002 出会いは運命的に(2)
いちどテーブルのところに赴き、そこに置いてあるランプに光石と呼ばれる魔石の一種を投入すると、底に刻印された術式と反応して強い光を放ちはじめた。
まだ日は顔を出していない時刻だが、照明によって部屋が明るくなる。ベッドの上で、困惑したように座っているエルフの娘の顔や体躯も、よく確認できるようになった。
少女の背丈は、俺よりも頭一つ分近くは低い。胸も大きくない……というか、ほとんど平らなので、女性というよりは子供という印象を強く受ける。
顔立ちから判断すると齢二十の俺よりもかなり若く見えるが、エルフ種族は二次性徴後の老化が人間種よりも非常に遅いことで有名だ。もしかしたら……俺より年齢が上という可能性もあった。
「……それで」
俺はわずかに目を細めて、彼女に言葉を向けた。
「どうして俺の部屋に現れたんだ、きみは」
仕草や雰囲気を見るかぎり、とても害のあるようには見えないが、それでも厄介事を抱えた者かもしれない。テーブルのそばの椅子に座りながら、俺はどこか詰問するような口調で尋ねた。
それに対して、少女は――
「ぇ……いや、その……。どうして、って言われても……」
弱気そうな声でもごもごと答える彼女の顔は、戸惑いの色で満ちていた。隠し事をしているのか、と疑ったが、さっきからずっと困惑した様子だったので、もしかしたら本当に自分の状況を理解していないのかもしれない。
俺は溜息を抑えながら、どう質問していこうか悩んでいると――
「……っ」
ふいに少女は、不安そうな表情で自分の顔をべたべたと触りはじめた。謎の挙動を続ける彼女は、ふと自分の耳に触れたところで、ピタっと顔を強張らせて硬直した。
数秒後、彼女は混乱したような声色で、
「……み……耳が、とがってる」
「――は? ……いや、当然だろう。きみはエルフだろ?」
エルフの中にもいくつか種類があるが、人間などとの混血でないかぎりは、ふつう耳はとがっている。その特徴がある以上、彼女がエルフ種族、あるいはその血を強く受け継いでいることは明白だった。
……だというのに、まるで自分がエルフであることに驚くようなことを、少女は口にしている。
俺がその奇怪な態度に訝しんでいると、彼女はまた自分の体を触りだした。耳の次は、そのセミロングの金髪を。それから「あーあーあー……」と発声しながら喉に手を当てたかと思えば、次は自身の胸に手のひらを持っていく。
その女性的とは言いがたい膨らみに、少女の手が触れた瞬間、さっと彼女の顔が青くなった。
「お、おい……?」
いったい何を確かめているのか、さっぱり意味不明だった。声をかけてみたものの、少女のほうはこちらに反応せず――いや、こちらを気にかけている余裕がないといった様子で、おそるおそる手を下に持っていっている。
その手は下腹部でとまり、麻のズボンの腰口を指先が掴んだ。上衣の裾を抑え、ズボンの腰回りを引っ張って自分の股間を確認するエルフの少女。……あまりにも、理解しがたい行動だった。
男の目の前で何やってんだ、と呆れた時――
「お、ぉ……お……」
少女は、おぞましいものを目の当たりにしたかのように、震える声をこぼし。
「――お……女、じゃねーかぁああーっ!?」
まるで自分の性別がおかしいと主張するかのように、うるさく絶叫した。
…………。
いや……何を狂乱しているんだ、この女の子は……?
俺は若干引き気味に、大口を開けて放心している少女を見据えた。記憶か精神に、何かしらの異常を抱えているのだろうか。まさか、自分の体の性別が反転するなど、神の仕業でもないかぎりありえな――
「くそ……あのクソ神様め……。たしかに『美形にしてくれ』って言ったけど、誰も性別を変えてくれなんて頼んでないぞ……」
「…………おい」
ぶつぶつと涙目で呟きだした少女はまるで狂人ようにも思えるが、俺は彼女の正体に心当たりができた。
俺の呼びかけに、俯いていた少女は顔を上げると、上目遣いでこちらに視線を向ける。その整った容姿で目尻に涙を溜めた姿は、思わず息を呑むほど可愛らしかったが――余計な感慨は置いておき、本題を切り出す。
「――エオルズレストという世界、グラティア帝国の東部、ウェラの街。それがこの場所だ。……知っているか?」
「い、いや……ぜんぜん。というか、そもそも――」
「――“世界”が違う、ということか?」
先に予想を口にすると、少女はいちど目を大きく見開いたあと、少し明るげな顔になった。その表情変化だけで、俺の考えが正解なのだとはっきりわかった。
少女はほっとしたような声色で、「なぁんだ」と言葉を漏らした。
「オレが異世界から転生してきたって、信じてもらえるか心配だったけど……証明する必要もなかったのか」
「転生? いちど死んでから、蘇ったのか?」
「ああ、そうだよ。……なに? 転生以外でも、この世界に異世界人が来たりするの?」
目を丸くして小首をかしげる少女。見た目が美少女のわりに、口調が男なので妙な違和感があった。どうやら精神は完全に男性のようだが……。
初めて遭遇するタイプの相手に戸惑いを抱きつつも、俺は表面上は平静を保って言葉を交わす。
「非常に稀、だが……次元の歪みに巻き込まれて、エオルズレストに流れ着く人間はいるらしい。あとは……ヘルゲートから侵入してくる魔族も、異世界人といえば異世界人か」
