リリアナはヴィクトールと対面する(後)
「どうやらお前……いや、リリアナは自分の異能を制御出来ていないな」
「……。はい、自分ではどうしていいか、見当もつきません」
「しかも心を操る異能に備えて心身を鍛えているこの私ですら、気をしっかり持たないといけないほどに、その異能は強力すぎる。果たして秘術でも完全に封じ込められるだろうか……。参考に聞くが、前回は私にどう封印されていた?」
「え、と……」
私はヴィクトール様に捕らえられた日のことを思い出し、身震いしてしまった。何しろあの時、ヴィクトール様は私の魅了を無力化するため、その剣で私の身体に紋様を刻みつけたのだから。そのうえで私は利き目に剣を突き刺された。あの時の痛み、眩暈はやり直した今でも記憶に焼き付いている。
確か……その時にヴィクトール様は、「身体中に刻み付けた紋様が異能を封じ込める」、「利き目を失えばバランスを失って人を魅了出来なくなる」、と部下に語っていたっけ。
しかし、それを黙っておくわけにもいかず、私は恐怖で震える自分の手を押さえながら説明した。ロゼリア様は深刻な面持ちで口元を押さえ、ヴィクトール様はわずかな間私から視線を逸らす。
「リリアナはもう一度そのような処置をされると分かっていながら、お兄様を頼ってきたのですか?」
「……。この異能はそうしなきゃいけなかったから」
けれど、覚悟はもう出来ている。死ぬのは嫌だ、破滅するのも嫌、けれど傷つくのも嫌、だなんて我儘を言う資格なんて私には無いから。未来を切り開くために……私はもう一度あの試練を乗り越えなきゃいけない。
「……少し準備する。ロゼリアはリリアナの相手をしてやれ」
「畏まりました、お兄様」
「決して傀儡にならないよう、心を強く保ち続けるように」
「分かっております。私もこの家の娘、万が一にはその役目を果たします」
ヴィクトール様は中座し、部屋は静寂に包まれた。控える使用人たちは私の一挙動を見逃さないよう警戒を怠らないけれど、ロゼリア様は私を出迎えてくれた時と同じく、落ち着いたままだ。
私は不安を少しでも和らげるため、お茶を入れなおす。
「安心してください。兄はリリアナを傷つけませんから」
「え? でも……」
「傷つければ秘術が消えずに持続するからで、定期的に処置出来るなら消えにくい具材で書くだけでいいんです。兄はそれを取りに行っただけです」
「……瞳はどうするんでしょうか?」
「ふふ、それも我が家は対策済みです。大船に乗った気分でいてください」
「船なんて見たことも無いんですが……」
気を紛らわせようとお茶を飲んだりお菓子をつまんだり、窓から外に広がる壮大な庭園を見渡しても、不安は一向に晴れなかった。時間が経つのがここまで長かったことなんて、前回を含めても初めてかもしれない。
しばらくすると、ヴィクトール様は上質な鞄を手に部屋に戻ってきた。鍵を外して中から取り出したのは……宝飾品? ブレスレット、アンクレット、それからアミュレットを取り出し、大きさを確認している。
「両方の手首足首、そして胸元……正確には心臓の前に装備することで、異能を抑え込める。身体に紋様を書くよりも効果は薄いが、ひとまずはこれで様子を見ることにした」
「いいんですか? 前回のことを考えたらその処置は甘いんじゃあ……」
「まだリリアナは大きな罪を犯していない。服で隠れるとはいえ、身体中に紋様を書き込まれたらいい気分はしないだろう?」
「……」
驚いた。まさかこの侯爵様がこちらを気にかけてくれるだなんて思いもよらなかったからだ。前回は血も涙もないとすら思っていたのに。きっとあの時の私はこの方にそうさせるほどの魔女になり果てていたのだろう。
ブレスレット、アンクレットに手足を通し、アミュレットを首にかける。アミュレットの石が丁度鼓動する心臓の前に届いた。装備しても特に変わったような自覚は無かったものの、周りの使用人たちの反応を見るに、効果はあったようだ。
「ふむ。無意識レベルの異能は防げているようだが、ロゼリアはどう思う?」
