第4話 予兆の朝
まだまだ魔法使いがでない……
といっても次回にはでますはい。
ここんとこ忙しくて少しずつ書いていたら無駄に長くなりました。
今更ながら遅れてすみません。
指摘、アドバイス待ってます。
その日の目覚めは思った以上に良かった。
雨戸の隙間から漏れる朝日に目を窄めながら凍山は慎重に二段ベッドの梯子を降りる。
身体は頑丈な方だと自負しているが、以前寝ぼけ眼で降りた時には踏み外してしまい、あれ以降梯子を降りる時は少しだけ注意するようになった。
春先とはいえこの地方ではまだ肌寒い時期、ましてやパジャマだけではとても朝方の冷え込みには耐えられない、薄暗い部屋を手探りでフリースの上着を探すも、暗い色調なので影に紛れどうも見つからない。
仕方なく震えながら木製の古い雨戸をスライドさせると、部屋中に朝日と冷えた空気が入り込んで、それまで判然としなかった自室がはっきりと分かり、昨晩脱いだフリースの上着も“下の段”に無造作に脱ぎ捨てたまま置かれていた。
そのフリースを羽織り外へ出ると一昨日発生した警察署の爆発や部下の同士討ちが無いように思えるいつもどうりの風景が目に入った。
朝の空気は一日の中で最も人を芯から震えさせる寒さがある。誰かが一番寒いのは真夜中だと言っているが、それは全くの見当外れといえよう。真夜中は寒く眠いが、昼の間ストーブに貼り付いたり、お天道様の厄介なっていれば自然と体は熱くなり、過ごしている野外や家の中も暖められ、その余熱で乗り切ることは至極たやすい。しかしながらその余熱も朝にはすっかりなくなってしまう。加えて、熱が冷めきるとき、火照った体温もすっかり身体に多い被さっている布団に吸い取られてしまう。そのため朝布団の中は極楽のように心地よい暖かさだが、いざ外に這い出ると非常に寒い。しかし夜中ふらつく人間は少ないので、朝の空気は一番寒くはあるが一番澄んだ空気がある。
玄関先まで敷き詰められた飛び石をぽんぽんと踏み越え、門を開け放ち、門の傍にあるポストから朝刊を取ると意外な事に、全国紙なのだが一面には警察署が爆発し倒壊していく写真がデカデカと載せられ、見出しには『深夜の爆発!!阿鼻叫喚の警察署』とあり、その日だけで四件もの非情で凶悪な事件が連続して発生した警察の不手際を散々に書き下ろしてある。
ああ購読者の欄にはアイドルを重傷にさせた自分達に恨み辛みが事細やかに書かれているではないか。
これで観光客の足もまた遠退く、か……
何ともいえない表情そう呟くとそそくさと小脇にポストに入っていたものを抱えて家に戻り、居間と食堂の雨戸とカーテンを開け、テレビを点ける。
『ーーールリリンを重傷にした犯人もだけど、やっぱり一日でこれだけ好き放題させる警察が一番おかしいですよ』
『ーーーえぇ、やはり、根本的に警察組織が保守的であることを正さない限り…』
朝一番に批判を耳にすると、寒い中外にでて清々しくなった気分も損なわれてしまう、アナウンサーが次の言葉をしゃべる前に凍山はテレビを消し、朝食を作るため台所へと向かうが、けたたましいインターホンの音に阻まれぴたりと足を止める。
部下は全員死んだか拘束しているので訪れられるはずがない、署や他の交番派出所にも勿論友人はおろか顔見知りすらいない。
はてさて、もしや以前所属していた部署にいる友人かそれとも高校時代の友人か、もしくは別の人だろうかと首をひねると急かすように又インターホンが騒ぐ。
しかし親しい人物なら電話か手紙くらいは寄越しそうなものだがなと呟きながら、又インターホンを鳴らされてはたまらないのでさっさと玄関まで行く。
次に凍山が戻ってきたときには、彼の後ろには大きな旅行鞄をぶら下げた若い女性がついていた。
凍山は居間に入るなり後ろの女性に「取り敢えず座っておいてくれ。積もる話しもあるが、せっかくの話しをパジャマ姿で聴くわけにはいかないからな」といって自室へと引っ込んでしまう。
