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いつものように。

作者: 綿城 麦

 大抵、一日なんてものは朝から予測がつく。

 いつもの時間に起きて、

 いつものように身支度をして、

 いつものように仕事に出て、

 いつものように仕事をして、

 いつものように仕事を終えて、

 いつものように適当につき合いをこなして、

 いつものように帰宅して、

 いつものように何となく時間を潰して、

 いつものように眠りに落ちる。

 いつも。

 いつも。

 いつも。

 アクシデントやハプニングも、過ぎてみれば予定調和のうち。

 想像の域を完全に飛び出すことなんてない。

 予測不可能なことといえば、眠りから醒めるまでの合間に見る、夢くらい。

 そんな日常を当たり前だと受け止めて、その枠をはみ出すものを求めないのは、たぶん、味気ないことなのだろう。

 それでも、何かを求めて、その期待を裏切られることを思えば、つまらない日常に埋没してしまう方が気が楽だった。

 ただ退屈だというだけのことで、厭なわけでもない。

 それでいいと思っていた。

 ――そう、言い聞かせ続けていた。

 嘘も突き通せば一つの真実になる。

 「事実」ではなくとも。

 そうして、僕は僕に疑念を抱くこともなく、曖昧に、無味乾燥な標準線上の「普通」の人生を送り続けるのだ。

 そして今日も、いつもより少し遅い時間に起きて、

 いつもよりゆっくり身支度をして、

 いつもよりも持て余す時間を潰して、

 いつもよりも少し夜更かしをして、

 結局いつものように、眠りに落ちる。

 週末ごとに訪れる、「いつも」の休日。

 相変わらずの日常が流れ過ぎる。

 ――はずだったのだけれど。

 その夜、いつも眠るはずの時間に、チャイムが鳴った。

 乱暴な鳴らし方で、一度目の音が途切れる前に、二度、三度と立て続けに音が響く。

 ドアホンに応えようとすると、玄関の方から鍵を開ける音がした。

 一人暮らしの部屋。出入りのたびにかけたり開けたりする鍵の音は聞き慣れている。

 間違いなく、正規の鍵で普通に鍵を開けた音だ。

 合い鍵を持っているんだから、わざわざチャイムを鳴らすことなんかないのに。

 溜息が出るけれど、それもいつもの彼女の行動だと思えば、やはりこの突発的な出来事も所詮は予定調和内のことに過ぎない。

 玄関まで行くと、丁度扉が開かれるところだった。

 物凄い勢いで開かれた扉から、やはり凄い勢いで、予想通りの人物が飛び込んでくる。

 背後で、音を立てて扉が閉まった。

 駆け込んできたその人は、土足のままで、体当たりするように抱きついてくる。

 泣きつきに来たくせに、泣き顔を見られるのは嫌だという彼女の、いつも通りの行動。

 僕の首に両腕を回して、全体重を預け、崩れ落ちる。

 それを支えながら僕も体勢を低くして、膝をつく彼女の靴を脱がした。

 よくこんな靴を履いて歩けるものだと思う、刺さりそうなほど細いハイヒール。

 踏み躙られたら、たぶん。――死ねそう。

 どこかで引っかけたのか、肌より少し濃い色のストッキングが裂けかかっている。

 言おうかどうしようか少し迷って、結局、今すぐ出かけるわけじゃないからと黙ることにする。

 それでも少しだけ、そのことに気を取られながら、

「今日はどうしたの?」

 訊ねると、変わり映えもしない泣き言が堰を切って溢れ出した。

 どうやらメインは恋人にフラれたことらしいけれど、感情のままに吐き出される言葉は、正直、何だかよくわからない。

 けれど、恋多き彼女のこと。

 言わせるだけ言わせて、

 泣かせるだけ泣かせて、

「見る目のない男のことなんか忘れろよ」

 ありきたりの慰め文句でもかけてやれば、

 どうせ翌日にはけろっとして、新しい恋に向かって全速力で突き進み始めるのだ。

 僕のところに来るのは、過去と未来を分け隔てるための、儀式。

 彼女にとっても「いつも」の予定調和。

 それはもちろん、なるべく回数は少ない方がいいとは思っているんだろうけど。

 悪いね。

 予定調和の突発的事態。

 僕にとっては悪くもないんだ。

 この瞬間、頼れる者が、僕だけなんだと知っているから。

 一通り胸の内にあるものを吐き出して、涸れるほど泣いて。

 ようやく泣くのをやめた彼女は僕を解放し、立ち上がった。泣き腫らした目を隠すように両手で顔を覆い、ばたばたと洗面所に駆け込んでゆく。

 激しい水音に紛れ、小さく声が届いた。

「いつもごめんね」

 別に。

 「いつも」が「いつまでも」でも、僕はかまわないんだ。

 そんな思いを圧し殺し、そっと洗面所を窺ってみる。

 頻りに顔を洗う彼女の足許を見遣れば、さっきよりも進んだストッキングの裂け目から、呆れるほど白い肌が覗いていた。

 何に引っかけてできた傷かなんて、知らないけど。

 そうやっていつまでも、引き裂かれ続けていてよ。

 僕にはできないことだから。

 少し大げさに溜息をつきながら、僕は肩を竦める。

 洗面所の鏡越しに、顔を上げた彼女と目が合った。

 まだ赤い目。

 濡れた顔。髪。

 水が、滴り落ちる。

 目を逸らしたい衝動を抑え、僕は曖昧に笑った。

「弟に遠慮してどうするんだよ」

 いつも通りの言葉。

 いつも通りに、

「そうね」

 彼女は笑う。

 いつも。

 いつも。

 いつも。

 すべては、予定調和のうち。

 想像の域を完全に飛び出すことなんてない。

 予測不可能なことといえば、眠りから醒めるまでの合間に見る、夢くらい。

 だけど。

 ――今夜の夢は、予測可能。

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