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『さよならあの日の僕ら』

 突然ですが、俺には娘が二人います。咲希と凛梨花といって、二人とも可愛い双子の女の子です。でも、一緒に住むことはしていません。それどころか、彼女達は俺の本当の娘でもありません。俺は何の変哲も無い、特別な家庭事情も抱えていない、高校二年生の男の子です。なぜ俺が彼女達を娘として育てているのか。その理由を話すには、まず一人の女性の話をしなければなりません。今から、二年ほど前の「僕」の話になります。


 2004年10月23日。僕にとって忘れられない日だ。この日、僕は長年思い続けた女の子に告白した。

「ずっと好きでした。付き合って下さい!!」

「いいよ」

 彼女の返事はあっけなかった。あまりに事が早く済んだので、今まで溜めに溜めた僕の思いは何だったんだろう。なんてぼぅっ、と考えていて、言葉を返すのを忘れていた。

「それで、付き合ったら私たちは何するの?」

そんな事を言われて初めて、「あぁ。OKしてくれたんだ」なんて気づいて、慌てすぎて、変なことを口走った。

「じゃん……けん」

 爆笑されたのを覚えている。彼女が「じゃあ、初じゃんけん」と言ったのも、彼女がパーで勝ったのも覚えている。その時は恥ずかしくてたまらなかった。あまりに彼女の笑顔が眩しすぎて。大切なものが手の届く場所にあることが、嬉しかったから。

 彼女の名前は桜木 希凛。僕が初めて付き合った女性だった。


 それから数ヶ月。僕達は仲良く、程よくいちゃつきながら交際を続けていた。お互いにケンカもしたけど、なんだかんだで一緒にいる。そんな理想的なカップルだった。ところがある日、いつものように一緒に下校していると、突然彼女が無言になってしまった。どんな時でも明るい彼女からは想像もつかないようなテンションだったので、不安に思い、思い切って尋ねた。

「何かあったの?」

 彼女は、はっ。と顔を上げると、慌てて顔の前で右手をぶんぶんと往復させた。

「ううん。何でもないの。心配させたよね、ごめんね」

「そう。何もないならいいんだけど」

 それっきり、二人で黙ってしまった。今思えば、あの時もっと深く聞いておくべきだった。後悔が先に立つことなんてないけど、それでも、悔やんでも悔やみきれない。そうできていたなら、彼女があんなに泣くことは無かったはずだから。


 2005年2月12日、朝。僕は噂で、僕の彼女が元カレに襲われた。という話を聞いた。その頃僕達は受験を控えて距離を置いていたから、その話を聞いてショックを受け、まず僕は自分を責めて、それから彼女のクラスに向かった。案の定、彼女は欠席だった。彼女のクラスも騒然としていて、先生ですら情報の収集に走り回っている様子だった。

 と、突然ぴたっ。と音が止んだ。振り返ると、そこに彼女がいた。

「きり」

 僕が名前を呼ぶと、彼女は苦しそうに笑った。

「おはよう」

 僕は、僕は、何も聞くことが出来なかった。彼女の顔を見て、噂が事実だということは分かった。でも、それを支えてあげるだけの力は、まだ僕には無いと、心が勝手に決めていた。体も、それに倣った。

「じゃあね」

 僕は、その場を去った。なんて残酷なことを言ったんだろう。一番側で支えてあげるべきなのに。彼女は僕を必要としたから、来るとつらいと分かっていて学校に来たのに。僕はそんな事も考えられないほど、子どもだった。


 それから、半月が経った。あの日からずっと、彼女は学校を休んでいた。受験を控えているということもあって、先生方が必死になって代わる代わる家を訪ねていたみたいだったけど、彼女はとうとう学校に来なかった。僕はあの日からずっと、帰り道や家で泣いていた。何が悲しいのかも分からずに、ただひたすらに泣いていた。

 そしていつものように泣いた帰り道。2月28日。気がつけば、一度だけ送ったことのある彼女の家の前まで来ていた。僕は玄関の前に立った。足が震えていた。体も揺れていて、手なんか、チャイムさえまともに鳴らせないくらいに見えた。何度も何度もためらった。それでも最後に、硬直した体を倒すように――押した。