通されたはいいが誰もいなくなってしまったので、女性は旅行鞄の外ポケットに挟んである本を取り出して読み始める。女性が十行辺り読み終えたあたりで凍山は居間に戻ってきた。しかし身なりはさして変化してなかった。
「久しぶりだね公暁君。いつ頃日本に帰ってきたんだい?」
「昨日です。空港に着いた辺りで落田先輩から電話が来て、明日瑠璃ヶ原市にある凍山先輩の新居に来いと言われたので、タクシー拾って来ましたよ」
と女性は静かに答える。
この女性は二弦琴公暁という女性で、ヴァイオリンを弾きに日本のみならず世界中を飛び回り、帰ってきたと思ったら今度は研究やら学会発表でやっぱり世界中を飛び回る学者なのか奏者なのかはっきりしない女性だ。
この公暁なる女性は高校時代、凍山の後輩だったのだがどうしてか凍山に懐いて時折こうして家を訪れている。
「あいつはまたこんな事を。落田はいつも落ち着きがないというか、あいつが大人しくしているところなんて俺は一度も見たことがない」
「ええ、先輩は休み時間の時だってあちこち歩き回っていましたから、ある時なんて授業まで受けていって、先生が気付きはしないかハラハラしているのに先輩は挙手までして恐れ入りましたよ」
そりゃじつに落田らしいと凍山は同意したところで凍山は「また話を切るようで悪いが、見ての通りまだ朝飯を済ませてなくてね、ちょっと失礼させてもらうよ。なんなら君も食べるかい?期待に添える食事はないけど」と話しをまた中断する。
「いえ、ありがたく頂きますよ。どうも外国の食事ばかりしてると身体の調子がおかしくって。前イギリスにいたときなんて食べられた食事なんてろくにないのでずっとトーストと目玉焼きばかり食べてしのいでいたのが、しまいには医者にかかる羽目になって大いに弱りました」
「それはお気の毒様。よく病を治すにはよく笑うか運動するか食事を改めろと聴くがあながち間違いでもないみたいだ。待っている間にニュースでも見るかい?」
と、凍山は立ち上がって公暁に訊くと「いえ大丈夫です、作っていただくなら少しばかり手伝いましょうか?」と女性が答えたので、凍山は淡白に「いや、帰国したばかりの公暁君のお手を煩わせるまでもない。三分あれば出来るさ」といって今度は食堂の奥へ引っ込んでいく。何となく予想がついた公暁はそれをにやにや笑いながら見送った。
凍山が台所に消えて少し経つと、今度はインターホンが鳴らないまま玄関の戸ががらりと開いた音がする、そしてすぐに公暁が居る部屋の戸が開いてメガネを掛けた男がずかずかと遠慮なく入って来て椅子にどさっと座る。先程まで二人が噂していた落田だ。
「いや公暁君、随分しばらくぶりでやんす。今回のヴァイオリンの演奏はどうでやんした?」
「ええおかげさまで、今回は私と二人の男性で演奏しましたがなかなかの出来映えでした」
「へええ、共演したのはみんな男でやんすか。公暁君と比肩出来る男でないのは確かでやんすけど、どんな男でやんす?」
「おい落田、公暁君を呼ぶのは構わんが、連絡の一つくらいは寄越したらどうだ」
話し声を聴いて、凍山が台所越しに落田を非難する。
その声を聴いて家に上がり込んでから見かけないと思っていた家の主人の所在を知り、落田は台所を振り返る。
「おや、家主が見えないと思ったら台所からご登場やんすか。公暁君、今のうちにヴァイオリンと研究を目一杯やった方がいいでやんすよ、凍山君が男の料理を振る舞うなんて庭池にツナ缶が泳いでいるようなもんでやんす」
「庭池や水面揺るがすツナ缶や、ですか?」
「ははは、これは上手い句でやんすね。なら、糸垂らし釣り上げ見れば缶詰めだはどうでやんす?」
「なんだお前たちは、人が料理するのを見てツナ缶とは失礼な」
二人がでたらめに俳句を言い合っていると盆を持った凍山が声荒く今一度居間に登場し、盆をテーブルの真ん中に置く。
すると魚を目の前にした猫のように落田が盆の中を覗き込む。
「ほほお、これは至って日本人にふさわしい朝食に見えるでやんすが、コレじゃあそこらの定食屋と同じでやんすね」
