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2.龍颯山

 東方──蒼家膝元が『龍颯山(りゅうそうざん)』。

 そこは幾つも奇峰が連なり、地上から仰ぎ見る者を圧倒させる東方随一の高山だ。

 白雲を衝く一番高き峰には蒼家直系が住まう大御殿があり、その下の峰々には傍系たちの屋敷が血統の序列順に建ち並んでいる。

 麓より山を仰ぎ見れば、たなびく靄にぼんやりと建物の影が浮かび上がる。それはどこか幽玄な景色であった。

 そのそのさらに下には、龍東万雷の本拠地となる『降龍館(こうりゅうかん)』があった。

 一族の風格を現したかのような、厳然と構える大きな館で、常に粛然とした空気に包まれていた。

 龍東万雷の祓氏たちは、辺りの険しい峰々を修行の場として使い、常日頃から己を厳しく鍛えていた。




「延芳(えんほう)」

「っ──!」


 しんと静まり返った稽古場で、一人剣の稽古に励んでいた梓娟は、突然後ろから聞こえてきた声にびくりと肩を震わせた。

 速まる胸の鼓動を抑えつつゆっくりと振り返れば、爽やかな笑みを浮かべる男──蒼晏(そうあん)が立っていた。


「中々の剣筋だ。延家にこんな優れた祓氏がいたとはな」

「あ、ありがとうございます蒼晏様。でも私なんてまだまだです」


 梓娟は内心動揺しながらも、何とか笑みを作って謙遜する。


 ──よりにもよってこの人に声を掛けられるなんて……。


 ぎこちなさはあっただろうがちゃんと笑顔になっていたようだ。口元を引き攣らせている梓娟に、蒼晏が不審がる素振りはない。


「いやそう謙遜するな、延(・)芳(・)」


 蒼晏は再び梓娟の事を『延芳』と呼んだ。

 未だ慣れる事のない名に、梓娟はただ笑う事しか出来なかった。




 この延芳の言う名は、黒善爾が用意した偽りの身分の名だった。

 しかし梓娟にとっては偽りだが、本当に存在している女の名だ。

 南方にちょっとした屋敷を構えた、ちょっとした富豪の一族──それが延家で、延芳というのはそこの娘の名だった。

 黒善爾は蒼眞佳に近づくのに最も手っ取り早い案を考えた。

 それが【龍東万雷に入る事】というものだ。

 誰もが安易に考えそうな案ではあるが、それには一つ問題がある。

 龍東万雷に入るには必須条件が、蒼(・)家(・)の(・)血(・)筋(・)で(・)あ(・)る(・)事(・)だからだ。

 つまり梓娟は龍東万雷に入り込むのは到底不可能と言う事だ。

 そこで目をつけたのが延芳だった。

 延家は蒼家と途轍もなく程遠く血筋が離れているものの、一応は縁戚らしい。

 微かながら蒼家の血が流れているのだ。

 さらに幸いな事に、延芳はどこの祓氏五門にも属していなかった。

 黒善爾が延家の存在をどこで知ったかまでは知らないが、この下らない計画に延芳は好都合な娘であった。

 何とは言わないが、延家の当主は綺(・)羅(・)び(・)や(・)か(・)な(・)物(・)には目が無いようで、金色に光り輝く物をちらつかせれば、快く娘の身分を明け渡してくれたそうだ。


