第一話
――星空を、見上げていた。
冷え切った真夜中の『一枚岩』の上に寝転び、ぼんやりと。
理由は特にない。なんとなくだ。
強いて言うなら、理由がないのが理由、だろうか。
意味のない意味。空虚でない空虚。
なんとなく思いを馳せて、どうでもいいかと切り捨てる。
「……あぁ」
適当な吐息が漏れる。
そのまま、誰かの声が聞こえるまで。
ずっと、わたしはそうしていて――
◇
「はっ、はっ、はっ」
――走る。
固い地面を蹴って、一足ごとに遠くへ、遠くへ。
上手く撒けたのか、もう怒号は聞こえなくなっていたけれど、それでも私は、恐怖から逃げるように走り続けていた。
夜の街は、不自然な程に静かだった。
月の形と位置は見た。だから、いまがそう遅い時間帯でないのはわかっている。
私はあまり関わったことはないが、普段ならまだまだ家の外を人が行き交っている頃合いだ。
特に、先ほど通り過ぎた繁華街などは、今頃こそが盛況なのだと小耳に挟んでいた。
なのに。
「……誰も、いない?」
そもそも、どこに逃げるべきなのか。
それすら決まっていなかったというのに、さらに疑問が追加されて、もう私の頭の中はぐちゃぐちゃだ。
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ」
そのうち、体力も尽きてきた私は、闇雲に走るのを止めて立ち止まり、壁に肩を預けて荒い息を吐く。
いつの間にか、来たこともない街外れまで来ていた。
「……わ、わけが……。わけが、わからないっ……!」
重なった異常は、とっくに私の処理限界を超えていた。
さらに言うなら、体の方も限界だった。
――だから、その脅威に気づくのが致命的に遅れた。
「……グルル」
ゾクリ、と。
緩んでいた全身に怖気が走る。
獣の声。
魔力の尽きた私では、到底対処できない敵。
怖い。怖い。怖い。
壁に背を向けて、恐る恐る振り返る。
「ひっ……」
そこにいたのは、大人程の大きさの狼だった。
漆黒の毛並みに、金の眼光。
纏う魔力は異様なほど鋭く、まるで髭剃の刃のようだ。
万全の状態ですら、恐らくは敵わない。
近づかれた時点で勝機――いや、生存の余地はない。
それが、理解できてしまう。
「グゥ……ル」
「……ぁ」
体勢が落とされ、足がバネのように畳まれていく。
――黒狼が、地面を蹴った。
ここで、終わるのか。
終わって、しまうのか。
先に見える希望はなく。
ただ、残酷な暗雲だけが一瞬後に――
思わず、目をつぶった。
「――グルァゥッ!!」
「――魔法《星空の世界》」
――どこか聞き覚えのある声がした。
次いで、なにかとなにかがぶつかり合う音。
訪れる筈の死は、やって来ない。
「…………え?」
目を開ける。
それは、背中だった。
それは、幼い少女だった。
それは、きっと、奇跡そのものだった。
「――追加、魔法《星の閃光》。――魔法《星の閃光》。――魔法《星の閃光》」
「……グッ、……グルル、グルッ……!」
少し特別な魔力が壁になって、私と少女を守っていた。
続いて、同じ属性の矢が、連続して放たれる。
世界を抉るように進む光が、俊敏な黒狼を回避一辺倒に追い込んでいた。
――それは、全ての属性を均質に混ぜた『星』の魔法。
「……あなたは、誰?」
混乱の極みにあった私の頭は、酷く場違いな質問をしていた。
応えるように、少女が振り向く。
改めて見ると、彼女はかなり小さかった。多分、五歳は年下だろうか。
珍しい金髪金眼で、人形のように整った容姿に無表情を貼り付けている。
服装は幾らか奇妙で……なんというか、装飾が多く、露出が多い。
いままでに見たどんな人とも違うのに、どこか僅かに既視感を覚える。
「私は――」
そうして、謎の少女はゆっくりと口を開いた。
「――『魔法少女』です」