「夏に 2」
マンションのベランダで、夏服の主婦。
いつから退屈しているんだろう。
花に水遣りを忘れた子供が、枯らしてしまったと言って泣く。
その泣き声がうるさいなんて、思っても良いのだろうか。
「自分が忘れたんでしょう?反省しなさい」
種はまだ、残っている。
また来年に撒けば良いのだから、どうでもいい。
ただただ泣く子供が鬱陶しく、そう思う自分が情けない。
子供と過ごす昼は、とても閉鎖的だ。
公園で遊ばせて、世間話に興じることのできる日は、まだいい。
けれどそれは、一時的なものでしかない。
食事を作り、部屋を清潔に保ち、子供の相手をする日々。
ああ、一体いつから退屈しているんだろう。
いつまで退屈が続くんだろう。
「パパに頼まれてたのに」
子供は取り返しのつかない失敗に、また泣く。
ベランダの端に置かれた植木鉢に、注意を払わなかったのは私だ。
幼い娘に世話を仕事として与え、そちらを向くこともしなかった。
気がつけば、葉が縮れて茶になった太い茎が、立っているだけになった。
「ただいま」と夫が帰宅する。
娘が夫に、向日葵が枯れてしまったと報告する。
「今年は暑すぎたから、仕方ないんだよ」
「ごめんね」と小さくなる娘の頭を、夫は撫でた。
可もなく不可もない生活。
子供ができたとき、専業主婦を望んだのは私だった。
誰にも評価されない生活は、こんなにハリのないものだと知らずに。
娘と一緒に、笑顔で夫の帰宅を迎えるのだと決意したころには
それが一番輝かしい日々に見えたのに。
キッチンで手を泡だらけにしながら、洗い物をする。
この退屈を、どうにかして。
「週末に、もっといい場所に連れて行ってあげる」
娘と夫が指切りをしている姿を、目の端で捉えた。
「うわあっ!すごおい!」
娘が歓声をあげて走って行くのを、慌てて止めた。
「はぐれちゃったら会えなくなるから、手をつないで!」
自分よりも丈の高い向日葵の作る日陰を吹く風は、少し涼しい。
この季節だけ作られる大きな迷路は、濃い黄色の花の群れだ。
「こんなとこ、よく知ってたね」
「この前、電車の吊り広告になってたんだ。連れてきたかったんだよ」
夫がのんびりと言う。
「一番好きな花、だろ?」
そうだった。忘れてたわけじゃないのに、鉢植えには無関心だった。
「ここのとこ、ずっとつまらなそうな顔してたからさ。
家のことも子供のことも任せっきりにしてるから、ちょっとした賄賂」
「賄賂なら、ダイヤの指輪がいいなあ」
答えながら、夫が私の退屈を知っていたのかと驚く。
私は夫が今、何を考えて帰宅するのかなんて、考えてもいなかった。
「向日葵、担いできたね」
「バカだって言われたなあ。プロポーズだったのに」
「そういうのは、花束が相場でしょう」
「向日葵の花束なんて、重い」
「そのために、矮性の向日葵があるのよ」
向日葵を背景に子供の手を引いた夫が、私に笑ってみせる。
「今も、一番好きな花?」
黄色くて、丈の高い花を見上げる。
夏の象徴のようなこの花が、ずっと好きだった。
向日葵を担いで暑い道を歩いてきたバカが、好きだった。
「うん、今も一番好きな花」
忘れてただけ。
輝かしい日に慣れてしまい、迎えるべき人がどんな人か、忘れてた。
思い出したよ、今。
結婚したくて、結婚したの。
居心地の良い場所をあなたに提供したくて、専業主婦になりたかったの。
「今も、一番好きな花だよ」
明日からはもう、退屈なんてしない。
黄色い花が、頭の上で笑ってるから。




