リリアナはロゼリアと仲良くなる
シュタイナー侯爵家の屋敷は王都の北側、貴族街の一角に佇んでいた。
黒い石造りの重厚な建物。尖塔が朝日を浴びて、まるで槍のように天を突いている。周囲を囲む高い塀には、魔除けの紋章が無数に刻まれている。門扉は黒い鉄製で、侯爵家の紋章である銀の盾に黒い剣が威圧的に輝いていた。
やり直し前、私はここに引きずられてきた。
確か異能を担う魔女を閉じ込める特別な牢屋がここにしかなかった、って説明されたっけ、と、前回の記憶を掘り起こす。
両手を魔法の鎖で縛られ、異端審問官の護衛に囲まれたなぁ。あの時は恐怖しかなかった。この門をくぐれば、二度と生きて出られないって、否応なしにも悟らされたから。
でも今は違う。
今日、私は自分の意志でこの門の前に立っている。
深呼吸をする。心臓が激しく鳴っている。手が震える。
怖い。正直に言えば、とても怖い。
すぐさま魔女だってバレて捕まったらどうしよう?
でも、やるしかない。
私は門に近づいた。門番が二人、槍を構えて立っている。屈強な体格の男たちだ。厳しい表情で、私を見下ろしてくる。
「何の用だ、娘」
片方の門番が低い声で唸るように言った。
「ここはシュタイナー侯爵家の屋敷だ。物乞いなら他を当たれ」
身なりを見られたんでしょう。確かに私の服は粗末な木綿のドレスで、貴族の屋敷を訪れるには相応しくない。
もっとも、もし公爵家の娘になったとしても、先触れも無しに訪問するなんて失礼なのだけれど。
私は門番の目を見つめながら考えてきた口実を口にしようとして……門番の様子がおかしくなったことに気付く。
いけない。まさか一目見ただけで影響を与えてしまうほど、魅了の異能が強くなってる……!?
紫水晶色の瞳。魅了の異能が宿る呪われた目。
門番の表情が一瞬で変わった。厳しさが消え、代わりに恍惚とした表情が浮かぶ。まどろんだ目が私に魅了されたことを如実に物語っていた。
「これは……失礼いたしました、お嬢さん」
もう一人の門番も、私を見た途端に同じように、蕩けた顔になった。
「どうぞ、お入りください。お嬢さんの来訪を侯爵閣下もお喜びになるでしょう」
違う。これは違うの。
私は異能を使いたくなかった。でも、この瞳はただ見るだけで人を魅了してしまう。制御なんてできない。
でも、この時期はまだ一瞬のうちに相手を虜にしてしまえるほど強くはなかった筈だ。まさか、記憶と一緒に異能の強さまで引き継がれているの?
「あ、ありがとうございます」
ごめんなさい、と頭の中で謝罪しつつ、私は門番にお辞儀をして、開かれた門から敷地に足を踏み入れた。今日で最後だから、と弁明が頭に思い浮かぶ時点で、私の罪深さは消えていないのだ、と思い知る。
中には広大な庭園が広がっていた。手入れの行き届いた芝生。幾何学模様に植えられた低木。中央には噴水があり、水の音が静かに響いている。庭園の奥に、黒い石造りの屋敷本館が見える。
足を進めると、執事らしき男性が出迎えてくれた。初老の、侯爵家に仕えるに相応しい落ち着いた品のある男性だ。
「いらっしゃいませ。お嬢様はどちら様で……」
そんな執事が私の顔を見た途端、またあの表情。
今度は目と目が合わないよう視線を下に向けていたのに。
魅了の異能が本格的に私自身の手にも負えなくなってきている。
「ああ、なんと美しい……どうぞ、どうぞ中へ」
心が痛む。胸のあたりが苦しくなる。
私は誰も魅了したくない。でも、この異能はそれを許してくれない。
屋敷の中に案内される。廊下は広く、天井が高い。壁には古い絵画や武具が飾られている。魔女を葬ってきた歴代当主の肖像画だろうか。厳格な顔つきの男たちが、額縁の中から私を見下ろしている。
ああ、今にも私の首元へと刃を振り下ろしてきそうではないか。
一回は命をもって贖罪したというのに、今私は過去に戻ってやり直している。
今度は過ちを繰り返さないから、どうかそんな目で私を見ないでほしい。
「こちらでお待ちください」
案内されたのは、明るい応接室だった。
大きな窓からは庭園が見える。壁際には本棚があり、分厚い書物が並んでいる。革装丁の背表紙を読む限りでは法律関係の本や審問記録、科学書のようだ。中には読めない古代文字が書かれている本もあった。
部屋の中央には、白いテーブルクロスがかけられたテーブルと、いくつかの椅子。多分この家具一つだけでも私と母様が数か月は生きていけるほど高価だ。暖炉には火が入っていないが、部屋の中は暖かい。太陽の光を上手く部屋の中に入れているからだろうか。
