二
「まったく……エウロパには根気ってもんが足りねぇな」
イオはそう言います。
「本人は根気強く観察したつもりでも、あんなのを『根気』だなんて呼べねえな。観察ってのは、見えないから諦めるんじゃなくて、見えるまで諦めねぇもんなんだよ」
独り言が過ぎたぜ、そうイオは言って、早速ジュピターに近付きました。話しかけたり、何かを渡すためではなく、じっくりと観察するためです。
イオは自分が宣言したとおり、エウロパよりもずっと長い時間観察しました。ジュピターの周りを、一体何週したのか分かりません。
イオは四大衛星の中でジュピターの一番近くを廻っています。また、ジュピターの潮汐力によって、自転周期と公転周期が一致しているので、イオは常にジュピターを向いていられます。このようなことから、イオはエウロパよりもじっくり、根気強く観察することができました。
……と、当人は思っていたようですが、常にジュピターを向いていられるのは、エウロパも同じことです。公転周期が短いからといって、それで観察が楽になるわけでもありませんし、結局エウロパとイオの観察条件は同じといえます。
ここで注釈を入れますと、そもそも天体には動物のような「顔」という部分がありませんので、常に向くかどうかだって、潮汐力に関わらず、自身の意志でどうにかできるのですが。
ですので、実際イオの根気は強いものだったのでしょう。イオは、ジュピターの異変に気がつきました。
ジュピターが、アースを眺めていました。観察して、気付いたことを見つけられたのですから、イオは早速次の段階に入ります。
「ジュピターさん、アースさんに何か?」
イオは、なるべく静かにそう訊きました。エウロパのときを教訓に、ジュピターはうるさいのを嫌うのだろうと推測しているのです。
「アースには、活発な生物がいて羨ましいなあと思ってね」
ジュピターが言います、青い惑星を眺めたまま。こころなしか、表面の塒も緩やかになっているようです。
「でも……ジュピターさんにだって生き物は住んでいるじゃないっすか」
ジュピターの上層大気中には、自ら光合成をするプランクトンが漂っています。
「あんなのを、生物とは呼べないね。呼べたとしても、アースの生物とは比べものにならないよ。こんな、意志のない生物じゃあね」
「そうですか」
イオには微生物もいないので、生物の価値観についてよく分かりません。プランクトンもヒトも同じようにしか見えないのです。イオの静かな口調が功を奏したのか、ジュピターはそれほど気分を害さなかったようですが。
ここでまた注釈を入れますと、ジュピターには他の生物もいます。ジュピターの中心核の周りには、広大な海が広がっています。そこは高圧で、液状の水が封じ込まれています。そこに、アースの魚のような生き物が生息しているのです。ジュピターたちは、それに気付いていません。
「僕はね、悔しいんだ。恒星になるほど大きくなれなかった。それに、アースよりもずっと大きな海を持っているのに、生物がいるのはアースのほうなんだ。見なよ、あの青い星を」
アースとはというと、ジュピターたちの視線を気にすることもなく佇んでいます。のんびりとした雰囲気です。まるで人間たちの行動を見守っているかのように。アースの周りを廻っているムーンも、それにつられたようにゆったりとしています。
「そういえば、ヒトは今、何か大変なことに直面しているそうですね」
思い出したように、イオはそう言いました。
「ああ、そうだったね。自分たちの存続のために、いろいろと奮闘しているみたいだよ。ただ、ヒトが困ったところでアースが消えてしまうわけではないのに、ヒトは『地球のために』と少しズレたものを掲げているようだけどね」
アースのように、問題に悲観的にならないものになれたらいいのに――と、ジュピターは言葉をこぼしました。イオはそれを拾い上げます。
「それは違いますよ」
イオは言います、自信を含んで。
「アースさんの場合、あくまでもヒトの問題であって、本人の問題ではないじゃないですか。でも、ジュピターさんは違う。自身の問題だ。それを客観視するわけには、悲観視しないわけにはいかないんじゃないですか」
「……そうかも、しれないね」
エウロパとのときよりは、ジュピターはずっと平静を保っています。
「そういえば、君はエウロパよりも面白い地形をしているけど、それをコンプレックスだと思ったりはしないのかい?」
イオには、何キロもの深さがあるカルデラや、融けた硫黄の湖、何百キロもの溶岩流の川などがあります。
それがエウロパの線条よりも面白いというのはジュピターの価値観からのものですが。
「いや、逆に誇りだと思っていますね」
イオは言います。自分のまだら模様を気にしながら。
「目立ってるってなんか、カッコイイじゃないですか」
とたんに、イオが電流を流しました。イオの物質がいくらかはぎとれます。会話をしている間に、イオがジュピターの磁気圏に踏み入ったのです。
ここで誤解をひとつ解いておきます。惑星の引力などによって衛星は廻っているようですが、それはそのほうが楽だからです。これまでの彼らの言動からも分かるように、星にだって意思があります。故にそうであるかどうかは分かりませんが、彼らは動こうと思えば軌道を外れて動くことができるのです。
つまり、イオにとってこの事象は日常茶飯事、軌道を外れてまで避けることではないのです。
イオの若い火山が、大きな噴火をしました。ジュピターはそれを愉快に思います。
噴火ほど一気ではないにせよ、少しずつジュピターの心は良い方向に向かっているのでした。
ジュピターの深部で、魚たちが泳ぎます。