三
エウロパがぼんやりと軌道を辿っていました。少々不自然に揺れています。潮汐力で形の歪むイオのようです。
「ふむ。エウロパが、まるで欠伸をしているヒトのようだ。ジュピターへの慰め自体は終わっていないというのに、自分の番が済んだからといって、もうどうでもいいに違いない。お気楽なやつだ」
毒づくように、そうカリストが言いました。
「とは言っても、行動したことは認めなくては。……さて、次は私の番だが」
カリストは既に、どうやってジュピターを慰めるのか決めていました。エウロパとイオによる結果から。
それは、単に世間話をするというものです。
「やあカリスト。今日も綺麗なヴァルハラだね」
「ふむ。この多重輪構造が綺麗だというのか。それはともかく、楽しく世間話をしようじゃないか」
「ああ、ちょうど暇してたところなんだ。何を話そうか」
「話……」
カリストは気付きました。話題を用意し忘れたのです。
カリストは少し無言になって、話題を考えます。カリストは即興というものが苦手なのです。
すると、少し離れたところにいるアースから、大きな火柱が飛び出してきました。まるでイオの噴火のようです。
「あ、ついに始まったようだな」
地球戦争。気候変動と人口増加問題を解決するために、人類がわざと起こそうとしている戦争です。
「今の爆発は凄いな……。大気に穴でも空いたんじゃないのか?」
ジュピターが感嘆してそう言います。しかし、それは知識のないたわ言です。カリストが正します。
「ふむ。いや、あれは大気の穴を塞ぐための爆発なのだよ。ついでに、爆発で人口を減らしながらね」
地球戦争で使われる兵器は、全てアースの状態を良くするように作用します。もちろん兵器ですので、たくさんのヒトを殺めもします。人類は個人の命よりも、人類の存続を優先したのです。当然とえば当然のことですが、人類はそれを決めるのにとても多くの時間を費やしました。不思議な生物です。
「それにしても、アース自身はずいぶんと落ち着いているなぁ。美しい」
「ふむ。アースに気でもあるのかい?」
「まさか。きみ、ヒトみたいなこと言うんだね。あ、きみはヒトが好きなんだったっけ」
そうです。カリストは生物に興味をもっていて、特にヒトをよく観察しています。
「ヒトは本当に興味深い生物だよ。身体能力は低いし、知能もそれほど高くないというのに、時代の中心になっているのだからね」
自分たちよりもずっと能力の高い生物を従わせている、と、カリストは呟きます。
「おそらく、太陽系で一番複雑な生物だろう。まだまだ、ヒトには不明なことが多すぎる」
カリストはいつの間にか、ヒトについて熱く語っていました。自分の知識を、惜しげもなく晒し出します。
カリストが語り終えるまで、ジュピターはずっとアースを見ていました。
アースのいたる部分で、大きな蕾が開きます。咲いては散り、散ってはまた蕾が飛び出ます。花が散るごとに、アースの大気が若返っていきました。
アースの中で、たくさんのヒトが溶けて行きます。溶けていくのはヒトだけで、植物はむしろ元気になっていっているようです。
海の上でも、ヒトたちは争っているようです。二隻の船が向かい合っています。片方の船から一直線の光がのびました。それが相手の船に当たると、包丁で切られたかのように船が二つに分かれます。ゴミのようにそこからヒトが海に落ちていきます。今の光ではなんの影響も受けなかった魚たちが、海に落ちたヒトを捕食していきます。
他の所では、全方位を銅で囲まれた土地に閉じ籠っている老人がいました。そこは上も下も銅で密閉されています。このままでは彼は窒息死してしまうでしょう。囲いの中には、彼の他に、大量のペットボトルが積んでありました。それと、彼のすぐそばにはヒトと同じくらいの大きさのケースが置いてあります。老人は、目を瞑ってなにやらぶつぶつと呟いています。どうやら、祈っているようです。祈祷が終わると、老人は静かにケースを倒しました。中から、進化した微生物が大量に出てきます。数時間もしたら、老人もペットボトルも、微生物によってあとかたもなく消えていってしまいました。老人は人類のために――いえ、彼らの言い分によると地球のために――自ら死を選んだのです。
「うわあ、こりゃ凄いね。こんなことしちゃ、ヒトは絶滅しちゃうんじゃないかな」
アースを覗きながら、ジュピターがそう言いました。
「……ふむ。確かにヒトの存続能力は素晴らしいものだよ」
熱く語っているところを遮られて、カリストは少し機嫌を損ねたようです。カリストの古い表面が、太陽に照らされます。ジュピターのほうからは、カリストが陰っているように見えますが。
「素晴らしいが故に、時に絶望の淵に立たされる」
カリストは言い続けます。長く一直線に並んだクレーターが、なんとなく動いているように見えます。
「だが、きっとヒトは絶滅せずに生き残り続けるだろうよ」
カリストが、自信を込めてそう言い放ちました。
「へえ、それはなぜだい?」
ジュピターが興味深そうに訊ねました。自分の悔やみも、一旦は放っておいているようです。
「ふむ」
カリストが言います。
「うまく説明できないけど、ヒトはなにか特別な存在に守られている。よく分からないけど、ヒトはそれを『神』と呼んでいたと思う」
ひときわ大きな花が咲きました。それでもアースはのんびりとしています。何かに守られていて、安心しきっているように。
アースの海中で、魚たちが泳ぎます。