リリアナは公爵家の娘になる
シュタイナー家のお屋敷から戻ると、それからあまり経たずに公爵家からの迎えがやってきた。貧民街に似つかわしくない、公爵家の権威をこれでもかと見せつけてくる豪華絢爛な馬車で。
いったい何が起こっているのか理解しきれない母と、「うわ」と思わず声が出かけた私をよそに、馬車から恰幅の良い紳士が降りてくると、母の名を呼んで抱き着いたのだ。
「マリア!」
「えっ!? あ、あなた様……!?」
「マリア、会いたかった。この日をどんなに待ち望んだことか……!」
その紳士、エルフリート家の公爵様は、正妻という邪魔者がいなくなったので、堂々と君を迎えに来た、などと熱く母に語った。公爵様の愛妾だった母とその娘、つまり私を堂々と公爵家に迎え入れられる、と、喪に服す夫としては常識的に考えられない発言をする。
公爵様は後からやってきた質素な、それでもまずこの貧民街ではお目にかかれない、馬車でやってきた使用人に命じ、私たちの家の中に勝手に押し入り、荷造りし始めたのだった。もはや公爵様にとって母と私が今日をもって公爵家に移り住むことは確定事項のようだ。
「母様……」
「大丈夫よ、リリアナ。これからは暖かい部屋の中で暖かいパンとスープを食べられるようになるから」
「う、うむ。そのとおりだぞ。こんなみすぼらしい生活など、これからは無縁となる!」
公爵様はようやく愛する女性を人目をはばからずに愛せると思っていたようだけど、不安でいっぱいな私を安心させようと母親であることを優先した母に対し、どのように接すればいいのか戸惑いを露わにした。
エルフリート公爵家の屋敷は、王都の中心部、貴族街の最も格式高い一角に位置していた。
白亜の大理石で造られた三階建ての館。正面玄関に続く並木道は整然と手入れされ、両脇には色とりどりの花々が咲き誇っている。噴水のある中庭、彫刻の施された柱、ステンドグラスの窓など、全てが公爵家の権威と富を物語っていた。
やり直し前、私はここに来た時、ただ眩しいとしか思わなかった。貧しい暮らしから一転して、こんな豪華な屋敷に住めるんだ、と、心から喜んだ。母も同じだった。二人で手を取り合って、新しい生活に胸を躍らせたものだ。
でも……今は違う。
この屋敷の美しさの裏に、どれだけの暗い影が潜んでいるか、私は知っている。
この栄光を維持するために、どれほどの努力と陰謀を積み重ねてきたか、私は身に染みている。
今度は間違えない。今度は目をくらませない。
母と共に馬車を降りる。多数の使用人が左右に整列して頭を垂れる中、執事が深々と頭を下げて出迎えてくれた。
「ようこそ、エルフリート公爵家へ。お待ちしておりました」
老紳士の執事は、私たちに丁寧に接してくれたが、その目には微かな困惑、そして軽蔑が見えた。正妻が亡くなって間もないというのに、愛人とその娘を迎え入れる——使用人たちの間でも、きっと様々な噂が飛び交っていたことだろう。
……使用人からの印象については、前回これっぽっちも興味がわかなかっただけに、情報が少ない。ちょっと甘えつつお願いすれば、古株の使用人だろうと老執事だろうと、私の言うことを何でも聞いてくれたんだもの。
私は邪眼殺しの眼鏡を指で押し上げる。
大丈夫。前回と執事や使用人たちの反応が違う。前回は私を一目見るなり魅了されたのが顔つきと態度で分かったから。
ヴィクトール様がかけてくれたこの眼鏡。黒縁で地味で、レンズは少し曇っている。でも、これが私を守ってくれる。
「リリアナ、緊張しているの?」
母が優しく私の手を握った。
「ううん、大丈夫。公爵様は優しい方だし、きっとうまくいくわ」
母はまだ何も知らない。私が魔女であることも、やり直してきたことも。
今はそれでいい。母様には要らない心配はさせたくない。
母に打ち明けるときは……私が運命を変えきったときだ。
「うん、大丈夫」
私は決意を込めて母に微笑みかけた。
屋敷の中に案内される。広い玄関ホール。大理石の床。天井から吊り下げられた豪華なシャンデリア。壁には代々の当主の肖像画が並んでいる。そのどれもが由緒正しい公爵家の栄華を物語っている。
私を安心させようと手を握ってくれる母も、そんな別世界に圧倒されて、若干顔を引きつらせていた。私が握る手の力を強くすると、母は気丈にも取り繕う。
そして……。
階段の上から、『彼女』がこちらを見下ろしていた。
金髪を優雅に結い上げた、美しい少女。光を反射しない深い漆黒のドレスに身を包み、完璧な姿勢で立っている。
セシリア・エルフリート。
やり直し前、私を『ざまあみろ』という目で見送った、公爵家の嫡女。
セシリアお姉様のヴェール、そして私の邪眼殺し越しに、私たちの目が合った。
