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限界アラサーOL、マッチングアプリやめたら会社でスパダリ拾いました!  作者: 綱渡マヨ次郎


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スーツの背中と、新システム担当の彼

翌朝。


 アプリを削除したスマホを握りしめて、私は会社のビルを見上げた。


(アプリはちょっと怖いし、疲れちゃったし……

 しばらくはやる気になれないな)


(焦らなきゃいけないのは、自分が一番よく分かってるけど。

 とりあえず、今は仕事頑張ろう)


 そう心の中でつぶやいて、私は自動ドアをくぐった。



 朝のエレベーターホールは、いつもどおり人でいっぱいだった。


 いくつも並んだエレベーターの前に列ができていて、その横を清掃用ワゴンが申し訳なさそうに進んでいく。


「すみませんね〜、ちょっと通りますよ〜」


 年配の清掃スタッフのおばちゃんが、いつもの柔らかい声で言う。


 その瞬間、スーツ姿の男性が一歩前に出て、ワゴンの前にすっと手を伸ばした。


「危ないですよ。大丈夫ですか?」


「あら、ごめんなさいねぇ。ありがとう」


「いえ。朝からお疲れさまです」


 彼はそう言って、倒れかけたモップの柄を片手で支えながら、進路をあけてやる。


 黒いスーツに、黒ぶちのメガネ。

 背は高いけれど、少し猫背ぎみで、ぱっと見はそこまで大柄には見えない。

 でも、清掃ワゴンを支える腕は無駄な肉がついていない感じで、シャツの上からでも引き締まっているのが分かった。


(……なんか、ちゃんとしてる)


 とっさにそんな感想が浮かんで、自分でも少し驚く。


 顔は横顔しか見えないけれど、鼻筋がきれいで、顎のラインもすっとしていた。

 正面から見たことがあるような、ないような。

 社内ですれ違ったことはあったのかもしれないけれど、ちゃんと意識して見たのは、たぶん今日が初めてだ。


 私がじっと見ていたことに気づいたのか、彼がふとこちらを振り向く。


 目が合いそうになって、私は慌てて視線をスマホに落とした。


(なに見てんの、私)


(条件で人を見るのはやめるって決めたばっかりでしょ)


 そんなふうに自分にツッコミを入れたところで、タイミングよくエレベーターの扉が開いた。


 人の波に押されるように、私は自分のフロア行きのエレベーターに乗り込む。



 午前中は、月末レポートの数字と格闘して終わった。


 営業企画部のフロアは、いつもどおり電話とキーボードの音で騒がしい。

 書きかけの企画書を一旦保存して、大きく伸びをしたとき、社内チャットの通知がピコンと鳴った。


『本日15時より、第2会議室にて新システム説明会を行います。

 営業企画部からは御園さん出席をお願いします』


(あ、今日だった)


 来期から導入される社内システムの説明会。

 現場の意見を聞きたいから、営業企画からは誰か一人、と言われていて、なぜか私の名前が出たのだ。


(ま、どうせ午後は会議ばっかりだし。気分転換だと思おう)


 時計の針が15時を指す少し前、私はノートPCを抱えて第2会議室へ向かった。



「失礼しまーす」


 ドアを開けると、すでに数人が席についていた。


 営業部から2人、カスタマーサポートから1人。

 前方のプロジェクター付近では、誰かがノートPCをつなぎ直している。


 その背中を見た瞬間、私は「あ」と小さく声を漏らしそうになった。


(さっきの、エレベーターホールの人だ)


 少しくたびれた黒スーツ。

 猫背ぎみだけど、近くで見るとやっぱり肩幅が広くて、体つきは引き締まっている。

 メガネの奥の目元は、真面目そうだけどきつすぎない。


 彼がケーブルの接続を確認して、くるりと振り向いた。


「あ、御園さん。どうぞ、適当に席に」


 思ったよりも低くて落ち着いた声だった。


(……御園、ってことは、私の名前、知ってる?)


