白木姫(しらきひめ) ~失われた「ゆ」を求めて~
【まえがき】
本作をご一読いただきありがとうございます。
銀の鏡、毒林檎、そして七人の小人。
ここに並んでいるのは、きっと皆様もどこかで見たことのある、見慣れた物語の断片です。
けれど、物語の筋書きをなぞるだけでは見えてこないものがあるのかもしれません。
鏡が告げる言葉の真意や、林檎を差し出す手に込められた、本当の想い。
これは、美しさを巡る母と娘、そして傍らで見守る父。
どこか知っているようで、どこか新しい「白木姫」の物語。
物語のなかに、もしも失われた「ゆ」が隠されているとしたら――。
その正体を探しながら、どうぞ最後までお楽しみください。
銀の鏡が、冷徹な真実を告げる。
「世界で一番美しいのは、白木姫です」
王妃の指先が震えた。
愛用の扇を握りしめる。
ミシミシと、骨の折れる音が響いた。
美しさは、静止した完璧な調和だ。
若さという瑞々しい輝き。
それは、時という病に侵される前の、至高の芸術。
義理の娘の肌は、白磁よりも滑らかだった。
その美しさが、やがて老化という泥にまみれる。
「耐えられない」
独りごちた。
汚される前に、その美を永遠に閉じ込めねばならない。
城一番の狩人を呼び出した。
「白木を森へ連れ出し、殺せ」
声に迷いはない。
「証拠として、心臓を持ち帰れ」
それが、娘を「最高の状態」で保存する唯一の手段だった。
その夜。
国王は、暗い執務室で狩人と対峙していた。
「王妃の命は、心得ているな」
重々しい問い。
狩人は黙って膝をつく。
国王は、金貨の詰まった袋を放り投げた。
「娘を逃がせ。身代わりには、鹿の心臓を持っていけ」
愛する妻の病的な潔癖さを知っている。
彼女を救うには、その狂気さえも欺かねばならない。
「白木を救い、そして妻の罪を未遂に留める」
それが、国を統べる王としての、そして夫としての使命だった。
白木は、森の奥で小人たちと暮らしていた。
静かな日々。
けれど、胸の奥には常に冷たい予感があった。
母である王妃の眼差し。
あれは、慈しみではない。
鋭い彫刻刀で、肌をなぞられるような執着。
「お母様は、私を完成させたいのね」
鏡のように磨き上げられた、母の美学。
それに背くことは、彼女の世界を壊すことと同義だった。
一方、森の境界。
国王の密使が、小人たちと接触していた。
「姫を預かってほしい。衣食住の全ては、国が保障する」
金貨の輝きが、小人たちの警戒を解く。
粗末な小屋に、極上の絹と滋養強壮の食糧が運び込まれた。
小人たちは、ただの親切な隣人を演じる。
それが王からの、絶対の命令だった。
数ヶ月後。
老婆に化けた王妃が、小屋を訪れる。
差し出されたのは、鮮やかな赤を纏ったリンゴ。
白木は、老婆の瞳の奥に潜む、狂おしいほどの情熱を見た。
「これを食べれば、お前は永遠になれる」
老婆の声が、母の震えと重なる。
これは殺意ではない。
母なりの、究極の救済。
「わかりました、お母様」
白木は微笑んだ。
あなたの望む、完璧な人形になりましょう。
覚悟を決め、毒の果実を深く噛みちぎった。
意識が闇に落ちる寸前。
喉を焼く痛みとともに、安堵が広がる。
これで、母の愛に応えられた。
白木の思考は、そこで一度、完全に停止した。
王は、妻の動きを全て把握していた。
地下の調合室で、あらかじめ毒をすり替えておいた。
死に至る毒を、強烈な仮死を誘発する薬へ。
「死なせはしない。だが、死んだと思わせねばならぬ」
娘を救うための、父の孤独な工作。
王妃は、ガラスの棺に横たわる娘を見て、法悦に浸った。
「ああ、なんと美しい」
それは、彼女にとっての「最高傑作」の完成だった。
やがて、隣国の王子が訪れる。
棺が運び出される際、激しい振動が走った。
喉に詰まった欠片が吐き出される。
肺が、凍てつくような外気を吸い込んだ。
白木は目を開ける。
そこには、見知らぬ王子と、寄り添う父王の姿があった。
王の瞳には、かつて見たことのない涙が溜まっている。
「……お父様?」
王は娘の手を、壊れ物を扱うように握りしめた。
「すまない。ずっと、お前を監視させていた」
語られる真実。
小人たちへの支援。
毒薬のすり替え。
母の狂気から守るため、父は影から糸を引いていた。
母が「静止した美」を愛したのに対し、父は「脈打つ命」を愛していた。
白木は、初めて本当の守護を知った。
白木姫が去り、城に静寂が戻る。
国王は、王妃の肩を抱いた。
「娘は幸せになるだろう」
夫を見上げ、妖艶に微笑む。
「ええ。でも、あの子はもう、私の『最高』ではなくなったわ」
隣国で白木姫は、母となるだろう。
「劣化」の始まり。
王妃は、自身の腹を愛おしげに撫でた。
「次は、もっと完璧なものを。私が産み出すの」
国王は、その狂気を含んだ情熱を優しく受け止める。
二人はその夜、新たな「傑作」を産むための儀式に溺れた。
月日が流れた。
王妃の生活は、一変した。
「ああ、もう! じっとしていなさい!」
産まれたばかりの我が子は、ドレスを汚し、髪を引っ張る。
鏡を覗く時間などない。
だが、不快ではなかった。
昨日までできなかった寝返りが、今日できる。
「劣化」ではない。
これは「成長」という名の、圧倒的な生命の躍動だ。
ある日、馬車が城の門をくぐる。
降りてきたのは、幼い子供を連れた白木姫だ。
王妃は、鏡を手に取ろうとして、ふと動きを止めた。
かつての「至高の素材」が、目の前に立つ。
白木姫の目尻には、細かな皺があった。
だが、その瞳は、以前よりも力強く、深い慈愛を湛えている。
「お母様、お久しぶりです」
差し出された手は、生きた人間の温もりに満ちていた。
王妃の胸に、未知の感情が芽生える。
隣では、彼女自身が産んだ我が子が、泥だらけになって笑っていた。
日々形を変え、成長し、やがて老いていく生命。
それは、どれほど磨いても得られない、動的な輝きだった。
「……負けたわ」
小さく呟いた。
美とは、静止した標本ではない。
移ろう時間のなかで、懸命に咲く姿そのものだ。
埃を被った銀の鏡を一瞥した。
「世界で一番美しいのは……」
鏡が、数年前と同じ答えを繰り返そうとする。
「ああ、もういいわ。私もいい歳だしね」
鏡の表面に、愛用の扇を一閃させた。
鋭い音を立てて、鏡が砕け散る。
足元に散らばる破片には、笑い合う家族の姿が映っていた。
歪で、けれど温かい色彩。
国王は、砕けた鏡には目もくれず、妻の手を引く。
「さあ、食事にしよう。皆、待っている」
老いていくことを、共に慈しむ。
そんな穏やかな余生が、今、始まった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
『白木姫 ~失われた「ゆ」を求めて~』、いかがでしたでしょうか。
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