「お待たせいたしました」
声がして、扉が開いた。
入ってきたのは……意外にも少女だった。
黒髪を長く伸ばし、銀灰色の瞳を持つ、儚げな美少女。白いドレスに身を包んでいるが、そのドレスはどこか病人が着るもののように見える。身体の線が細く、顔色は青白く、歩き方もおぼつかない。
記憶を掘り起こしてようやく思い出した。
彼女は確か……ロゼリア・シュタイナー。
ヴィクトール様の妹君。
やり直し前は、私が処刑される前に病で亡くなっていた、と噂で耳にした。ヴィクトール様は妹が天に召されてから愛を失い、いっそう侯爵家の使命に没頭したとか何とか。
そう、今はまだ存命だったのね。
「あの、突然のご訪問で驚かれたかもしれません。私、シュタイナー侯爵家の娘、ロゼリアと申します」
「私はリリアナ……リリアナと言います」
少女、ロゼリア様が会釈する前に私は慌てて、けれど物音を立てないよう立ち上がり、お辞儀をした。前回学んだ、過去に戻ってからはまだ学んでいない、貴族の娘として教育された行儀は、今もきちんと私の血肉になってくれているようだ。
名字は言えなかった。まだ公爵家の養女になっていない。平民には名字がないことが普通だし、母様から名字があると教わったこともない。だからこの自己紹介が正しい。
少女は椅子に腰かけると、少し息を切らしていた。それだけの移動で疲れてしまったのだろう。わざわざ病弱な彼女が得体の知れない私の持て成しに顔を見せたのは、ここまでで行き交って私に魅了されてしまった使用人に推されたからか。
「リリアナ様。素敵なお名前ですわ」
ロゼリア様が微笑んだ。優しい微笑みだった。
(ああ、また……)
私はまた、この優しい少女を魅了してしまった……かもしれない。こんなに病弱で、こんなに儚い子を。
罪深い。私は本当に罪深い。
けれど、本懐を遂げるまでこの場で嘆くわけにはいかない。
「お茶をお持ちしますわ。少しお待ちくださいね」
ロゼリア様が立ち上がろうとして、よろめいた。
私は慌てて駆け寄り、彼女を支える。拍子に椅子が倒れたけれど、知るものか。
「大丈夫ですか?」
「ありがとうございます。ちょっと目眩が……すぐに治りますから」
彼女を椅子に座らせる。こんなに弱っているのに、客人をもてなそうとしてくれている。罪悪感で気持ちが悪くなってくる。
「お茶は私が入れますので、ロゼリア様は休んでいてください」
「でも……」
「お願いします」
ロゼリア様は少し困ったような顔をしたが、最終的には頷いた。
使用人に運ばれてきたお茶をカップに入れてロゼリア様に差し出し、それからついでに自分のも入れる。お菓子が並べられた皿はロゼリア様の方に寄せた。お茶だけでも厚かましいのにお菓子まで食べられない。
「では、お話でもしましょうか。実は、お客様が来ることなんて滅多にないのです。兄は忙しくて、私も外に出られませんから」
ロゼリア様は寂しそうな笑みをこぼした。
さもありなん。異端審問官を代々務めるシュタイナー侯はこの国にとって無くてはならない名門だけれど、交流を深めたいかはまた別の話。むしろ敬遠されていても不思議ではない。
「ロゼリア様は、ずっとお屋敷の中に?」
「ええ。こんな体調では、外を出歩くことも難しくて……。最後に庭園を散歩したのは……いつだったかしら?」
遠い目をするロゼリア様。その表情が黄色の葉を散らせる秋の木のようにあまりにも寂しげで、胸が締め付けられた。
やり直す前、この子は私が処刑される前に亡くなった。きっと、こうしてヴィクトール様以外とは誰とも会えないまま、静かに命を終えたのだろう。
そんなの、あまりにかわいそうじゃないか。
まだ一般階級でしかない平民の私が侯爵令嬢のロゼリア様を哀れむなんて畏れ多いけれど、そう思ってしまうのは間違ってない。裕福な家庭だけど身体が弱いのと、お金に困っているけれど健康なのと、どちらが幸せか?と問われたなら、私は後者だって回答するもの。
「ロゼリア様」
「はい、何でしょうか?」
「大丈夫です。きっと、元気になれますよ」
私は彼女の手を取った。冷たく、細い手。
医者でも聖女でもない私が口にするのは単なる気休めでしかない。
「大丈夫。必ず良くなります。だから……諦めないでください」
けれど、病は気から、は医者の受診どころか薬すらろくに手に入らない貧民にとっては、神に縋るよりも大切な言葉だ。生きたいと願う気持ちが病を克服したことなんて、ざらにあるもの。