「はい」

 インターホンから聞こえた声が、懐かしかった。

「じゅん……だよ」

 しばらく、沈黙があった。その後に、足音と靴の鳴る音が続いて、鍵が開いた。ドアの向こうから覗いた顔は、やっぱり妙に懐かしかった。

「はいって」

 彼女は、笑った。


「はい、どうぞ」

「ありがとう」

彼女の部屋にあがった僕は、紅茶を出された。かいだことの無い香りが口の中いっぱいに広がって、少しほっとした。

「ほっとした? その紅茶、リラックス効果があるんだよ」

「へー」

 言ってから、自分の思ったことが顔に出ていたことを知って少し恥ずかしくなった。それを隠すように紅茶を飲みながら、ふと思った。こんな人だったかな?僕に自分から何か知識を披露するような子だったっけ?でも思い出せばそうかもしれない。ううん。そうだったんだ。僕が気づかなかっただけで。

「ごめんね。僕、何も分かってない」

「なにが?」

 彼女がこちらを見ながら、紅茶を少しすすった。座っているのは僕の隣。左側が彼女の定位置だ。

「きりのこと。この間だってひどいことしたし、それに今までだってきっとたくさん、たくさん、僕が気づかないところで傷つけてた」

 俯いた。これ以上彼女の顔を見られなかった。責められるのは怖くない。ただ、自分が恥ずかしかった。

「そんなこと……」

 途中で止まった声が気になって顔を上げて、驚いた。彼女のいつもの笑いかけた顔が途中でひきつって、目から涙が溢れていた。僕は頭がパニックになった。どうすればいのか分からなくて、最初彼女をただ見ていた。でも途中で、思い出した。あの日、自分が逃げたこと。その結果が、これだということ。僕が、彼女から笑顔を奪ったんだ。

 気がついたら、彼女を抱きしめていた。強く、強く。体が自然に反応したことで突然だったから、初めて女の子を抱きしめた恥ずかしさは、その次元を通り過ぎていた。なんとなく、いい匂いがする。と思った。

「じゅんくん。だめだよ。私にそんな優しくしたって、私は何もしてあげられない」

「僕は、きりから何かもらうためにこうしてるんじゃないよ」

 僕の胸で、頭が横に振られた。

「信じられないよ。信じられないの。だってあの人だって、辛い事があったからって、側にいてくれるだけでいいよって、そう言ったから、会ってもいいよって言ったのに……」

「騙されたんだ」

 頭が縦に動いて、鼻をすする音が聞こえた。右手で彼女の髪をとかした。上から下へ、何度も、優しく。

「だって、だって。わかんなくて。そんなのわかんないよ。私そういうの知らないんだもん。知らなかったんだもん。それなのに、ひどいよぉ」

 胸に顔を押し付けて泣いていた彼女が、突然顔を離して、僕の頬を思い切り叩いた。

「ひどいよ! ひどいよ、じゅんくんだって一緒だよ。あの人みたいに私のこと傷つけて、ひどいよ」

 僕は、どうしたらいいのかもわからずに手をうろうろさせた。

「ごめん」

 そう言った途端に彼女が僕の頬をもう一度思い切り叩いた。じんじんと痛んだ。痛んだのは、心だ。

「あやまる優しさなんかいらないの! そんなの誰だって出来るの! じゅんくんしかくれない優しさじゃなきゃやだよ」

 顔を涙やら鼻水やらでぐしゃぐしゃにした彼女の顔が、妙に愛おしかった。僕は何も言わずに彼女の頭を抱いた。彼女はそれからずっと、気の済むまで泣いていた。ずっとずっと、大きな声をあげながらまるで子どものように泣いた。僕はつぶれそうだった。彼女がどれだけ寂しかったか気づいたのもあるけど、何より自分が情けなくて。

「これからは、何があっても一緒にいる」

 彼女は、頷いた。鼻をすすって顔を上げ、またいつもの笑顔で笑った。

「うん。だからじゅんくんは好きなんだ」

 それから二人、他愛もない話をした。その間中ずっと笑顔で、今まで止まっていた時間が急に動き出したようにいろいろな話が後から後から、止まらなかった。夜になり、彼女の母親が帰宅した。そこで初めて、彼女に父がいないことを教えられた。母親は、僕の訪問と彼女の笑顔を喜んで、泣いた。夕飯を三人で食べたけれど、母親をなぐさめながらの夕飯だった。この日僕は初めて、二度と彼女と離れたくないと思った。