「ええ。このように何もしないでいるうちは少し気になる程度に落ち着いたかと。ですが少しでも愛嬌を振りまいてしまうと、他の方々から意識されてしまうのではないでしょうか」
「不愛想にしろ、とまでは言わないが、そこまでは本人の努力でどうにかするしかあるまい」
「が、頑張りますっ」
他の人を自分の言いなりにできるからと、前回は相手の気を惹き、媚を売り、甘えてしまった。今回だってやり直す前の昨日までは私の思うがままだった。こうした骨の髄まで染みついた生き方は必ず矯正しなきゃいけない。
ヴィクトール様は更に鞄から古びた眼鏡を取り出す。眼鏡は地味な黒縁で、レンズには細かな傷が幾つもある。お世辞にも美しいとは言えない。彼はそれを私の頭に合うように微調整する。
「『邪眼殺し』ですか。目は口ほどに物を語ると言いますし、魅了の異能はちょっと見つめただけで相手の心を奪ってしまいかねない。そうした不意の事故を未然に防ぐのですね」
「ああ。シュタイナー家秘蔵の逸品だが、背に腹は代えられまい」
私はその『邪眼殺し』を受け取ろうと手を伸ばしたけれど、ヴィクトール様は私の手を優しく払いのけ、自分の手で私に眼鏡をかけさせた。
ヴィクトール様の顔が近い。前回で端正な顔をした人は見慣れたと思っていたけれど、それを踏まえてもヴィクトール様のお顔は多くの女性を惹きつける魅力が伴っている、と思う。異能から解放されるって余裕があるからなのか、どうも妙に意識してしまう。
「人前に出る時はこれを外すな。寝る時や水を浴びる際に外しても、決して人に視線を向けるな。いいな?」
「ありがとうございます、侯爵様」
「これで異能の力は大幅に弱まった。だが完全ではない。油断するな」
「分かって……いえ、身に染みています」
私は深々と頭を下げた。
侯爵は何も言わず、ただ私を見下ろしていた。
「これからも定期的に私の屋敷に来い。状態を確認する。もし異能の力が増しているようなら、その時は今度こそ過酷な処置を取ることになるだろう」
「はい。承知しています」
「それと……」
侯爵様が少し言葉を詰まらせた。
「妹に優しくしてくれて、ありがとう」
その言葉は、予想外だった。
当のロゼリア様本人だってとても驚いている。
「ロゼリアは幼い頃から病弱で、友達もいない。リリアナのような優しい娘と話せて、きっと嬉しかっただろう」
侯爵様の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
ああ、やっぱりそうなんだ。
この人は無慈悲な異端審問官なだけじゃない。
妹を愛し、異能持ちの私にも寛大な、優しい方なのだ。
「私の方こそ、ロゼリア様に優しくしていただきました。また、お会いしてもよろしいですか?」
侯爵は少し考えてから、小さく頷いた。
「私は反対しない。ロゼリアはどうだ?」
「ええ。遠慮なくいらっしゃってください。歓迎いたします」
私は微笑んだ。相手の心に付け込む異能を使わない、ただの微笑み。
これが、私の新しい人生の第一歩だ。
侯爵の屋敷を後にする時、背後から侯爵の視線を感じた。
振り返ると、窓から侯爵が私を見下ろしていた。
その表情は相変わらず厳しかったが、どこか安堵しているようにも見えた。
私は門を出て自分の家へと向かう。この後すぐに公爵家の者が迎えにくるから、あそこへの帰宅もこれで最後になるだろう。そう思うと貧しくて厳しい環境だったあの家も何だか名残惜しくなってしまう。
邪眼殺しの眼鏡越しに見る世界は、少しぼやけている。
でも、それでいい。
これで私は、誰も魅了せずに生きていける。
そして侯爵様との定期的な面会が、それは監視のためだけれど、なぜか少しだけ、楽しみになってくる気がした。
「さあ、次は公爵家での生活だ」
私は深呼吸をして、新しい運命へと足を踏み出した。
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