リオナルド・カストネル 10
俺の目の前に座る壮年の優男アルフレド・ベルトワーズ伯爵は擬態が巧すぎる。
三人の子供と孫が一人居るというのに若々しく整った顔立ちで、優雅な態度と柔和な笑みで人を惹きつける。彼との逢瀬を望む女性は未だに多くいる。溺愛する妻がいる為にその誘いに乗ったことは婚姻後は無いらしいが。
初めて紹介された時の印象は「優しそうな人だな」というだけだった。
それが本性を晒された時には本気で驚いた。
人の頤を大きな手で掬い上げて黒く昏く微笑んだ。効果を飛ばすなら彼の後ろには悪魔の如き黒い羽だ。それほどに邪悪だった。
「娘と婚約したいって? 巫山戯たことは言わないで貰おうか」
一瞬怯んだが俺は彼を睨み返した。本能が退くなと命じたからだ。
「ふざけていません。本気で申し込んでいます」
「はははは!! レオン! 凄いぞ! 彼は私を睨み返してきた!」
この年で随分と胆が据わっている、似ていないと思ったがやはり君の子なんだなと上位の公爵である俺の父に友人とはいえ随分と失礼な物言いをした。
「すまん。アルフレド、子供の戯言だ。後でよく言っておくから」
間に入ろうとする父を伯爵もそして自分でも制した。
「僕は戯言など言っていません」
「彼は戯言など言っていないさ」
見下す伯爵を俺は見上げて睨んだ。父はさぞ胆を冷やしたことだろう。この時には伯爵の印象が「恐ろしい人」に変わっていたが怯んでは意味がないのも察していた。
「ああ、見込みはありそうだな。リオナルド君、君が私の期待に添える人物となるならば婚約を認めてやらなくもないよ」
「何をしたら?」
「話が早い。まずは教育を」
そうして彼の課すままに教育を受けた。もともと公爵家の嫡男としての教育は受けていたが、伯爵が課したのはその比ではない。語学から人を教唆する方法まで、およそ子供には教えないことだ。ここまでされれば馬鹿でもわかるが、伯爵こそが裏で貴族界を牛耳っている人物だ。欲のなさそうな人の好い伯爵の仮面を付けて、その裏で俺の父の権力までをも使い政権を握っている。真に人が好いのはやり手と言われている父(伯爵のいう様に純朴ではあるが芯は豪胆なところがある)であり、それを動かしているのが伯爵だったのだ。救いは彼が良識を持った権力者であったことだ。とりあえずは覇権を握ろうかとかいう意思はないらしく、国家の転覆を企んでいる訳でもない。彼とその家族が生きやすいように便宜を図るついでに国家の治安も治めている、そんなところか。ただ、仕事漬けになるのは御免らしく、その大半が父に押し付けられていた。その為父は聡明な公爵様と評判だが。つまりはいいように使われているのだ。本人が納得しているのなら俺がどうこう言う事ではないので放っておく。本当に嫌なら父だって反抗するだろう。……たぶん。
まずは二年間そんな感じで教育を受け、なんとか婚約という形式をとるに至った。
「婚約したとはいえ結婚させるとは限らないから、婚姻までは手を触れないように」
としっかりと釘を刺され、そこからは士官学校に投げ込まれ、飛び級して卒業すれば王子の補佐役になれとの指示だ。エリートコースと言えば聞こえはいいが、時間を拘束されるものばかりで、つまりはヴィアンカと出来る限り離しておこうというつもりだ。
これだけ大きな男でありながら、娘の事となるととんでもなく心が狭い。
人の事は言えないが。
互いにこれが同族嫌悪というものなのだろう。
認めてはいても好きにはなれない。
伯爵と俺はそういった関係なのだ。
……不毛な……
「次はどんな無理難題をこなしたら、婚姻の許しが頂けるのでしょうか」
「君の口添えなしでヴィアンカが泣いて頼んで来たらかな」
伯爵の溜息交じりの言葉にこちらも心で溜息を吐く。
自分に課せられることならどんなことでもやり遂げる自信はある。だがヴィアンカが泣いて頼んだらだと?
「お父様、リオ様と結婚させて下さい」と泣きながら? 口添えなしで?
言わないだろう。ヴィアンカは俺たちの婚姻は伯爵も望んでいると思っているのだ。まさか本当は反対されているなんて思ってもいない。なのに泣きながら懇願? 例えば6月に結婚できなくなったと言ったとしても、その理由は俺の方にあるのだろうと思って待ちますと素直に言うだろう。 「君の父の反対にあってね」と言ってしまえば口添えしたと見做される。
さて、どうする。
「口添えなしとは……なかなか難しいですね」
その言葉にうっすらと伯爵は微笑んだ。