「それなら食わなけりゃいいだろ」
「そう言われちゃ食べたくなるといいたい所悪いでやんすが、もう朝食を食べてしまったので仰せの通り辞退させていただくでやんす」
落田が食事を辞退したので、凍山と公暁は盆から各々箸だの茶碗だのを手にして食べ始める。
しかし例え食事中といえども黙っていないのが落田の落田たるところ。腹を空かせた友人がようやく朝食を口にするというのにも関わらず、横から話し掛けて殊に凍山の食事を阻害する。
「ツナ缶はさておき、最近ここいらは酷く物騒らしいでやんすね。麻薬シンジケートをギャフンといわしめた凍山君なら一捻りとはいかないんでやんすか?」
「私も耳にしましたよ。あの重傷を負った女の子はあっちでも名が響いてますから」
「法条瑠璃子か。ありゃこのままいけば犯人は通り魔として処理されるのが順当だな。署員がごっそり居なくなって人手が全く足りない、パトロールだけで精一杯さ」
インスタント味噌汁のワカメを箸でつまみ上げて宙ぶらりんのワカメを眺めながら答える。ただし、その口振りや表情をみる限り余り切羽詰まったような様子は見受けられない。
「ま、くれぐれもオイラや公暁君に被害が及ばないよう注意して欲しいでやんす。被害と言えば、凍山君の妹もマフィアの手に掛かって入院中でやんしたね?実はオイラ、ここにくる前にお見舞いに行ったんでやんす」
「そりゃ御足労様、でも知っての通りあいつはこれでもかってぐらいのヤクをカクテルでやらされたんだぜ?意識が有るかどうか……」
落田の発した単語に、凍山はほんの刹那反応を見せる。
その後の凍山の発した言葉は血を分かつ兄妹とは思えないくらいどこまでも冷淡で薄情だった。
凍山の家族は彼を含めて、さる研究所の所長であり主任研究員を務める父総治朗、そして三歳年下の妹哀理の三人家族。
母は雄一が三歳の頃交通事故で息を引き取り、総治朗は研究の合間を縫っては雄一等と食事を共にし忙しい身分でありながら息子娘の為と奔走した。
長男雄一が高校卒業後、警察官となりやっと肩の荷が下りたと安堵した頃に悪の手は凍山家に襲い掛かった。
当時所属していた刑事課は、カラオケボックスに装い若い女性をターゲットに拉致を繰り返す犯罪グループを追っていた。
その手口は極めて悪質で巧みだった。
まずターゲットとなる女性が入店するとフロントからカラオケボックスの鍵を渡される。その鍵こそ、悪夢の始まりで、女性はカラオケボックスに入ってくるなり歌を歌う。ここまではそこら一般の店と何ら違いはない、しかしその店と一般のカラオケボックスでは大きな違いがある。
そのカラオケボックスはリラックスして歌ってもらえるようにとアロマを炊いている。しかし、ターゲットとなる女性のボックスだけ通常のアロマだけでなく、巷で世間を騒がせる合法ハーブも炊かれているのだ。
しかもアロマの香りが強く、誰も合法ハーブが炊かれていることに気付かない。
そして合法ハーブで意識朦朧としている内に拉致を行うのだ。
ある日、哀理は家に帰らなかった。
二日三日経ち、総治朗の不安は恐れ、そして確信へと変わる。
二週間後、総治朗は市内の病院で変わり果てた姿の娘を目にした。
哀理は拉致された後、“処置”を施されその他大勢の若い女と一緒にコンテナに積み込まれ、出荷直前だったと雄一は病室で父に告げた。
その口調からは何の感情のかけらも無い、機会音声のような冷たい声だった。
その時父は初めて雄一を殴った。
柔道でならした“がたい”には効き目がないと知っても総治朗は雄一を殴った。何故なら彼からは妹が廃人と化したというのに悲しみを一切感じなかったからだ。
あれほど慕っていて、時には兄妹の域を越えてまで慕っていたのに……
これでは哀理が可哀想過ぎる……
そう思ったから総治朗は雄一を殴った、自分の拳が使い物にならなくなるまで。
その後、雄一は警部補に昇格しここ瑠璃ヶ原市に転勤させられた。
それ以来家族、総治朗とは疎遠になり哀理の見舞いには一度もいっていない。
