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リリアナはヴィクトールと対面する(前)

 時間が経つのは早かった。

 気づけば、窓の外の日差しが高くなっていた。


 次の話題に移ろうとした時、扉がわずかに軋む音を立てて開いた。


 ヴィクトール・シュタイナー侯爵。

 私の首に斧を振り下ろした方が、そこに立っていた。


 黒髪。銀灰色の鋭い瞳。高い鼻筋。引き締まった唇。長身で筋肉質な体躯。黒い軍服に身を包み、腰には剣を下げている。

 やり直し前と同じ。あの時と全く同じ姿。

 

 彼はただ静かに私を見つめてくる。

 瞳に宿るのは氷のような冷たさ。感情を完全に殺し、己の使命を全う……すなわち、異能を悪用する魔女を断罪する、異端審問官の目。


 まるでこちらの全てを見透かしたかのような鋭い眼差しに、背筋が凍る。

 これは……なまじ罪を問われた時よりも遥かに怖い。

 可能なら今すぐ絶叫して逃げたしたいのを、懸命に堪える。


「お兄様。お帰りなさいませ」

「……客人だそうだな」


 低く、抑制された声は、帰宅した兄を持て成そうとしたロゼリア様の手を止めた。彼の只ならぬ様子にロゼリア様も気付いたようで、ヴィクトール様と私の間を交互に視線をさまよわせた。


「会話に花を咲かせていたようだな」

「はい、久しぶりです。お兄様以外でこんなに楽しくお喋り出来たのは」


 侯爵はゆっくりと部屋に入り、扉を閉める。

 扉の前には使用人が立ち塞がり、ヴィクトール様は私との間に適度な距離を保ったまま立ち止まる。

 ……あくまで想像だけれど、一歩踏み込んで腰にぶら下げた剣を振り下ろせば私を切り捨てられる間合いなんだろう。


「門番と執事が何らかの影響を受けている。無論、心当たりはあるな」


 淡々とした口調。でもその言葉の一つ一つが針のように鋭く、岩のように重かった。

 危うく口から悲鳴が漏れかけたのを、口を押えて何とか飲み込む。


「そして妹もお前をいたく気に入っているようだ。たった今会ったばかりの相手を『お友達』と呼び、目を輝かせているな」


 侯爵の表情は変わらない。

 でも、その瞳の奥に、燃えるような怒りがある。


「妹は病弱だ。外の世界をほとんど知らない。だから人を疑うことを知らない。そんな妹に、お前は何をした?」

「違います……!」


 私は思わず立ち上がった。


「私は、ロゼリア様を騙したり傷つけるつもりなんて……!」

「座れ」


 怒鳴ってはいない。けれど声を張り上げずにここまで威圧出来るなんて。

 私は再び座った。もしかしたら腰が抜けた、の方が正確かもしれない。


 侯爵は剣の柄に手をかけ、私を見下ろしている。

 もし私がこれ以上不穏な動きを見せれば、または意に沿わぬ言葉を発したら……きっと私の頭は胴体から離れてしまうことだろうう。


「名を名乗れ」

「リ……リリアナと申します、侯爵様」

「その恰好、平民のようだな。我が屋敷に堂々と立ち入るなどと大胆不敵な真似をする輩がいるかと思えば、お前のような小娘だったとは。しかし……この家に仕える者は皆優秀なのだが、お前にかかればこの体たらくか」


 私は座ったままで頭を垂れる。ヴィクトール様はいつでも剣を抜けるよう警戒を解かない。そんな剣幕の兄を見つめていたロゼリア様は、落ち着きながら彼を持て成す準備を始める。


「ロゼリアとお前との会話は外で聞かせてもらった。妹に害を及ぼすようなら即座に切り捨てるつもりだった」

「っ……!?」

「そしてお前はロゼリアがお前の影響下に入ったと思い込んでいるようだが、それは違うな。ロゼリアは分かっていてお前を迎え入れたにすぎん」

「えっ!?」


 私は慌ててロザリア様へと振り向いた。ロゼリア様は愛らしく微笑をこぼす。


「いえ、あいにく私はお兄様ほど優秀ではありませんから、異能による影響を完全には遮断出来ていません。けれど、そうですね……自然と好印象を覚える、でしょうか。いえ、単にリリアナの人柄によるものかもしれませんけれど」

