猫とネズミのワルツ:家族、集まる
むだに精密なネズミの術式を突破した俺は、やっとこそさtips地獄から解き放たれた。
現在俺の軀は、うつぶせ状態で放置されているらしい。四肢の感覚が正しければ、拘束されている様子もない。
俺は静かに瞼を開き、周りの様子をうかがうーーー俺の、家か?
ぼや〜っとしかまだ見えないが、少なくとも、薄目の視界に飛び込んできた背を向けたくそネズミを見逃す道理は、見当たらない。
『よし、殺るか』
その判断は、コンマ4秒。静かに爪へと精気を通わせ、戦闘準備を完了する。
あとは飛びかかり、なぎ払うだけーーーとなったそのとき。
「やめときな、坊や。あれは客人だよ。少なくとも、今はね」
そう、静かに『声』をかけられた。
『!!!』
おれは声を聞いた瞬間すかさず起き上がり、飛びずさった。
目覚めたばかりで軀が俺に付いてきていないらしく、着地に失敗。
たたらを踏みつつ、転倒だけはどうにか避けるも、軀のコンディションが最悪なのを再確認させられた。
「そんなに気を張りなさんな。だれも、あんたを取って食おうってわけじゃないんだから……しかし、因果なもんだね。私が出てったかと思えば、こんどはこの坊やだ。このうちには、まともじゃない猫を引き寄せる何かでもあるのかいね」
目の前には、一匹の猫。
その毛色から、明らかに三毛猫に分類されるやつだろうが、今のところそれは、たいした問題ではない。
『しっぽが、二つ?』
ゆらゆらと揺れる、二本のしっぽ。それらは明らかに、目の前の『一匹の猫』から生えているように見える。
しかも。
『片方は、精神物質か?で、もう片方は現界物質……なんで、αとβの構成因子がここに? αで精神物質が現界するなんてことは……ないか。『俺』だから、観えるのか』
しかも、その二つのしっぽを構成する因子は、この世界では共存が許されないもの。もし、それら二つを所有する存在が居るとすれば。
「ああ、あたしは神じゃないよ。強いて言えば、その使いってところかね。あたしのボスは、阿蘇丘でのんびりお仕事中さ。だから本来は、わたしもそこでお供してなきゃいけないんだけどね……ことがことだからさ」
そうやって頭を振る猫。どう考えたって、信用できない。
『おまえ、だれだ? 何の目的で、ここにいる?』
視界の橋で、ネズミが動いたのが見えた。なぜか、かなりやつれているように見える……
と、ネズミはネズミとして。
「あたしが、何の目的で此処にいるかって? そりゃ、ただの里帰りさ。なにぶん、あと数十年は帰ってこないはずだったご主人に会えるとなったんだ。それに、お嬢の件がぶり返しているみたいだし」
里帰り?まさか、こいつはーーー
「あたしの名は、ミケ。三毛猫だから、ミケさ。あたしのご主人ーーー宗谷が、そう、名付けてくれた。わたしは、以前此処にいたんだよ。あんたがお嬢に引き取られる前の、宗谷が死ぬその時まで、あたしはこの家で飼われてた」
ーーーミケ、か。
俺の前にご主人と幾ばくかの時間を過ごした、ご主人の、かつての家族。
こいつが言うことが本当なら、それはしかしーーーどういうことだ? 『ご主人が帰ってくる』だと?
とにかく、分からないことだらけだ。
視界の隅でネズミは相も変わらずフラフラなようだし、あっちは心配ないか。まあたぶん、おれが術式をといたフィードバックだろうな。
で、問題は、この化け猫の方だ。
はてさて、どうしたもんかーーーと、考えていたその時。
「ミケさん、マッカーサー、ただいまー。外はもうすっかり暗くなっちゃってるよ。この分だと、収穫祭も例年より早めにくるかもねーーーていうか、こないだ池田さんに補強してもらったばかりのこの廊下、またギシギシ言ってるよね。まさか、手抜き工事……? おじいちゃん、足下気を付けてね。また、抜けるかもしれないから」
ご主人の、声だ。
幾らか音階が下がってはいるが、たしかに、ご主人のココロから成る、『俺のご主人』の、声。
その声が、『ミケ』、『おじいちゃん』とーーー
「ありがとう、香織。でも、池田さんを悪く言うのは、どうかと思うよ。そもそも私たちの家の補強なんて、ふつうの大工じゃ引き受けてくれはしないんだからーーーああ、ただいま、ミケ。それに、マッカーサー。今日の夕食の材料を揃えてきたよ。きょうは、大根の煮しめと、麦のご飯だよ」
俺に笑いかけるのは、ひとりの老人。年のころは、70くらいだろうか。
見事な白髪に、ひん曲がった腰を引っさげて、堂々の登場。
ちなみに、あきらかに人である原形をとどめており、『亜人化』の修飾は受けていない。
「おじいちゃん、マッカーサー、テーブル準備してて。今日はミケさんのお友達のネズミさんも来てくれてるんだから、きちんとテーブル拭いてよね。あと、マッカーサー。ご飯食べた後に、お話があります。それまでに、ネズミさんに喧嘩をふっかけた言い訳を考えておくように!」
静かに俺を見つめる老人と、あくびまじりにおれのご主人を見つめるミケ。
そして、相も変わらずふらふらとしている、くそネズミ。
ーーーそれが。
それが、俺と俺のご主人と、そして、ご主人の前の家族で繰り広げられる、『不思議な家族ごっこ』開始の合図だったのだ。