「今日はありがとう」

玄関の前の門まで彼女が送ってくれた。もこもこしたコートを羽織って、少し寒そうだった。

「来られて良かった。きり、ずっと一緒にいてくれる?」

 彼女は悪戯っぽく首をかしげた。

「わかんないなぁ。じゅんくん次第じゃない?」

 その様子がおかしくて、思わず笑った。彼女もその表情を崩して、一緒になって笑った。「ありがとう」を言うのを、僕は忘れなかった。


2005年3月18日。僕達の合格発表の日。受けた高校は彼女と別だった。僕は自分の合格発表会場に一人で歩いて行き、合格を見て喜んだ。すぐに道を引き返して、彼女の家へと向かうと、会場が遠かった彼女が母親に車で送られた後で、ばったり会った。

「どうだった?」

 先に口を開いたのは彼女の方だった。僕は無言で親指を立てた。

「そっか」

 彼女はやさしく笑うと、「わたしも」と言いながら親指を立てた。

「おめでとう」

「ありがとう」

 一度繰り返した二回分。それが別れの挨拶だった。


 2005年3月24日。別れの日がやってきた。僕達はお互いに、別れることを決めていた。それは、彼氏彼女という関係を取り去っても親友として心が繋がっている安心感もあったし、何より、遠い場所で思い続けるより、他の誰かとすぐ側で幸せな日々を過ごして欲しいと願っていたからだった。そんな話を笑いながらした僕らは、本物だと思った。一つだけ約束したことは、「いつまでも僕らは僕らのままでいよう」。

「今までありがとう。じゅんくんだからこんなに幸せだと胸を晴れるんだよ」

「こちらこそ。これからもっと幸せになってね。いつでも応援してる」

 最後にもう一度だけ、手をつないで、目を閉じて、お互いを感じた――今までいろんなことがあって今の二人がある。辛かった事も、楽しかったことも、二人じゃなきゃ作れなかった大切な思い出だ。そんな僕達だからこれからもずっと、ずっと――少し経った後で目を開けた彼女の顔は、やっぱり笑顔だった。


 こうして僕達は、半年間の付き合いを終え、それぞれの道を歩いていった。僕にとって彼女との思い出はかけがえのないものだ。一つだって無駄なものは無い。全てが僕の力になり、勇気になり、気づけば大きく成長していた。「さよなら」と言ったけれど、寂しくは無かった。僕ら二人、いつまでも僕らのままでいると、あの日誓ったから。



 2005年12月31日。それは突然の悲報だった。初詣に向かった彼女が、スリップした車にはねられたというのだ。彼女の母親は、真っ先に俺に電話をした。

「すぐ行きます」

 一緒に行く約束をしていた友達に断りの電話を入れることも無く、コート一枚羽織って外に出た。妙に寒かった。寒くて、自分の頬を伝うものに気づかなかった。病院について、手術室の前に彼女の母親が俯いて座っていたから声をかけようとして、そこで初めて自分が泣いているのに気がついた。母親が顔を上げた。驚いていた。俺は、俺は言葉を発することが出来ずに、立ち上がった母親を抱きしめた。二人で、声も無く涙を流した。

「きり」

 母親が呟いた瞬間、がしゃん。とランプが落ちた。二人、はっ。として扉を無言で見つめた。ゆっくりと開いて、中から出てきた白い男が、手招きをした。中に入ると、彼女が寝ていた。俺が白い男の目を見ると、白い男は静かに首を振った。

「きり」

 手を重ねる。あの日よりずいぶん綺麗になった顔。それでも、手の感触は変わらない。妙に、冷たかったけれど。

「きり」

 もう一度名前を呼んだら、耐えられなくなって手術室から逃げ出した。彼女に背を向け、外まで一気に走った。出てすぐに、大声をあげて泣いた。悲しかった。何が悲しいかって、あの日の僕らは確かにいたのに、今日の僕らはもういない。「そのままの僕ら」は、もう二度とこの世界に存在しない。思い出が思い出になってしまう。何もかもがもう、手遅れだと分かった悲しみで胸がつぶれそうになった。