知性の高い魔種は人類ともいちおう共存できるので、異世界人と捉えることができなくもない――が、まあ、それはさて置いて。
「きみは神の力で、この地に新しい肉体で生まれ変わった――ということで、間違いないか?」
「あー、うん……。そうなんだが……。な、なんか物分かりがずいぶんいい……」
「べつに積極的に否定する要素がないしな。そういう“事例”があることは、歴史上はおろか、最近でも記録がされている」
帝国の建国者は、七大神が一柱『リストール』の遣わした異界からの転生者だということは、学校を出ていない人でさえほとんど知っているだろう。それだけでなく、転生者と思しき存在は、現在でもたまに確認される。
――主に、“死体”として。
「死にたくなかったら、俺以外に自分が転生者だということを知らせるな」
「…………え?」
少女が顔を強張らせて、俺に警戒の目を向ける。
……ああ、言い方が悪かった。これじゃ、まるで俺が脅しているみたいだ。
「すまん、言葉のあやだ。……この地では、神の恩恵を受けた者は命を狙われやすいんだ。迂闊に自分が転生者だとバラすと、悪人に殺されることになるぞ。……まあ、返り討ちにできる力があるなら別だが」
俺の説明に、少女はぽかんとした間抜け面を浮かべた。それから徐々に言葉を理解しはじめたのか、不安そうな顔色に変わってゆく。
「な、何それ……そんなヤバい世界なのか、ここ?」
「きみの“ヤバい”の基準がわからないが……。神の力やマナは、多くの者が求める存在だ。だからこそ、神性が宿っているとされる転生者の肉体は、手段を問わない輩から狙われやすい。……特別な理由がないかぎりは、隠しとおしたほうがいいぞ」
「ぅ……わ、わかった……」
そう言って、少女はコクコクと頷いた。
彼女が最初に現れたのが、俺のベッドの真上というのは、ある意味で“幸運”だったのかもしれない。最初に出会ったのが邪教の狂信者だったら、供物の肉塊にされていたかもしれないし、そうでなくとも……その容姿だと、粗暴な男が相手だったら強姦されていたかもしれない。
俺はあらためて彼女の服装を一瞥した。麻の薄い上衣とズボンというシンプルすぎる装いは、いかんせん警戒感が薄すぎる格好だ。あまり筋力のない俺でも、押し倒したらすぐに裸にひん剥けてしまいそうだった。……いや、しないが。
何かほかに着るものを用意してやったほうがいいだろうか。現状で、貸し与えられるのはローブくらいしかないが……。
――そこまで思考したところで、ふいに俺は眠気に襲われてあくびをしてしまった。
「……悪い。いろいろ説明するには時間かかりすぎるし……もっかい寝たい」
寝入ったのが夜更けだったので、少女に叩き起こされるまでに三時間も寝ていない気がする。彼女に対応すべきことの多さを考えると、このまま起きつづけていては、さすがに体力が持たなさそうだった。
そんなつもりはなかったのだが、もしかしたら俺が不機嫌そうに見えたのかもしれない。「あ……ご、ごめん」と、彼女はしゅんと申し訳なさそうな顔を浮かべて、ベッドから腰を上げた。
……感情表現がわかりやすいな、この子。話をしている感じからも、けっこう素直な性格に見受けられる。まあ、悪い奴ではなさそうだ。
そんな分析をしつつ、俺も椅子から立ち上がって、
「あー……きみはどうする? すまないが、暇を潰せるものなんて持ってないんだが……」
「え? ああ、いいよ。オレは椅子に座って待ってるから。……考えたいこと、山ほどあるし」
はぁ、と深く重い溜息をつきながら、少女は乱雑に頭を掻いた。エルフの可憐な少女の体で、そんな男くさい動作をしているのを見ると、やはり中身の性別は男なのだな、と不思議な気分になる。
「そうか。じゃあ……日の出から一時間経ったら起こしてくれ」
「了解」
少女と位置を交換して、俺はベッドに横になった。そのまま目を閉じて、眠ろうとしたが――
「……重大なことを忘れていた」
「な、なに?」
ぽつりと上げた言葉に、少女がおっかなびっくりといった調子の声で反応する。いや、べつに命に関わるわけでもないので、大したことはないと言えばそうなのだが。
「――俺の名前は、フェランだ」
まだお互い、名乗ってなかった。名前を知らないままというのは、さすがに不便だった。
「きみのほうは? ……べつに、偽名でもなんでもいいぞ。この地での呼び名だ」
「名前……」
転生してきたというのだから、死ぬ前の人生で名前を持っていただろう。それを名乗るのが嫌なら、新しく名前を考えたってかまわない。
いずれにせよ、個人を識別できる名前があれば問題なかった。
「あー、んー……。んじゃ、普通に……“にいな”って呼んでくれればいいかな」
「わかった、ニーナだな」
若干、イントネーションに差異があった気がするが、この世界においてもさして不自然ではない名前なので、俺はそのまま彼女を“ニーナ”と認識することにした。
ベッドに横たわったことで、睡魔が押し寄せるのを感じつつも、俺は最後に一言。
「――おやすみ、ニーナ」
「ああ……おやすみ、フェラン」
こうして、エルフ耳の転生少女――ニーナと俺の、少し変わった日常はスタートしたのだった。