缶コーヒーと、くたびれた横顔
ビルを出ると、夜風が思ったより冷たかった。
「わ、さむ……」
「だいぶ冷えますね。
あ、あそこです」
星置さんが顎で示した先に、小さな自販機コーナーがあった。
ビルの脇にひっそり置かれた、自販機が2台並んでいるスペース。
「ホット、まだ残ってるといいんですけど」
彼が財布を取り出し、慣れた手つきでボタンを押す。
ごとん、と落ちてきた缶を取り出すと、次にこちらを見た。
「御園さんは、砂糖どうします?」
「じゃあ、カフェオレがいいです」
「了解です」
もう一度コインを入れて、今度はカフェオレのボタンを押す。
受け取った缶は、指がじんわり温かくなるくらいの熱さだった。
「ありがとうございます。おごってもらっちゃって」
「この時間まで残ってる人への、ささやかな労いです。
って言っても、ほとんど自分のためなんですけど」
そう言って、星置さんもプルタブを開ける。
私も真似して、ホットカフェオレに口をつけた。
(……あったかい)
冷えた喉を、甘さと熱がゆっくり落ちていく。
少し離れたところを、終電前のサラリーマンたちが足早に通り過ぎていく。
ビルのガラス壁に映る自分たちの姿が、どこか現実感がなく見えた。
「今年のクリスマス」
ふいに、星置さんが口を開く。
「予定、入ってます?」
「えっ」
思わず変な声が出た。
「いえ、その……さっき、昼休みに女性陣がクリスマスの話してたのが聞こえたので。
世間的には、そろそろそういう話題の時期なのかなと思って」
「ああ……」
社食での美咲との会話が頭をよぎる。
「予定は、今のところゼロですね。
どこのレストランも、予約サイト見たら“満席”ばっかりで」
「ですよねえ。
うちの部署でも、“どうせ当日は障害対応で呼び出されるから”って、
誰もちゃんとした予定入れてないみたいです」
自嘲気味に笑いながら、星置さんは缶コーヒーを一口飲んだ。
「今年は特に、新システム切り替えが年末に被ってるので。
たぶん、サーバーと一緒にクリスマス過ごすと思います」
「それはそれで、ロマンチック……ではないですね」
「“無機物と同棲中”って感じですね」
2人でふっと笑う。
(“彼氏いないこと”を、こんなに気楽に言える人、初めてかも)
もちろん、“男友達”とも違う距離感だけれど。
さっきエレベーターで肩を支えられた感触を思い出すと、
胸の奥がじんわり熱くなる。
◇
「御園さんは、どうなんですか」
「どうって?」
「今年、なにか“がんばったご褒美”的なもの、考えてたりします?」
「ご褒美……」
視線を上に向ける。
駅前のイルミネーションが、少し離れたところでまたたいている。
「本当は、“誰かといいレストラン行って、プレゼント交換して……”
っていうの、ちょっと憧れてたんですけど」
「さっきの予約サイトの状況を考えると、なかなかハードル高そうですね」
「ですよね。
それに、ちょっと前に……」
デブ弁護士との一件が喉元まで出かかって、慌てて飲み込む。
「ちょっと前に、いろいろあって。
“条件だけで選んだ人と過ごすクリスマス”が、
あんまりいい思い出になりそうにないなって悟ったので」
少し笑ってみせる。
星置さんは、何かを察したように、それ以上深くは聞いてこなかった。
「じゃあ、御園さんのご褒美は、もう少し先送りですね」
「ですね。
でも、今日こうやってホットコーヒー飲めただけでも、
ちょっと救われた感じします」
「それはよかった」
ふと、横顔を盗み見る。
白い街灯に照らされた輪郭は、いつもより少しやつれて見える。
けれど、無精髭も、ゆるんだネクタイも、不思議とだらしなくは見えない。
むしろ、「ちゃんと頑張ってる大人の男の人」って感じがして——
(……ああ、やばいな。こういうのに弱いんだよな、私)
自分で自分に苦笑する。
◇
「ところで」
星置さんが、少し申し訳なさそうに言った。
「さっきから、なにか気になることあります?」
「え?」
「視線が、たまに後ろのほうに行ってるので」
「あ、それ——」
慌てて自分の口元を押さえる。
「ごめんなさい。
その、ここ……」
自分の後頭部を指さしてみせる。
「ちょっとだけ、寝癖ついてます。
今日の朝からずっとだったのかなって……」
「えっ、マジですか」
星置さんが、慌ててスマホのインカメラを起動する。
画面を覗き込んだ瞬間、「あ〜……」と情けない声が漏れた。
「本当だ。完全に跳ねてる……
今日一日、この頭で打ち合わせ出てたのか……」
「い、いや、その。
そんなにひどくはないですよ?
ちょっと、“あ、かわいいな”って思っただけで」
思わず本音が出てしまい、口を押さえる。
(しまった。今の、“かわいいな”って声に出てた?)
星置さんは、意外そうに目を瞬かせたあと、照れくさそうに笑った。
「かわいい頭って、初めて言われました」
「すみません、変な表現で」
「いえ。
徹夜明けでボロボロって言われるより、ずっと救われます」
そんなふうに言うから、余計に胸がきゅっとなる。
(……やっぱり、この人のこと、もっと知りたいかも)
缶コーヒーを握る指先に、じんわり汗がにじんだ。
◇
缶が空になる頃には、足先の感覚がほとんどなくなるくらい冷えていた。
「そろそろ駅、行きましょうか」
「ですね。風邪ひいちゃいますし」
2人で自販機コーナーを離れる。
ビルの角を曲がったところで、駅への道と、星置さんのマンション方向らしい道とに分かれる。
「今日は、ごちそうさまでした。
コーヒーも、話も」
「こちらこそ。
御園さんが帰り際に残っててくれて、助かりました。
1人で缶コーヒー飲むより、だいぶマシだったので」
「そう言ってもらえると、ちょっと嬉しいです」
駅のホームに向かう人波の中へ入る前に、星置さんがふと振り返った。
「夜道、気をつけて帰ってください」
「星置さんも。
……あんまり無理しすぎないでくださいね」
「はい。なるべく、徹夜は“クリスマス本番”までに減らしておきます」
軽い冗談と一緒に、片手を軽く上げてくれる。
その背中が見えなくなるまで見送ってから、私は改札へ向かった。
(缶コーヒー1本で、こんなに気持ちが軽くなる夜があるんだ)
スマホの画面には、もうマッチングアプリのアイコンはない。
代わりに、今日撮られたままの、仕事用のカレンダーアプリの予定表。
(“誰かと予約したレストラン”はないけれど)
(少なくとも、“また一緒に缶コーヒー飲みたいな”って思える人は、
同じビルの中にいる)
そう思えただけで、
今年の12月は、少しだけ楽しみになった気がした。