「誰か、誰かあの子を助けてやってくれよ。お願いだから。代わりになんだって差し出すから。なぁ、神様、そこにいるんだろ? 助けてやってくれよ。なぁ、聞こえてんのかよ!!」

 その場に崩れ落ちて数十分。彼女の母親が俺を優しく抱きしめるまで、そのまま叫び続けていた。


 こうして「僕」は、彼女と永遠の別れを告げた。


 2006年1月7日。彼女の葬儀もとっくに終わり、俺もだいぶ気持ちの整理がついてきた日の夕方。突然携帯電話が鳴った。

『きりの母親です』

『お久しぶりです』

『実は、大切な話があって、じゅんくんにうちに来て欲しいの』

『大切な話?』

『詳しいことは、来てから』

『わかりました。今行きます』

 あの日と同じコートを無意識に羽織り、歩いて向かった。途中に二人の痕跡を見つけたけれど、もう涙は出なかった。家の前についてチャイムを押すと、がちゃり。とドアが開いて、彼女の母親が「いらっしゃい」と笑った。

 一年ぶりの彼女の家は匂いが変わっていた。線香の匂いと、もう一つ。何か温かいものの匂い。不思議に思いながらリビングに通された俺は、そこで匂いの正体を知った。小さなベッドの上で、二人の小さな赤ちゃんがこちらを見ていた。何か会えたのが嬉しいかのような表情で、目をきらきらと輝かせていた。

「咲希と凛梨花よ」

 俺は無言で彼女達を見つめた。彼女に似て、笑顔がかわいかった。母親の意図が、なんとなく見えた気がした。

「お母さん。俺はきりとは一度もそういう関係を持ったことはありません」

 そう言ったのは、責任を押し付けられたくなかったわけじゃなく、ただきりとは母親が見たままの関係だったと、確かめてもらうためだった。

「この子達は、じゅんくんの前の彼との子なの。去年あの子が襲われて、その時にできたみたい。ただ、彼はそれが大きい事件になってしまったから行方不明で。それでもあの子はね、産みたいと言ったの」

「それがこの子たちですか」

 もう一度目を見る。二人とも優しい目をしている。どれだけの愛情を持って育てられたかがわかる。俺は、いろいろ疑問に思ったことを母親にぶつけてみた。

「でも、妊娠って俺と付き合ってたとき既に分かりますよね」

「あの子、知識無かったから気づかなかったのよ」

「じゃあ、世話は誰が?」

「学校に行っている間は私が世話して、夜は私が働きに出ていたからあの子が世話していたわ」

「それで」

 俺は一番重要な話題を切り出した。

「これからこの子達をどうするおつもりですか?」

 母親は、少し躊躇いがちに俯くと、部屋の隅に置いてある小さな木の棚から一通の手紙を取り出した。切手も消印もなかったけれど、そこにただ一つ、俺の名前が書いてあった。

「これを」

 無言で受け取った俺は、封を開けた。それが彼女からのものであることは、差出人の欄を見ずとも分かった。彼女から何度手紙をもらったことか。

『じゅんくんへ。こんにちは。お元気ですか? 今日はじゅんくんに託したい願いがあって、この手紙を書きました。どうか、私の最後のわがままを聞いてください』

「お母さん」

「はい?」

「この手紙、きりがひかれてから書いた訳ではないですよね?」

「もちろんよ。疑問があるなら、最後まで読んでもらえれば解決すると思うわ。私はただ、読ませてくれとしか言伝をもらってないの」

 俺は、目を手紙に戻した。その先にも、彼女のかわいい字がきっちりと連なっていた。

『じゅんくんには教えていなかったけれど、私には双子の赤ちゃんがいます。名前は咲希と凛梨花といいます。二人ともとても元気で、いい子だよ。この子達は、じゅんくんの前の彼氏との子です。それが分かった時、とても悲しかった。だって、私はあの人との間に子どもなんて望んでいなかったから。それに将来のことも、とにかくいろんなことが不安で、悲しくて、始めは産むのを諦めようと思ったの。でもね、もっと悲しいのは、この子達が望まれて命をもらえなかった事だと思ったの。私ね、お父さんがいなくなったとき、自分はお父さんにとっていらない存在だったんだな。って思って、すごく悲しかった。この子達には、そんな思いをして欲しくなかったの。だから、心から望んでこの子達を産みました。大変なこともたくさんあったけど、今はとっても幸せです』