「凍山先輩に妹がいたなんて初耳です」
「当たり前でやんす。オイラがそれを知っているのもコイツとは中学からの付き合いだったからでやんす。でも実際にみたのは高校の時の一度きりでやんす」
「高校の時の一度きりって、お前俺のこと追けてたのか!?」
そう言う凍山の顔色は血の気が失せたように青ざめて、その横顔をみた公暁は合点がいったとばかりにわざとらしく手を打つ。
「なる程。そういえば凍山先輩、水泳部の山河さんと付き合ってましたね。その後はどうです?式は挙げてないようですが」
「ああ式ね。今はまだ式の予定どころか結婚すらない。手紙を月一回送ってるぐらいだ。もしかすると飽きられたのかもな」
「凍山君の性格は仕事ばかりか、君の結婚話にまで及んでいるんでやんすか」と落田が君らしいとニヤニヤしながら凍山の顔色を窺う。凍山は自身の恋愛の断片が知られていた事を知って、きまり悪く顔を俯ける。
「ここいらで打ち切らないと凍山君が可哀想だから、凍山君の恋愛談は此処まででやんす。所で、公暁君はそろそろ浮いた話しの一つや二つあるんじゃないでやんすか?」
突然恋愛談を聴かせてくれろと落田に催促され、公暁は一度目をぱちくりするが、別段凍山のような赤面するようなこともないので、普段通りの落ち着いた口調で話し始める。
「そうですね、今まで多くの男性と食事会などで食事を共にしましたが先輩のように深い関係を持ったことは一度もないのでお生憎様です」
「公暁君は肉食主義でも凍山君のような燃える愛をしないんでやんすか?なんだか虚しいでやんすねぇ」
「いえ、ただ私にも私なりの恋愛論があるので、なかなかどうして意中の男性が現れないんです。ただそれだけです」
「出来れば公暁君の恋愛論について、是非とも講釈願いたいでやんす。ねぇ凍山君」
「公暁君の恋愛論は実に興味深いが落田、哀理の見舞いに行ったって?あいつの容態がどうだったのか、まずそれを話してもらおうか」
顔を上げた凍山はいつになく真剣な表情で落田を見る。息苦しさを感じて落田は目配せを公暁に送ってどうにか助けてくれと懇願するが、公暁は案の定首を横に振って是非話すべきだと進言する。二対一の多数決の原理で落田は敗れ仕方無さそうにその容態を話す。
「正直驚いたでやんすよ。凍山君は麻薬を目一杯打ち込まれたから、もう意識は戻らないだろうって言っていたから、オイラは花だけ瓶にさして帰ろうと思って病室に入ったんでやんす。すると哀理ちゃんが首をこっちに向けて笑ったんでやんすよ。いやぁ、麻薬漬けにされても人間どうにかなるもんでやんすねぇ、この時ばかりは人間の回復力に感服したでやんすよ」
「落田、哀理が笑ったといったが、それは只の顔面神経が麻痺しただけの、笑顔に見えただけじゃないのか?」
「まぁ、あながち間違いではないでやんす。あの顔はお世辞にも可愛いには程遠く感じたでやんす」
落田の報告を受けて、凍山はそうか、だが意識は回復したのか……そうか………と呟き両手をフリースのポケットに突っ込み俯き何やら思案げな表情を落田らに見せる。
にやにやしながらその様をみる落田はその様子から凍山の照れ隠しと捉え、その姿を忘れるべからずと瞳の奥に焼き付ける。対して公暁はそれを一度も見舞いに行かない内に驚くべき回復をする妹に虚を突かれたのだろうと推測する。
しばらくして凍山はポケットから両手を出したと思ったら、不意に立ち上がり「公暁君、折角だから外にでようか」と散歩を提案する。公暁も別に断る理由もないので「それはいいですね是非お供しましょう。確か近隣の博物館で展示会があると聞いたのでそこへ行って、その後噂の浜辺を歩きましょう」と二の句言わずに賛成し遅れて立ち上がり椅子の背に掛けたベージュのコートを羽織る。
二人が立ち上がるのを見て落田は「それならオイラも同行させてもらうでやんす。凍山君の道案内を被る機会はめったにないでやんす」と金縁の丸メガネを光らせいの一番に外へ出ていって公暁も「早く着替えてくださいね」と凍山の容姿を見て釘を刺す。仕方なしにまた引っ込んだので彼らが出発したのはもう少し後のことだ。
