勇者登場、もとい襲来
3話にしてようやく勇者様登場。
何様俺様勇者様ですけれど。
かくしてサラの違和感さえ徐々に失っていく様な日常生活は続いていった。
無論元の世界へ帰りたいと言う焦燥は消えないがかといって日々を欝々と過ごすのは性に合わないし、正直そんな暇もなかった。
朝方に自室に戻り就寝し、昼過ぎに起床して身だしなみを整えてから店に向かい下ごしらえ。
夜は慌ただしく店をやりくりし、たまに家主兼オーナーから「たまにはこっちも手伝え」と昼の店を手伝わされる。
週に2日の休みには洗濯をしたり掃除をしたり、ふらりと街に出てはドワーフが作ったらしい細かな細工が掘られた装飾具に見とれて。
出稼ぎにきたらしいエルフの青年から魔法具でもある装飾具を買っては上機嫌になったり。
哀しい事にこの世界でもやはり恋人はいないが、それでもやはりある意味元の世界と同じように日々をつつましく生きていく。
結局は元の世界に帰る術がわからない以上、そうやって生きていくしかサラにはできないのだから。
すくなくとも絶望して自ら命を絶つという選択肢はサラにはなかった。
ただ更に薄く遠くなっていく元の世界の記憶に、やはり消せない焦燥が時折頭をもたげるだけで。
帰りたい、帰らなければ。
突然訪れた異世界に居場所はあってもそれは酷く脆いように思えた。
何かの拍子に足元から一息に崩れてしまいそうで恐ろしくさえ思えた。
それでも平穏穏やかな日々は続いて行く、はずだったのだが。
(なぜこんなことに?)
今日も今日とて、オーナーに言われて黒猫亭の昼の営業を手伝っていたのだ。
昼はオーナーが料理を作るからサラダなどを作りながらウェイトレスとして。
それがなぜこんなことに、と呆然というか何ていうか。
綺麗に周囲に空間を開けてサラを、正確にはサラとその前にいる2人の男を遠巻きに見つめる黒猫亭の客達に心底叫びたい。
見つめている暇があったら助けてください、と。
あるいはそろそろ怒鳴りたくなってきた。
サラは、それこそ元の名前は今でも思い出せないけれど日本でもそれなりにつつましく平穏に暮らしてきたつもりだ。
それが異世界に突然飛ばされたと思えば今度はこれである。
さすがに「ねえ、神様。私は何かそんなに酷い事をしたのでしょうか」と尋ねたくもなると言うものだ。
「というわけでね、僕たちの旅について来てくれないかな、って」
「嫌です」
「ついてくるだけで良いぞ。役割は食事を作る事だけだ。戦闘を行えなんて鬼畜な事は言わん」
「勇者が魔王を倒すための旅に一般人を連れて行こうとする時点で立派に鬼畜です」
「ああ、うん。それはそうだね」
にこにこと笑いながら告げた男は自らをルーイ・マルクトと名乗った。
職業は自称「オールマイティに魔術を使える賢者だよー」だそうだ。
挨拶の言葉は「あ、可愛い女の子発見。しかも料理上手とかポイント高いよね」
新手のナンパかと無視してさっさと厨房に戻ろうとしたサラの背後に次にかけられた言葉は。
『ふむ…おい、お前。俺と共に来い』であった。
言うまでもなくルーイのナンパ発言よりも数段タチの悪いものだ。
というよりもここまでくるとお前何様だと言いたい。
店内に入って来た時は本当に二人ともごくごく普通に見えたのに騙し打ちもいい所だ。
無言で風の精霊に警吏を呼んできて、とサラが言おうとしたのは当然だろう。
あの瞬間、サラは心の底から思ったものだ。
(精霊魔法、覚えてて良かった!ありがとう、名前も覚えてないけど教えてくれたエルフのお兄さん!!)