『お初にお目にかかります、梓娟様』


 それは鈴を転がすような声だった。

 愛らしい微笑みと、華奢な体。長い髪は艷やかで、淑やかな物腰はまさに可憐なお姫様。

 『南方の天女』──そんな風に噂されているそうで、実際に会うと噂通りの人であった。

 しかしそうなると梓娟とはとても似つかなく、直ぐにばれてしまうのではないかと懸念が生まれた。


『安心せい。南方の噂を東方の山奥にひっそり籠っておる暗い連中共が知る筈なかろう』


 蒼家をどこか小馬鹿にした黒善爾の言葉通り、蒼家で延芳を知る者は誰一人とていなかった。

 こうして延家の娘を演じて龍颯山にやって来た梓娟は、あっさりと龍東万雷の祓氏になる事が出来たのだった。

 神経質な蒼家にしてはあまりにもあっさり過ぎて、逆に恐ろしさを覚えた程だ。

 そうして、梓娟が延芳となってあっとう間に一週間が過ぎ去っていった。


「蒼眞佳と全然会えないじゃない!」


 肝心の蒼眞佳は何かと忙しいらしい。

 蒼家の次期当主だけあって、彼は朝から夜まで魔物退治やら何やらで龍颯山を留守にしていた。

 一週間経った今も、蒼眞佳と未だ会うどころか一目見る事すら叶っていない。 

 龍東万雷に入ったからと言って、未熟な新米祓氏はすぐに魔物退治を任させることも無く、ひたすら修練を積むだけの日々を送っていた。

 その結果、いつしか梓娟はいつもとは違う環境での修練に夢中になっていた。


「何だか体がとても軽いわ。山の澄んだ空気が良いのかしら?これならいくらでも剣を振れるわ」


 梓娟は上機嫌で剣を振るう。細腕では少し重いと感じていた剣も、今は妙に軽く感じた。

 龍颯山は樹木が生い茂る豊かな山だ。その理由は、地底奥深くにたくさんの水脈が張り巡っている事にある。

 つまり水属の霊獣の血が流れる黒家の人間にとってこの山は相性が良い土地だった。

 けれど梓娟の頭の中には水脈の存在など微塵も無く、澄んだ山の空気を大きく吸い込み、ゆっくりと吐く。

 それだけで力が不思議と力が漲ってきた。

 とりあえず、空気が美味しいから、という事にして剣を握りしめる。


 ──伯父上が言った期日は残り一週間。蒼眞佳に会えそうもないし、いっそこのままずっと修練に励んで時が経つのを待ちましょう。


 時が流れるにつれて徐々に蒼眞佳と会うことに尻込みをし始め、いつしか「いっそ何もなければ良い」と心の中で願うようになっていた──。




 その矢先、蒼晏に声を掛けられてしまったのだ。


 ──まさかあの蒼晏から声をかけられてしまうなんて。


 目の前に立つ蒼晏を窺うように見上げる。

 蒼晏は蒼眞佳の二従兄弟(ふたいとこ)で、今は亡き蒼家当主の代わりに当主代理を務める父を持つ。

 面倒見の良いお兄さんと言った雰囲気と、蒼眞佳程ではないものの美しく整った容姿をしていた。

 美形な顔立ちは、表徴である青い衣に次ぐ蒼家の特徴で、蒼家は美形一族と世の女たちから評判が良い。

 彼は魔物退治の傍らで祓氏たちの面倒を見る立場だった。それで誰よりも張り切って修練する梓娟の存在が目に留まってしまったようだ。


 ──しかも、初めて会ったのに私の名を知られているわ。


 蒼晏は龍東万雷の祓氏を全て把握していると耳にしていが、こちらが名乗ってもいないのに名を知っている事に気が気でなかった。

 さらにはじっとこちらを見つめて何やら思案し始めた。

 見つめられる事に気まずさを感じていると、蒼晏は何かを思い付いたようで「……よし」と急に頷いた。


「その腕前ならば魔物の退治に連れていけそうだな」

「魔物退治、ですか?」


 まだまだ若輩者ではあるが、梓娟は幼き頃から強くなる事を目指して修練を積んでいた。

 とある目標の為に魔物と対峙する事も望んでいたのだが、従兄の黒聯明がかなりの過保護な人だった。

 梓娟がいくら頑張りを見せても、魔物退治へと向かう事どころか龜北清閑に属する事すら頑なに許しはしなかった。

 しかしこれは好機。願ってもない蒼晏の言葉に、梓娟の目はきらきらと輝いていた。


「あぁ、正午出立するんだが、行けそうか?」

「はい!行けます!すぐに準備して来ます!」

 

 元気よく返事をすると梓娟は出立の準備をする為に、祓氏たちの寝床がある小館へと慌て急いで駆け出した。


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