休日の朝早くから乾いた音がひっきりなしに瑠璃ヶ原小学校の校庭から響いており、知っている人ならそれは野球少年団の団員が練習に励んでいるからだと答えるだろう、事実それは間違いない。
しかし残念なことに今朝は首脳陣が各々の所用のためいつものように児童たちはそれほど多く集っていない。そのなか練習を淡々と続ける彼らはほかの団員とちがい、熾烈なスタメン争いで上級生の猛撃を凌ぎ試合で出場権を獲得し続けている。
その栄えある正野手、先日散々いつきに振り回された少年進はグラブの中心に収まったボールをこなれた動作で取り出し向かってきた方へと投げる。
そのボールは放物線を描くことなく真っ直ぐに伸びていきマウンドに立つ人物の構えたグラブの中にすっぽりと収まる。
マウンドに立つ人物は投球に慣れておらず、下投げでボールをホームベースへ投げる。ボールが通過するか否かの瀬戸際の時バッターボックスに立ついつきが強振し、バットの真芯にボールは命中してピッチャーすれすれに進のいる辺りへ飛んでいく。
打球は二遊間、バウンドしながら二塁ベースを飛び越さんと直進しているが守備範囲外ではない、二塁ベースを越す前にベースとボールの間に割り込めれば捕球出来る。脚に力を込め、時には三百キロを超す打球に飛び付こうと脚の力を解放したとき、足下でブツリと嫌な音がして進は勢い良く前のめりにずっこけた。
はっしまったと後ろを振り返るもボールはすでに外野の奥にまで転がってしまっている。
「ちぇ、スパイクの紐が切れてるよ。おーい、スパイクの紐が切れたからもうやめよう」
「ちゃんと整備くらいしときなよ」
「紐はともかく、急いだ方がいいんじゃない?ボール、大分奥までいってるよ」
「あっ、先あがってて。ボール取ってくるから」
不格好な走り方で進は奥へボールを取りに行ったので、いつきはマウンドに立つ琴美に声をかけて各塁のベースとその辺に転がっているボールを集めてグラウンド脇にある倉庫に片づけ、その後進がくるのを待って倉庫を施錠し倉庫の壁に立て掛けてあるトンボで使用したグラウンドの整備をする。このトンボが野球をし終えたときの一番の苦労で、何度となく均してもトンボの脇から土が漏れて線が出来たり、土を沢山持ってきてしまってそれの処理にまたグラウンドを往復したりと、疲れた身体に鞭を打つような義務だ。
三人しかいないので、トンボが終わった頃には雀が鳴き終えて鳶が円を描いていた。
グラウンドの土手を駆け上がりその勢いで職員室の扉を開けて靴を脱ぎ中へ入って窓際でコーヒーを飲んでいる担任教師を見つけいつきは声を張り上げた。
「由里先生、野球の練習が終わったので倉庫の鍵を返しに来ました!」
のんびりコーヒーを飲みながら書類を眺めていた担任教師は驚いてコーヒーをこぼしかけるがなんとか持ち直して書類にはコーヒーをこぼさなかったが、かわりに膝の上に熱い液体は降りかかった。
「あちちっ。あ、あら朝早くから練習してるのにいつきちゃんは元気ね」
「大丈夫ですか?」
「ええ、進君はどうしたの?泥だらけな上顔を擦りむいちゃって」
そこらにある雑巾で膝を拭きながら土と血で汚れた進の顔を見ていかにも痛そうだと顔をしかめて進に訊くと、進はスパイクの紐が切れて転んでしまいましたと痛そうに擦りむいた所をさする。
それは大変ね、直ぐ消毒しましょと担任は進を連れて職員室を出ていき、戻ってきたときには進は顔中絆創膏だらけな上、消毒液が余程染みたのか練習後よりさらに疲れたように見えた。
「今度は怪我しないようにね、さようなら」
職員室を出るとき担任はそう進に注意して、それに進は「出来るだけしないように気をつけます」と苦笑いしながら答え、琴美は「出来るだけさせないよう気をつけます」と一礼して扉を閉めた。