セシリアお姉様の表情を例える言葉はいくらでも思いつくのだけれど、最初に浮かんだ印象は「完璧だ」だった。お姉さまの表情には悲しみも怒りも見せない。このまま絵画にしても問題ないほど優雅な微笑みを浮かべている。その瞳には本来心の奥で渦巻いているであろう、怒り、憎しみ、警戒、といった感情は一切にじませていなかった。
セシリアお姉様は、エルフリート公爵家の正統な令嬢として私たちに接していた。
「ようこそ、いらっしゃいました」
セシリアお姉様が階段を降りてくる。一段一段、優雅に。王国で一番有名な舞台女優だってこんな惚れ惚れする洗練さは無いだろう。
「新しいお母様、そしてリリアナさん。父からお話は伺っております。どうぞ、今日からここを自分の家だと思ってお過ごしください」
非の打ちどころのない完璧な挨拶だった。
だからこそ恐ろしかった。そして、ここまで自分のこころを殺すお姉様に驚いた。
いけない。こんな初っ端から飲まれるわけにはいかない。
「セシリア様……」
母が深々と頭を下げた。
「この度は、本当に……お母様を亡くされたばかりというのに、私たちがこのような形で参ることを、お許しください」
「いいえ、お気になさらないでください」
セシリアお姉様は慈愛がこもっていると感じるぐらい、優しげな声で言った。環境が激変して狼狽える母を安心させるように。
けれど、これが心からの気遣いだけではないことを私は知っている。実の母を亡くして愛人一家を連れ込まれた今の公爵家での自分の立場を、これ以上悪くしないための打算込みだ。
「父の決めたことです。私も、新しい家族を歓迎いたします」
嘘だ。
お姉様は私たちを歓迎していないだろう。むしろ、心の底では憎んでいるのかもしれない。
愛してくれた母が自分を置いて天に召されてしまった運命に。自分や母を蔑ろにして他の女を愛する父に。母や自分の居場所を奪おうとする私たちに対して。恨みが無いはずがない。
前回はそんなお姉様の尊大な態度が気に入らないからって敵対したけれど、今回は違う。
私はお姉様を苦しめるつもりはない。そして、出来ればお姉様には味方になってほしい。
大丈夫、お姉様は自分に利があれば聞いてくれる方だから。
「セシリアお姉様」
私は一歩前に出た。
満面の笑みと共に。
「私、お姉様の妹になれて嬉しいです。これから、よろしくお願いします」
セシリアお姉様の目が、わずかに見開かれた。
……あれ? 驚いている?
この反応のされ方はさすがに予想外なのだけれど。
「……ええ、こちらこそ」
お姉様は微笑んだ。でも、その微笑みは先ほどのような完璧なものではなかった。動揺を悟られまいと慌てて取り繕ったものだ。
「さあ、お部屋にご案内いたしますわ。長旅でお疲れでしょう」
使用人がそれぞれの部屋に案内してくれた。
母は二階の、公爵様の寝室に近い部屋。そして私の部屋は三階の、セシリアお姉様の部屋の隣に位置していた。
この配置は前回と同じだ。公爵様は本当なら母を公爵夫人の部屋に招き入れたかったらしいのだけれど、セシリアお姉様が「愛していなかった女の中古を愛している女性に与えるのか(意訳)」と、公爵様を言いくるめたらしい。
セシリアお姉様が私が隣の部屋に来るのを認めたのは、確か聞き耳を立てやすいから、だった。なお、これを知ったのは私が魔女としてヴィクトール様に捕まってからなのだけれど。
「ここがリリアナ様のお部屋でございます」
メイドが扉を開けた。
中は当たり前だけれど前回と変わっていない。無駄に豪華なカーペット、カーテン、照明器具、家具。これを一つ買うだけでも母がこれまで汗水たらして働いた賃金の総額では到底足りない。
前回は、公爵様が私を本当に公爵家の娘として迎えてくれたんだ、って感動したものだけれど、今回はいかに恵まれているか……いや、過度に恵まれすぎているかが分かってしまう。
用意されたものは仕方がない。今日やり直し始めたばかりだし、そもそも注文を付けられる身ではないし。ここは割り切って今後はこんな贅沢は良そう、と決意するしかない。
私はもう贅沢を求めない。ただ、静かに暮らせればいい。
「ありがとうございます」
メイドに微笑みかける。異能を使わない、感謝を込めたただの微笑み。
メイドは少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔を返してくれた。
「何かご入用でしたら、いつでもお申し付けくださいませ」
部屋に一人きりになると、私はベッドに腰かけた。……さすがに私の体を丸ごと包んでくれる、この柔らかい寝具を与えられたことには感謝しかない。前回は捕まってから寒くて冷たい牢屋の床で横になるしかなかったもの。
ここから、私の新しい生活が始まる。
魅了の魔女にならずに。誰も傷つけずに。
そして……今度はセシリアお姉様と、どうにか良い関係を築けますように。
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