 俺は手紙から顔を離した。正直、不思議でならない。それならどうしてこんな手紙を俺に書くんだ。幸せなら四人で仲良く暮らすことだけを考えればいいじゃないか。それは別に嫌味を言うんじゃない。俺に何を託したいんだろう。

『ただ、この子達はそれで幸せなんだろうか。お父さんがいない。私と同じ。それはどうしてもすごく悲しいの。私がその苦しさを一番良く知ってる。だから、この子達にはお父さんが必要なの。それで、じゅんくんにお願いします。二人の1歳の誕生日から、この子達のパパをしてください。暇なときに寄ってくれるだけでいいの。ただ、一緒にいるときはパパになって欲しい。いつか子ども達は気づくかもしれない。でもね、この子達にはそれが必要なの。それに、頼めるのはじゅんくんしかいない。今まで付き合った誰より信頼しているし、今でも大好きだよ。じゅんくんにならきっとこの子達のパパができるから。最後のお願いなんて言ったって、本当に勝手なお願いだと思う。でもね、じゅんくん。私は一人で苦しかった時に思い出すのはいつもじゅんくんで、そのおかげで二人を産む事ができたんだよ。だから本当の意味で、お父さんはじゅんくんなの。ね、パパ。二人の子だよ。これから二人をよろしくね。あと、ついでにママもね(笑 2005年11月4日 桜木希凛ママ

 手紙をテーブルに置き、ベッドで横になっている二人の子どもの側に立った。

「俺を、待ってたのか?」

 おそるおそる伸ばした手を、小さな手が握った。とたんに、今まで止まっていた涙が溢れて止まらなくなった。

 嬉しかった。あの日の僕らはもうここにはいないけれど、ここにあの日の僕らが残した証がある。ここに確かに、あの日の冷たい手と同じ、暖かい温もりがある。

「ありがとう、ありがとう。きり」

 ただただ、泣いた。何にも代え難い宝物を手に入れた嬉しさで。目の前の温もりは、誰にも壊させるものか。これは俺が守るべきものだ。きりとの、約束だ。

「咲希、凛梨花。俺が今日から、お前たちのパパだよ」



 そして今に至ります。俺は学校から帰るとすぐに彼女たちの元に帰り、朝までパパをして、夜中に働いて疲れているきりの母親の分まで朝ごはんを作って、自分の分だけ食べたところできりの母を起こし、一旦家に帰ってから学校に通う生活を続けています。大変ではありますが、それ以上のものを得ています。彼女たちがこれからどんな子に成長してくれるのか。それはまた別のお話。



「パパー! 急いで急いで!」

「入学式始まっちゃうってばー!!」

「はいはい。今行くから。お母さん、準備は?」

「もちろんできているわよ」

「じゃあ準備おっけーだね」

「出発しんこぉー!」

 楽しげな三つの後姿を玄関に見送り、俺は一人仏間に入った。

「それじゃ行ってくるよ。ママ」

 あの日の僕の笑顔で微笑んで、封筒に入れた手紙を置いた。立ち上がって玄関へ向かうと、娘たちに急かされながら家を出ていった。


『二人とも大きくなったよ。相変わらずとっても元気でいい子だよ。あれから五年も経って、もう小学校入学だよ。時が経つのは早いもんだ。あ、今オヤジくさいとか思ったでしょ?板についていたら嬉しいんだけど。ねえ、きり。今もみんな、こうして笑えているよ。きりが残したものはみんな、今も変わらずに輝いているよ。これからもそんな日々が続いていくよう、天国からお母さんと咲希と凛梨花、もし余裕があったらパパの幸せもお祈りしてください。家族五人で、これからもずっと笑っていようね。それじゃあ、いってきます』


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