校門を出ていつき達はいつもは抜け道を通るのだが、以前から見通しが悪いと言われている上、先日の誘拐事件場になったこともあり抜け道の両端は黄色いテープで張り巡らせられて通行出来なくなっている。
なのでそこを右に曲がって通常の通学路を歩くのだが、琴美がバックの中から取り出したパンフレットを読みながら歩いていているので、進が肩を引かなければ危うく道路標識に顔を打っていた。
そのパンフレットの表紙には土偶や茶こけた骸骨の写真が不気味な雰囲気を醸し出し「中新世から更新世までの人類の発生と革新」と黒い背景色に赤色の文字で描かれていて小さく隅の方に「小学生までは三名様以上で入場料無料」とある。
「それじゃ、一旦家に帰ったら直ぐに伊奈部池に集合ね」
分かれ道のT字路に差し掛かって琴美は反対側を行くいつき達に約束なんだから守ってよと念を押す。いつきはもちろん当たり前だよと即答するが、顔中絆創膏だらけの進はなんとなく嫌そうだ。
それじゃ伊奈部池でと琴美が言ったその時、T字路に侵入してきた黒いワゴン車の内先頭の車が鳴らしたクラクションが三人の足を止める。
嫌な予感が脳裏を走り琴美は急いでいつき達の方へ回り込んだ。
やがて先頭のワゴン車の助手席の窓が下がり、中から太めの中年男の顔が窓を乗り出して三人は後ずさる。
「ぐほほほほ、キミ達可愛いねぇ。オジサンとこれからーーー」
とそこまで言ったところで、中年男はあふぅと気味の悪い声をあげて昏倒した。
見たところ運転手が中年男の後頭部を強打したらしい。
若々しい派出所の飾り物より少し年上くらいの男だ。
「驚かせてごめんね?コイツはどうも変な癖を持っていて……。おじさん達は警察官なんだけど、この辺りに警官同士が争った派出所が在るはずなんだけどその場所教えて貰えないかな?そこの責任者と話しがしたいんだ」
若い男は警察手帳をいつき達に見せながらルリリンビーチ前派出所の場所を教えて欲しいと言うが、さっきの不気味な中年男の事もあっていつき達は顔を見合わせるなりお互いに額を近づけて互いに教えるべきか相談を始める。
「教えない方がいいよ。あのデブ、なんかスゴく気持ち悪かったし絶対怪しいよ。」
「でも警察手帳見せたし……」
「怪しい事は間違いないけれど、確かな証拠もないでしょ?ここは教えて早く別れましょ。あのお巡りさんならどうにかするよきっと」
「ここを右折して、しばらく道沿いに走ると海辺に出ます。そうなれば派出所はすぐに見えますので」
「ありがとう、助かったよ。頼みついでに悪いんだけど、博物館の場所も教えてもらえるかな?」
自分達がこれから行こうとしていた場所を教えて欲しいと言われ、琴美は嫌な予感はこれかと天を呪いたくなった。
場所を教えればそれは、博物館でもう一度怪しい集団と顔を合わせることになることと同義語だ。親切に派出所の場所を教えた事が失策になるとは誰が予想できたであろうか?
「ここだけの話し、実は今朝県内の警察各所にFAXで犯行声明が送られてきたんだ。警察署を爆破したのは自分達で、次は博物館を襲撃するって」
「……博物館は市街地から少し離れた運動公園の川を挟んだ反対側にあります」
「ありがとう、協力に感謝するよ」
ワゴン車は琴美が言った通り右折して、やがて見えなくなる。それをぼんやりと琴美は見つめ、そして後ろの二人を振り返る。いつきはどうするのと言っているような顔で琴美を見つめる、進は恥をかかずにすみそうで今にもバンザイをしそうだ、その顔がヤケに癪に障る。
「博物館……行くよ」
「え?」
「やめときなよ、あの人怪しいじゃん、ねえ?」
「いや、琴美が楽しみにしてたんだし。折角だから行こう!」
「ありがと、いつきならそういってくれると思ってた」
琴美の思い掛けない提案にいつきは一瞬呆気をとられる。しかし約束は約束、つい三分前に言ったばかりのことをそうそう破ることは、いつきは好きじゃない。進は最後まで抵抗の態度を見せ続けたが、いつきが琴美の味方になったことで孤立し、それなら今後少年団の救援に行かないと宣言されあえなくご同行が決定した。