一
一番目は、エウロパです。
クレーターの少ない、若いエウロパは威勢がとてもいいようです。「ボクがジュピターさんを元気付けてみせます!」と宣言したほど。
早速、エウロパはジュピターに近付きます。
エウロパは、ジュピターの周りを長い間廻っていたつもりでした。しかし、彼はまだまだ新米です。エウロパは、ジュピターの好みを知りません。
彼は考え、「誰にだって、好きなものはあるはずなんだ。ジュピターさんも、好きなものをプレゼントされたらきっと元気になるさ」と、独り言をこぼしました。
それを聞いていたガニメデがエウロパに言います。エウロパは「そのためには、ジュピター様の好みを調べなくては」というガニメデの言葉を聴きました。当然のことですが、向こう見ずなエウロパにとっては見落としだったのです。
「ジュピターさんの好みは、どうやって調べればいいんでしょうか」
エウロパがガニメデに訊ねます。
「分からないけど、試行錯誤するといいんじゃないかい。失敗を恐れずに、また、成功だけを得るといいよ。率直に答えるのなら、直に訊くのはどうだい?」
エウロパは、ジュピターに直接訊いてみることにしました。あなたは何がお好きですか、あなたの好みはなんですか。
また、話しかけられるということが精神的療養になるということを、エウロパは知っていました。こうして質問をするだけで、自分がジュピターの役に立てると思ったのです。
しかし、ジュピターの反応は冷たいものでした。ジュピターは少しだけエウロパの話を聞くと、「分かったから、もう帰ってくれ」と若い星を突き放しました。
辛辣なジュピターの言動に、エウロパは暢気にもただ顔をしかめるだけでした。悲しんではいません。ジュピターはその顔を見ようともしません。もし見ていたら、さらに気を悪くしたかもしれませんが。
ジュピターは、自分よりもはるかに小柄なエウロパにも嫉妬心を抱いていました。若くて、能天気で、元気なエウロパの姿から、希望という成長を見出したのです。もう成長など止まってしまったジュピターにとって、成長の兆しのあるエウロパはただ羨ましい対象であるだけでした。本当は、根拠のないたわ言なのですが。
エウロパは、今度は観察してみようと思い至りました。ジュピターの姿や行動から、ジュピターの好みを探るのです。
ジュピターの周りを廻りながら、エウロパは観察します。ジュピターの表面をじっくり細部まで見つめます。表面といっても、それはガスなのですが。
何度も何度も、エウロパはジュピターを観察しました。答えが解らないとき、原因が解らないとき。長い時間、それも多方向から観察すれば、それらはおのずと見えてきます。そんな理念を信じ、エウロパはジュピターを一生懸命に観察しました。
しかし、何も見えませんでした。
エウロパは思いました、「いくら観察しても、解らないものはあるんだなあ」と。
エウロパは考えました。考えるのはあまり得意ではありませんが、どうにか思いをめぐらせました。
それでも、やはりエウロパは考えるのが苦手なようです。いつの間にか、エウロパの考える方向がずれていきました。ジュピターを元気付ける方法ではなく、ジュピターとの思い出を巡らせているのでした。
エウロパは軌道を辿りながら、記憶を辿ります。
エウロパの表面は、とてもなめらかです。大きなクレーターは数えるほどもありません。しかし、エウロパはひとつだけコンプレックスをもっています。それは、表面全体を走っている黒い線条です。
なめらかな表面を縦横にかけるそれは、もはやコンプレックスという言葉では不釣合いなほど、エウロパの表面を占めています。エウロパの水の層が、凍結して膨張したためかと思われますが、本人も確かな原因は分かっていません。なめらかな、自慢の表面によるせいか、醜く見えてしまうのです。
そんなエウロパに、ジュピターは慰めるように、こう言いました。
「僕は輝いてないだろう? それは、自分の汚れ――例えば、大赤斑――を光で包み隠したりしないためなんだ。汚れとは、いわば戒律なんだ。隠したりしないで、堂々と示すものなんだよ。決して悪いものなんかじゃないんだよ」
エウロパは思いました、感謝しようと。
あれは、ただの慰め文句だったでしょう。それでも、そのときエウロパは救われた気持ちになったのです。
観察しても何も得るものはありませんでしたが、どうやら答えは出たようです。
「ジュピターさん!」
大きな声で、エウロパは叫びます。その音響は周りの惑星にも届くほどです。
「……なんだよ」
皆がジュピターらに注目します。そのせいか、渋々ではありますがジュピターは返事をしました。
エウロパはまた、それが嬉しくてたまりません。ジュピターは鬱陶しそうな素振りをみせましたが、エウロパは一層声を張り上げました。
「あのとき」
エウロパは言います。
「僕は、ジュピターさんのおかげで立ち直れました! ありがとうございますっ」
「……?」
ジュピターにはエウロパの言った「あのとき」が記憶にありません。不可解だ、とでも言いたげに、ジュピターは自身の深部で対流を起こします。それが作用しているのか、ジュピターは渦巻きます。アースに生息している蛇の塒のような渦が、ジュピターを取り囲んでいます。蛇の目は、特に睨んでいるというつもりはないのでしょうが、蛇の目そのものが睨んでいるように思わせるものなのです。
しかし、それでも蛇は睨んでいません。蛇の目そのものが睨むそれでも、それは本質、あるべき姿なのでしょう。
端的に言うと、ジュピターは内心喜んでいました。記憶の自分は何もしていませんが、過去の自分が何か施したのです。それを感謝されている。不機嫌な態度をとっても、嬉しければ嬉しいのが気持ちというものですから。
エウロパは、ジュピターの気持ちを表面だけで捉えてしまいましたが。
エウロパだけではありません。ジュピターの気持ちを内側から捉えることのできるものなんて、ここにはいません。どこにもいません。
イオも、カリストも、ガニメデも……蛇の姿を見てエウロパの行動を失敗だと決め付けました。もちろん、エウロパ本人も。
エウロパの深部で、魚たちが泳ぎます。