四
ガニメデは悩んでいました。太陽を眺めながら悩んでいました。
ジュピターはどうやら、まだ悔恨を取り除けていないようです。もう少し大きく生長していれば、皆に憧れる太陽のように、光を注ぎ渡す恒星になれたというのに。対流を起こし、蛇の塒を作ります。
ガニメデは悩んでいました。エウロパ、イオ、カリストときて、ガニメデが最後なのです。ジュピターの心情を、ガニメデが完全に解きほぐさないといけないのです。
ガニメデは太陽を眺めていました。燃えゆくその姿はせわしないものなのに、堂々と太陽系の中心に佇んでいます。
「太陽さんに、悩みはあるのだろうか」
これからの自分に悩みながら、ガニメデは疑問を持ちました。
ガニメデにとって、ジュピターも太陽も物凄く巨大なので、ジュピターと太陽の大きさをうまく比較できません。ですので「とても大きなジュピター様に悩みがあるのなら、太陽さんにだって悩みはあるのではないか」とガニメデは考えました。いえ、ガニメデはこの答えを既に知っているのですが。
「太陽さん、太陽さん」
ガニメデが太陽に呼びかけます。
「…………」
ガニメデが太陽に声をかけたのは、これが初めてです。他の星たちも、太陽に声をかけたことはありません。いいえ、嫌われものという意味ではありません。
太陽には、心がないのです。
「太陽さん、太陽さん」
「…………」
太陽は言葉を返しません。そもそも言葉を知りません。ただ燃えるだけです。
「太陽さん、太陽さん」
「…………」
「太陽さん、太陽さん」
「…………」
「太陽さん、太陽さん」
「…………」
五回、同じことを繰り返しました。五回とも、太陽は何も返してくれません。いえ、五回とも沈黙を返してくれました。そうガニメデは解釈します。ガニメデはなんだか元気になってきました。それに加えて、ある考えも浮かんできます。
ガニメデが、カリストに訊ねます。考えを確かめるためです。
「もし、ジュピター様が恒星だったとしたら、アースの生物はどうなっていただろう」
アースの生物に詳しいカリストは、即座に答えます。
「ふむ。誕生することすら難しかっただろうね。ジュピターさんが太陽になってでもいたら、ヒトは存在しなかっただろう」
「そうか、やっぱりそうなのか!」
ガニメデは早速ジュピターに近付きました。嬉しさのあまり早まり、軌道はいつの間にか外れていました。
「ジュピター様!」
ガニメデが叫びます。それはエウロパよりもずっと大きな声でした。
「……なんだい?」
ガニメデの珍しいテンションに驚きつつも、ジュピターが落ち着いて対応します。
「ジュピター様は、アースさんがお好きなんですよね」
「……聞いていたよ、きみとカリストの会話。もういいよ、言いたいことは分かっているから」
ジュピターは落ち着きはらった調子で言いました。
もしかしたらジュピター様の後悔はもう晴れたのかもしれないと、ガニメデは思いました。
「きみたちは、どうやら慰めてくれていたようだね。それに気付かずに、いつの間にか世話になっていたよ。どうもありがとう」
ジュピターは言います。ジュピターの上層部では、進化しない微生物が漂っていました。
「でもね」
ジュピターは言います。高らかな声で、ガニメデ以外の衛星にも聞こえるように。
「恒星になりたいんだ。他に何もいらない。ただ、恒星になりたいんだ」
太陽の光を浴びながら、微生物が光合成をしながら、ジュピターは言います。
「誰かに影響を及ぼしたり、憧れの視線をもらったりすることはどうでもよかったんだ。さっきやっと気付いたよ」
アースでまた花が咲きました。ジュピターは話し続けます。
「ただ恒星になりたいんだ。見返りはどうでもいい。恒星になりたいんだ」
ジュピターは語り続けます。そして、叫びました。
「だから、どうか皆にお願いしたい。エウロパ、イオ、カリスト、ガニメデ、メティス、アドラステア、アマルテ、テーベ、テミスト、レダ、ヒマリア、リシテア、エララ、カルポ……言い切れないくらいたくさんいるきみたちにお願いしたい。僕に衝突してくれ。僕に爆発を起こさせてくれ。僕を光り輝かせてくれ!」
彼らはもちろん、それに従います。惑星あっての衛星なのです。彼らはジュピターのためなら、なんだって投げ出してしまえるのです。
ジュピターの全ての衛星が軌道を外れます。それは塒を巻く大きな蛇のように、衛星はぐるぐるとジュピターを廻ります。少しずつ近付き、エネルギーを大量に消費して、そして――
結局、爆発なんて起きませんでした。ジュピターは太陽ほど大きくありませんが、衛星たちよりはずっと大きな存在です。それらが一斉にぶつかってきたとしても、ジュピターはびくともしません。
ジュピターの周りにある環が、サターンのように濃くなりました。衛星が与えた影響なんて、せいぜいその程度です。
他の惑星に影響を与えるようなこともありませんでした。アースの気候を変えることもありません。いえ、他の理由でヒトは絶滅したのですが。
寂しくなった宇宙を、ジュピターは眺めます。アースとの距離も、なんだか遠くなったようです。
こうして見渡してみて、やっとジュピターは思いました。視界に映るのは、ただの星なんだと。ただ巨大なだけの、結局なにもできやしない連中だと。それに気付いていたから、アースはあんなに落ち着いていられるのだと。
おや、ジュピターがなにか、どうでもいいことを悔やんでいるようですよ。
ジュピターの深部で、進化し始めた魚たちが歩きます。