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寂しさ

 駅からわたしの家までの道で、彼は昔の恋人の話をした。

「高校生のとき、一人だけいたんだ。丸山さんのこと忘れられなかったから、雰囲気が似た子で……でも、一年くらいで別れちゃった」

「その子、わたしとどう似てたの?」

「まっすぐ伸びた黒い髪と、それから、静かに話す声と、話し方」

 山口くんは、それらがわたしの好きなところのすべてであるかのように、優しくそう言った。

「どうして別れたの」

「丸山さんのことが忘れられなかったから」

「その子とわたし、どこが違うの」

「……あの子、僕が守ってあげる必要がないくらい、強かったんだ」

 

 ──じゃあ、わたしは弱いってこと?


 言いかけて、その言葉は飲み込む。中学生の頃のわたしも、今のわたしも、ある意味では強く、ある意味では弱い。

 彼の昔の恋人も、一面では弱かったのだろう。それが、彼には見えていなかっただけなのだ。

 弱くない人間なんて、どこにもいない。

 

 わたしの部屋に着く。物が少ないから、あまり散らかすこともない。

「期待してた部屋と違って、がっかりした?」

「いや、イメージ通りの綺麗な部屋だよ」

「そう。……お茶入れるね、座ってて」

 

 わたしたちは、ベッドに並んで座って、紅茶を飲みながら話をした。

 やがて彼がカップをテーブルに置いたので、わたしもそれにならった。

 彼がわたしの手を握る。

「……沙紀」

 初めてわたしの名前を呼んだ彼が、わたしを見つめていると知っていた。でも、わたしは顔を上げなかった。

「……恥ずかしいの?」

 わたしはうなずいた。が、実際恥ずかしいことは何もなかったのだ。名前で呼ばれることも、これから二人に起こるであろうことも。

 彼と同じ熱量で見つめ返せないとわかったのだ。だから、顔を上げないで、恥ずかしいふりをするのだ。


 目が覚めると朝の四時だった。浅い眠りだったらしい。隣で寝ている山口くんを起こさないようにゆっくりとベッドから下りる。シャワーを浴びにいった。

 出てくると彼は起きていた。

「おはよう」

「……おはよう。朝ごはん作るね」

 あまりに淡々としている自分にうんざりする。

 わかっている。わたしはもう、中学生のときのような気持ちではないのだ。彼に対して幼い憧れを持ちながら、幼い付き合い方ができないのだから。

 キッチンに立つ。フレンチトーストを焼く。彼もやって来る。

「……何?」

「手作り、嬉しいなって」

 山口くんが微笑む。昔と変わらない、幼い笑顔だ。

「そう? こんなものでよければ、いくらでも」

 それからわたしたちは一緒に朝食をとり、また横になって、夕方には彼を送り出した。

 

 その後しばらく、わたしたちは連絡を取り合わなかった。

 彼は忙しい仕事をしていた。テレビをつけるたびに見かけるじょーかーのマネージャーなのだ。わたしのほうも気を遣って連絡をしなかった。彼からも何の連絡もなかった。

 着信があったのは、九月の初めだった。金曜、夜十一時。

「もしもし」

「あ、丸山さん、久しぶり」

「うん」

「何してた?」

「何も。そろそろ寝ようと思ってた」

「ごめん」

「いいよ。明日休みだし」

 淡々としたやりとり。電話が鳴ってもときめかないわたし。少し寂しそうな山口くん。

「ずっと連絡しなくてごめん」

「忙しいんだろうなって思ってたよ」

「忙しかったのもあるけど……待ってたんだ」

 何を?──そう聞こうとして、やめた。何を待っていたか、すぐにわかったからだ。

「たまには、丸山さんから、連絡が来るかなって……」

 電話の向こうで、彼はまた、微笑んでいるような気がした。

「ごめん……。でも、本当に忙しいんだろうなって思ってたんだよ。じょーかーの二人だって、よくテレビに出てるし」

「わかってるよ。でも、寂しいじゃん。丸山さんは、寂しくならないの?」

「……ねえ、山口くん、何かあったの?」

「何もないよ。ただちょっと、仕事がしんどかったんだ。それで声を聞きたくなっただけ」

 

 わたしは、自分が必要とされていることに、喜びを感じるはずだった。

 誠に必要とされたかった。でも彼にはわたしは必要なかった。

 わたしを必要とする人に愛されたかった。そのはずだ。


「山口くん、ごめんね」

「いいよ。気を遣ってくれたんでしょ。でも、これからは連絡が欲しいんだ。どんな小さなことでもいいから。仕事終わったよ、とか」

「うん、わかった」

「じゃあ、遅くにごめんね。おやすみ」

「うん、おやすみ……」

 ひどく寂しい音が耳元で響いて、でもそれを寂しいと思わないくらいに情のない自分に寂しくなった。

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