ロゼリア様が目を見開いた。そして、涙を浮かべる。
「リリアナ様……」
「敬称付きで呼ぶなんて畏れ多い。どうぞ「リリアナ」と呼び捨てで。何の身分も立場も無い私ですけれど、私で構わなければロゼリア様のお話し相手になります。一緒にお茶を飲んだり、本を読んだり。面白い話でしたら朝から晩まで語れますよ」
「本当ですか? でも、私なんかに時間を使わせてはご迷惑では……」
「迷惑だなんて! 私こそ、ロゼリア様とはお友達になりたいんです」
それは口からの出まかせなんかじゃなく、心からの提案だ。
やり直し前、私には本当の友達なんていなかった。私が能天気に友達だって思い込んでいただけで、実際にはみんな異能で魅了された操り人形のような存在だったから。
「お友達……」
ロゼリア様が嬉しそうにはにかんだ。その笑顔は、先ほどまでの寂しげな表情とは全く違っていた。貧層な語彙力であえて例えるなら、冬が終わった頃に割く野花のようだ、かしら。
「ええ、ぜひ。お友達になりましょう」
「ありがとうございます」
私とロゼリア、二人で微笑み合う。
この瞬間、私は思った。今度はこの子を救れば、と。異能を封じて、時間を見つけてここに通って、ロゼリア様の支えになりたい。
そうすれば、もしかしたら……やり直し前のように、目の前の少女が亡くならずに済むかもしれない。
「ロゼリア様の好きなものは何ですか?」
「好きなもの? そうですわね……。お花が好きです。特に白い薔薇。でも薔薇だけじゃなくて花なら何でもいいんです。兄にそう打ち明けたら、次の日には庭師に庭園を手入れさせて、一面の薔薇園にしてくれました」
「薔薇園はどんな色でも美しくて綺麗ですよね。個人的には棘があるので見るだけに留めたいですけれど」
「それから、音楽も。兄がたまに竪琴を弾いてくれるのですが、それを聴くのが幸せなの」
「侯爵様が竪琴を?」
初めて耳にする情報がとても意外だった。あの厳格な侯爵が? 彼が楽器を演奏するなんて想像しようとしても難しい。けれど私は妹を失った後のヴィクトール様しか知らないから、ロゼリア様を愛するが故に彼女を少しでも楽しませようと覚えたのだろうか。
「ええ。兄は怖そうに見えますが、本当はとても優しいんですよ。私が寂しがっていると、すぐに気づいて側にいてくれます」
ロゼリア様の表情が、愛おしそうに緩む。
あの厳格な執行者が優しい? 耳を疑いたくなるけれど、嬉しそうに語るロゼリア様から嘘は感じられない。ヴィクトール様が彼女に見せる一面は、きっと血塗られた己を見せないようにしていたのだろう。
「素敵なお兄様なのですね」
「ええ。私の自慢の兄ですわ」
そう我がことのように話すロゼリア様は、本当に幸せそうだった。
私たちはそれから色々な話をした。好きな本のこと。季節の花のこと。王都の街のこと。話し出すときりがないぐらいで、話題には事欠かなかった。多分、前回を含めてここまでお喋りに没頭出来たことはなかった、と思う。
ロゼリア様は外の世界に憧れていた。いつか元気になったら街を歩きたい、市場を見たい、大聖堂の鐘の音を近くで聞きたい、と希望を次々と語ってくれた。時には本に描かれた壮大な景色を指差して、興奮しながら。
けれど……そのどれもが「身体が良くなったら叶えたい希望」ではなく、「もう叶わないけれどしてみたかった願望」のように聞こえてならなかった。彼女は自分がもう良くならない、と己の運命を受け入れているようだった。
それが……今自分の運命を覆そうとしている私には受け入れがたかった。
「きっと叶いますよ、その願い」
私は彼女の手を握った。
思いが必要以上にこもったせいか、ちょっと強めに握ったかもしれない。
ほんのわずかにロゼリア様の御顔が歪んだので、慌てて力を緩めた。
「ご、ごめんなさい! で、でも、きっとロゼリア様は絶対に元気になります。お医者様がどう言おうが知りません。私がそう信じますから……!」
「リリアナ様……。ありがとうございます」
ロゼリア様の目に、また涙が浮かんでいた。でも今度は悲しみではなく、希望の涙のように見えた。
こんな私でもロゼリア様が生きていくための希望になれるなら幸いだ。
お読みいただきありがとうございました。
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