182センチと、モニター越しの距離(後編)
「御園さん」
少し間を置いて、星置さんが言った。
「このあと、会議とか大丈夫ですか。
5分だけ、雑談みたいになっちゃうんですけど……」
「今のところ、このあとすぐの予定はないです」
「よかった。
システム側の事情、ちょっとだけ説明しておきたくて」
そう言って、彼は島の入口側に引いたまま、私の机の端に軽く手を添えた。
「うちの部署、たぶん、御園さんたちから見たら“いつも徹夜してる人たち”ってイメージだと思うんですけど」
「……正直、そんな感じです」
夜中にサーバールームの明かりがついているのを、何度か帰り際に見たことがある。
システム障害で緊急連絡が来たときなんかは、こっちも巻き込まれて地獄を見る。
「本当は、そこまで徹夜しないほうがいいんですけどね。
でも、“御園さんたちのほうに夜中の連絡が行くくらいなら、こっちで徹夜したほうがマシ”って考え方の人、多くて」
「……それは、正直ありがたいです」
「だから、こうやって事前に操作フロー見せてもらえるの、すごく助かるんですよ。
リリース前に“地雷”減らしておいたほうが、結局はみんな楽なので」
そう言って、机の端に置いたままのノートPCから視線を上げる。
「さっきみたいに、“ここ押しづらいんですけど”って正直に言ってもらえるの、ありがたいです。
“自分のミスだから”って飲み込まれちゃうと、こっちも気づけないので」
まっすぐな目で言われて、ちょっとだけむずがゆくなる。
「……なんか、ちゃんと“使う人の味方”してくれてる感じしますね」
「そうだといいんですけど」
星置さんは、少し照れくさそうに目をそらした。
「僕ら、画面いじるだけで給料もらってる側なので。
実際にその画面で数字打って、怒られたり褒められたりしてる人たちのほうが、偉いと思ってます」
「怒られるのは、たしかに現場ですね……」
苦笑しながらも、どこか胸の奥があたたかくなる。
条件とか年収とかじゃなくて、
こういう“当たり前の優しさ”みたいなものを、ずっと誰かに求めてたのかもしれない。
◇
「そういえば」
ふいに、星置さんが何か思い出したように声を落とした。
「最近……というか、ここ1〜2か月くらい、御園さんの顔色、前よりよくなりましたね」
「え?」
思わず変な声が出る。
「前に、だいぶしんどそうなときがあったので。
夜遅く、ロビーのベンチでスマホ見てたこと、ありましたよね」
(——見られてた?)
胸が、ドクンと跳ねる。
デブ弁護士とのホテル事件の翌日。
家に帰る前に、会社のビルのロビーで一度だけ座り込んだ夜を思い出す。
誰にも見られていないつもりだった。
あのときの自分の顔を想像すると、今、この場で床が抜けてほしいくらい恥ずかしい。
「あ、すみません。変なこと言いましたね」
「い、いえ……」
「ただ、その日、すごくつらそうな顔してたので。
最近、前よりよく笑ってるなって思って、ちょっと安心しただけです」
そう言って、彼は少しだけ肩の力を抜いたように見えた。
「仕事のせいなのか、プライベートのことなのかは、もちろん聞きませんけど。
“あのときより今のほうが、少しマシそうだな”って思ってたので」
淡々とした口調なのに、言葉選びはやたら慎重で、優しい。
たまらなくなって、私は視線をキーボードに落とした。
「……そんな前から、見てたんですね」
「たまたまです。たまたま通りかかっただけで」
即答で否定するけれど、その言い方は少しだけ慌てている。
「でも、“誰かにああいう顔させるシステムは嫌だな”とは思ったので。
仕事のモチベーション的には、けっこう大事な出来事でした」
「……なんか、すみません。変なきっかけで」
「いえ。
さっきのボタンの件もそうですけど、御園さんたちがちょっとでも楽になるように設計できたら、
“あの日よりはマシになった”って勝手に思えるので」
それはきっと、私に対してだけじゃなくて、このビルで働く誰か全員に向けた言葉なんだろう。
そう思っても、やっぱり少しだけ、胸が熱くなる。
◇
「じゃあ、今日はこのへんで。
さっきの保存ボタンのところ、早めに直しておきます。
“保存したつもりが全部消えた”って、一番つらいですからね」
「……分かってくれる人がいて、ちょっと安心しました」
冗談めかしてそう言うと、星置さんは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。
「そう言ってもらえると、こっちも安心します」
軽く会釈をして、彼は島の外へ歩いていく。
少し猫背で、でもスーツ越しでも分かるくらい、無駄のない背中。
さっきエレベーター前で見かけたときより、すこしだけ近く感じる。
(石井さんの説教とか、出部 勉とか。
ああいうので自分の価値が決まるわけじゃないって、頭では分かってたけど)
(“ちゃんと見てくれてる人”が、同じビルにいたんだって分かると、
こんなに気持ちが楽になるんだ……)
キーボードに指を置き直して、画面の中の数字の列を見つめる。
さっきまでより、ほんの少しだけ世界がマシに見えたのは、
新しいシステムのおかげだけじゃない気がしていた。