「なるほど。特殊な訓練を受けた屋敷の者達まで意のままにしていたので警戒していたが、それほどとはな。どう見る、ロゼリア?」

「リリアナはお兄様の用があってわざわざお訪ねになられたそうです。まずはお話を聞いてからでも遅くはないかと」

「ロゼリアがそう判断したのなら、そうしよう」


 この会話だけでも分かった。ロゼリア様はヴィクトール様に信頼されている。それもただ愛する家族だからなだけでなく、魔女を断罪するシュタイナー侯爵家の者として、だ。


 それにロゼリア様は私に魅了されたからここまで丁寧なもてなしをしてくれたかと思ってたのに、「多少」な程度の影響だけで済んでいたなんて。見た目に騙されていたかもしれない。


 ロゼリア様の意見を受け、ヴィクトール様は小さく呟いて、私の対面の椅子に座った。

 テーブルを挟んでいるけれど、多分その気になったら剣が振り抜ける絶妙な距離だ。警戒心も解いてないし、一瞬の油断が命取りだろう。


「それで、何の用だ? まさか、ただ我が家の持て成しを受けたいがための訪問というわけではあるまい」

「その前に人払いをお願いしたいのですけど」

「それは無理だ。ロゼリアにとってお前は客人なのだろうが、私にとってお前は侵入者に過ぎん。慎重に言葉を選ぶことを勧める」

「……。侯爵様が仰っていた、私が門番や執事の方に何をしたか、についてお願いがありまして……」


 ヴィクトール様の眉がわずかに動いた。肩にも力が入ったようだ。


「ほう。何をしたか自覚があるのか。そして我が家に足を運んできたのだから、その何かを知ってのことか」


 私は静かに頷いた。


「神様の定めた世の中の理から外れた異能、だと聞いています」

「……。誰がお前に教えたかは知らぬが、己のことを正確に理解しているようだ。自分が人とは異なる力を持っていると自覚していても、普通なら神だの魔女や悪魔といった単語が出てきそうなものだがな」


 それはそうだ。何しろ前回ヴィクトール様ご自身から説明されたことを繰り返しているだけだもの。


 異能とは決して悪魔や邪神といった異端の輩から授かるものではなく、誰でも偶発的に使えるようになってしまう可能性がある。魔女とはその異能で罪を犯した者のことを指す、と。


「ではここには自首しに来たか? それとも懺悔でも?」

「お願いします、侯爵様」


 私は深く頭を下げた。


「私の異能を……封印してください!」


 長い沈黙が流れた。


 顔を上げると、侯爵様が私を凝視していた。その表情は、先ほどよりさらに厳しくなっていた。隣のロゼリア様も驚いた様子で目を見開いて私を見つめている。


「……。封印、だと?」

「はい」

「シュタイナー家が魔女の異能を封じられることは、公にはされていない。一部の名門貴族と王家しか知らぬ国家秘密だ」


 それも前回の知識によるものだ。ヴィクトール様が直々に出向いたのも、私の魅了があまりに強すぎて、ヴィクトール様に異能を封印されないと他の異端審問官や衛兵が私に魅了されてしまうからだ。


 侯爵の声が、一段と低くなった。


「平民の娘が、どこでその情報を得た?」


 心臓が早鐘を打つ。

 ヴィクトール様の言葉に怒気が混ざる。


「答えろ。誰に聞いた? それとも、何か別の方法で知り得たのか?」


 侯爵様の瞳が、鋭く私を射抜く。

 嘘をついても、きっと見抜かれる。

 この人は異端審問官だ。何人もの魔女を尋問し、真実を暴いてきた。必要なら今の私だって前回と同じ目に遭わせるだろう。


 なら、私は正直に告白しなければいけない。


「私は……」


 声が震える。


「侯爵様から教わりました」

「……」


 あ、これ問答無用だ。そう悟った時にはもう遅かった。

 ヴィクトール様は僅かに腰を上げて――、

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