなふうにきちんと読んだのは初めてだ。
──自分を大切にできない人は、恋人を大切にできない。自分のことを大切にする、という自分の仕事を、恋人に任せてしまうから。恋人をつくる前に、自分を愛したほうがいい。
「至言だな」
いつの間にかわたしの後ろからパソコンの画面を覗いていた石井さんが言う。
「……いらっしゃったんですか」
「あんまり集中して何読んでんだろうなと思って」
「仕事のためとはいえ、こういうの読むの、初めてで」
「丸山さんにぴったりの言葉だと思うよ。君は自分が思ってるより自分に厳しいから」
そういうと石井さんは部屋を出ていった。
すると、瀬川さんが言うのだ。
「わかった?」
「……え?」
「僕からのアドバイスじゃないって言っただろ」
瀬川さんが微笑んだ。