「あ、待って待って!違うから、ナンパじゃないから!!物凄く怪しいだろうけど僕たち怪しいものじゃないから!」
「いや、お前は十分怪しいだろ。むしろ胡散臭い」
「人の事が言えるクチですか、あなた…」
「ああ、俺はカイン。カイン・サイラスという。職業、勇者だ」
「………は?」
サラが風を呼び寄せたことに気付いたのだろう、ルーイが慌ててサラを引き留めようとしているが。
あろうことかそのルーイを連れのカインと名乗った男が邪魔をしているのだからわけがわからない。
だがそれよりもなによりも、さらに続けられた言葉こそサラを混乱へと突き落とした。
ついでに言うなら集中力が一気に切れて呼びよせていた風の精霊はどこかへ行ってしまった。
「…ゆうしゃ?」
「おう、勇者だ。敬え崇め奉れ」
「敬われる様な事したんですか?」
「いや、これからだな」
「なんで偉大な事をした人ならともかく何もしていない人を敬ったり崇め奉らないといけないんですか」
「それももっともだな。だが言った通り俺はこれから人に崇め奉られる様な事をする、予定だ」
「そうですか、がんばってください。それでは失礼します、私は仕事があるんです。とりあえず敬われたければ実績をあげて出直してください」
ゆうしゃ、恐らく文字は勇ましい人と書いて勇者。
世のため人のために世界を救うような偉大な事をする人、であっているだろう。
正直サラには縁のない言葉だが、剣も魔法もなんでもありのこの世界。
ついでに魔族もいれば人間に仇成したりはしないけれど魔王もいる世界だ。
勇者の一人や二人いてもおかしくはないだろう…多分。
(凄まじいまでに違和感を感じずにはいられませんけれど)
カイン・サイラスと名乗った男の事を当たり前だがサラは全く知らない。
だが今まで交わした短い言葉と何よりも男の雰囲気からほぼ確信を持って言える事がある。
この男は。
(俺様、ね)
とりあえず俺に従え、と言う典型的な俺様人間。
唯一の救いは見ていて見苦しかったり失笑するしかない様な人間ではないと言う事か。
その堂々とした偉そうな態度は、確かにカインには似合っていると思えた。
無論、だからカインの言葉に従うかということになるとそれはまったく別問題になるわけだが。
「そんな俺の旅にお前を同行させてやろう」
「ですから嫌です、お断りします、一昨日きやがれ、来てもお断りですけど」
「聞いて驚いて、僕たち青藍まで魔王討伐の旅のまっ最中なんですー」
「へー、すごいですねー、がんばってください行ってらっしゃい」
ふふん、とふんぞり返ったカインの言葉にサックリ返し、わー!と独り拍手をしているルーイには頬笑みを一つ。
告げられた青藍と言う国は確かに魔族の国で、統治者は魔王と呼ばれている。
国の統治制度は至極わかりやすく「強い奴、一番」であるのだから。
主な住民は魔族でその統治者は王、つまりは魔王と言う訳だ。
厳密に言うならば青藍は別に魔族の国ではない。
が、あの国に法なんてものはなく至極簡単なルールがあるだけなのだ。
つまり「強い奴一番国で偉い、弱い奴は死ね」である。
もちろん弱い奴は皆殺しだ!なんて事はないのだが…大陸最北端という立地から気候条件は厳しく、弱い物は文字通り死ぬ。
だから恐らく正確に言うなら「弱い奴は死ね」ではなく「弱い奴は生きていけない」なのだろう。
気付けば国にいるのは魔族だけ、というなんとも言い難い国だったりする、はずだ。
なにせ魔力を糧に生きる魔族にとって肉体と言うものはあまり大きな意味をもたないのだから。
逆に言うならばおそらくそんな種族でもなければ青藍と言う国は生きていく事さえ難しい土地ということなのだろう。
そんな事を思いながらもああ、そういえばあそこの席のお客さんがアップルパイをオーダーしてたな、なんて考えながら厨房に戻ろうと踵を返し。
けれど数歩歩いただけでそれ以上前に進めなかった。
気持ちだけは思いっきりこの男たちから離れたいと願っているのにつくづく世の中とは無情なものである。
というわけでこの話に善良な勇者様などどこにもおられませんでした…
きっとそんな勇者も世の中はいますよ、うん。