 きょとんとしている間に、うちの部長が会議室に入ってきた。


「じゃあ、そろそろ始めようか。

 今日からしばらく、システム側でこのプロジェクトに入ってもらう星置君を紹介する」


 部長に促されて、彼が前に立つ。


「システム開発部の星置ほしおきです。

 新システムの導入で、営業企画さん側の要望を取り込む担当をします。

 よろしくお願いします」


(星置さん、か……)


 どこかで聞いたことのあるような、でも珍しい苗字。

 さっきの清掃ワゴンの一件もあって、「ちゃんとした人だ」という印象が強く残る。


 それにしても、部署もフロアも違うはずなのに、なぜか最初から私の名前で呼ばれたことが、胸の奥に小さな引っかかりとして残った。



 説明会は、思っていたよりも分かりやすかった。


 星置さんは、専門用語をなるべく避けて話してくれる。

 必要なときは「ここはちょっと分かりづらいかもしれないので」と前置きしてから、画面を拡大して見せてくれる。


「ここが営業企画さんでよく使う画面です。

 今までのフローと比べると、ボタンの位置が少し変わってますが……」


 そう言って、旧システムと新システムの画面を並べて見せる。


「“ここ押したつもりが、こっちに飛んじゃう”っていう事故を減らしたくて、

 今はこういう配置に変えてるところです。

 ただ、現場で混乱しそうなら、少しレイアウト直すこともできます」


 営業部の先輩がさっそく手を挙げた。


「実際触ってみないと分からないけど、その“押し間違え”は絶対出そう。

 現場の子たち、焦ってるときにボタン連打するから」


「なるほど……。

 御園さん、あとで少しお時間いただければ、実際の操作を見せてもらえますか?

 そのとき、どのボタンをよく使うか教えてもらえると助かります」


「あ、はい。大丈夫です」


 不意に名前を呼ばれて、少しだけドキッとする。


 星置さんは、私の返事を聞くと、安心したように小さく頷いた。


「ありがとうございます。

 “ここを大きくして”“ここは隠していい”みたいな要望があれば、できる限り反映しますので」


(……ちゃんと、“使う人のこと”見てくれる人なんだ)


 さっきの清掃ワゴンの一件と、今の説明が、ストンと一本の線でつながる。


 条件とか年収とか、そういうものじゃなくて。

 こういう“当たり前の優しさ”みたいなものを、ずっと欲しかったんだな、とふと思う。



 ひととおり説明が終わって、質疑応答も片づいた頃。


「じゃあ、今日はこのへんで。お疲れさま」


 部長が締めの言葉を言って会議室を出ていく。

 他のメンバーも席を立ち始めたところで、星置さんが私の方を見た。


「御園さん、少しだけいいですか」


「はい?」


「さっきお願いした件なんですけど……。

 御園さんのところの画面遷移が、一番複雑になりそうで。

 15分くらいでいいので、実際にいつもの業務フローをやってみてもらえませんか」


「大丈夫です。

 午後イチの会議が終わったあとなら、割と時間あります」


「助かります。

 じゃあ、スケジュールは後でメール送りますね」


 近くで見ると、やっぱり目元がきれいだ。

 メガネのせいで少し印象が柔らかくなっているけれど、外したらたぶんもっとはっきりした顔立ちなんだろうな、と思う。


 それに、くたびれたスーツの下でも、姿勢を伸ばしたらきっとかなり背が高い。

 今は猫背気味だから、周りの男性たちとそう変わらないように見えるけれど。


「よろしくお願いします、御園さん」


「こちらこそ、よろしくお願いします。星置さん」


 会議室を出て自分の席に戻りながら、私は心の中で小さくうなった。


(……よりによって、同じビルに、

 掃除のおばちゃんにも普通に優しい長身メガネのシステム担当さんとか)


(絶対、面倒くさいやつだ)


 そう思うのに、胸の奥がほんの少しだけ軽くなる感覚を、私はまだうまく言葉にできなかった。

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