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風の小道と小さな剣  作者: うにまる
第十五章 王宮お茶会、暴風の兆し
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第一節 工房主の盛り上がり、王家の暗躍

 十一月に入った王都(リヴェルナ)は、冬の足音が忍び寄るなか、古都の石畳は淡く朝霧に濡れていた。街路樹の黄葉はすでに半ばを過ぎ、時折吹き抜ける北風が、名残の葉をさらっては空へ舞い上げる。


 朝の街路には、吐く息を白くしながら急ぎ足で職場へ向かう人々の姿がある。露店の商人たちは霜にかじかむ手をこすりながら布を広げ、焼き栗や温かなスープの香りが、冷えた空気のなかで一層際立っていた。井戸端には桶を抱えた女たちが集まり、揺れる水面に落ちる霜葉を眺めながら、しばし言葉を交わしている。


 石造りの建物の屋根には、うっすらと夜露が白い縁取りを残し、朝陽がそれを照らすと淡い光が瞬いた。王城の尖塔は朝陽に白く光を返し、その背後に広がる空は高く澄んでいる。季節は静かに、確かに、冬へと歩みを進めていた。


 そんな穏やかな空気の中、食堂に向かうアルフォンスはゼルガード公爵と顔を合わせた。


「おはようございます。グラからの返事は、いただけましたか?」


 アルフォンスの確認の問い掛けに、ゼルガード公爵は「了承とのことだ」と簡潔に答え、わずかに口元を緩めた。


「領都の工房主たちの間では、どうやらちょっとした盛り上がりがあったらしい。()()()だったか。あれが読みやすくなって、評判も上々のようだ」


 朗らかな声でそう話し続けたゼルガード公爵は、さらに楽しげに肩を震わせる。


「出している酒の消費量が五割増しになった、という話まで耳にしたぞ」


 その言葉に、アルフォンスは自分のしたことが思わぬ波紋を呼んだのを気まずそうに感じ、目を伏せる。


「お手数をおかけして、すみません」


「気にする必要はない。工房主たちが勝手に盛り上がって、バストリア全体が活気づいているのだからな」


 ゼルガード公爵は苦笑まじりに手をひらひらと振り、「悪くない流れだ」と軽く笑う。くつくつと笑いながら執務室の方へ姿を消していった。その足取りには、わずかな高揚感が滲んでいた。


 その後、廊下でリュミエールと合流したアルフォンスは、彼女と並んで食堂へと向かう。


「グラから了承がもらえたから、予定はおおむね進められそうだ」


 リュミエールが小首を傾げ、「おおむね……?」とつふやくと、アルフォンスは軽く肩をすくめた。


「公爵様のあの雰囲気と、『工房主たちはやる気に満ちている』って話を合わせるとね――熱が入りすぎて予定が押す気配がしてきた」


 そう言って苦笑すると、二人は食堂へと足を踏み入れる。すでにシグヴァルドとマリナが席に着き、朝食をとっていた。


 軽く挨拶を交わし、ふたりもそれぞれの席につく。ほどなくして、温かい朝食がテーブルに並べられた。食事に手をつけながら、アルフォンスが話を切り出す。


「シグ、マリナ。グラから了承を得たから、今日の特設講座は訪問スケジュールの確認にあてよう」


「俺たちは地元だから大丈夫だけど、初めて来る子たちもいるしな。楽しみにしてるみたいだ」


「工房主たちは――理由はよく分からないけど、妙にやる気にあふれてるらしい」


 マリナとシグヴァルドが、顔を見合わせる。マリナは不安そうな表情になった。


「だ、大丈夫かしら……なんだか、不安感が湧いてきたんですが」


 心配そうにマリナが視線を向けると、シグヴァルドは苦笑しながら肩をすくめた。穏やかな朝食の時間は、王都リヴェルナから遠く離れた領都バストリアの熱気に、わずかにかき乱された。


 いつものように慌ただしく、準備された馬車に乗り込む四人。冬の気配をまといはじめた王都リヴェルナの街を抜けて、王立学園へと向かっていった――。


 馬車を見送ったミレーユとレグルスは、玄関先で顔を見合わせた。


「行っちゃったね」「行きましたわね」


 レグルスがぽつりと呟くと、すぐに次のことを思い出したように言葉を継ぐ。


「ユリウス兄に、今日の予定を聞きに行かないと」


 けれど、ミレーユは小さく首を振って制した。


「侍女さんから『昨日は遅かった』って、先ほど聞いたでしょ? 無理に起こしに行くのはやめておいたほうがいいわ」


 言いながら、彼女は窓の外に目を向ける。朝の陽光に濡れた庭園の芝が、風に揺れていた。


「軽くお庭で体を動かして、それから行くぐらいが、ちょうどよいのよ」


「――了解!」


 返事とともに、双子は足並みをそろえて庭園へと向かっていく。その足取りは軽やかで、楽しげな囁き声が微かに後に残った。


 煌びやかな回廊を抜けた先――。


 冬支度を整えた王宮第二庭園の温室では、白く立ち上る湯気を囲みながら、王家の女性たちが穏やかな空気のなかで準備の打ち合わせを進めていた。


 テーブルの中央には茶器と菓子が整えられ、色とりどりのティーカップが陽光を柔らかく返している。そのなかで、クラリス正妃は優美に微笑み、向かいに座るリーズ側妃に視線を向けた。


「リーズ、会場は第二庭園のガゼボにしたのですね?」


「はい、クラリス姉さん。寒さが増しておりますが、第二庭園はこの温室を併設しておりますので、急な冷え込みにも対応しやすいかと」


「そうね。よい選択です」


 頷いたクラリス正妃は、隣に座るソフィア王女へと視線を移す。


「ソフィア、茶葉とお菓子の選定は終わりましたか?」


「もちろんです、お母様。ただ……寒い時期向けの茶葉の入荷が少し遅れていて、手持ちがやや不足ぎみです」


 その言葉に、クラリス正妃は一度視線を落とし、静かに思案の間を置く。


 再び穏やかな口調で、しかし確かな意志を込めて隣のリーズ側妃に向き直り、「リーズ、よろしくて?」と確認の問い掛けをする。


「……はい」


 わずかな沈黙ののち、リーズ側妃は静かに返した。その仕草には、どうにも致し方ないという気配がにじんでいたが、異を唱えることはなかった。


 ソフィア王女は表情に出すことなく、内心で『リーズお母様の秘蔵の茶葉を……容赦ないわ』と、小さく息を呑んだ。


 クラリス正妃は満足げにうなずき、手元の招待客名簿に目を落とす。すでに名簿には数多くの名前が並び、右下には丁寧な筆致で『送付済』と記されていた。


「招待客の選定も完了し、招待状もすでに発送済み。返答も届き始めていますし……順調ですね。ふふ、楽しみだわ」


 クラリス正妃の声には、微かに弾むような喜びが滲んでいた。その様子を見ながら、ソフィア王女は湯気越しに問いかける。


「ゼルガード叔父様のところは――マティルダ叔母様に声を掛けただけで、本当に大丈夫なのですか?」


 クラリス正妃は、こともなげに微笑んで「喜んでいたでしょう?」と、返す。


「ええ……とても」


 ソフィア王女は想像力を働かせ、王宮に連れてこられたアルフォンスたちのことを想像する。


『何の前触れもなく、王家のお茶会に連れてくるとか……無茶というより無謀。けれど――アルたちは、どうだろうか?』


『……あくまで自然に、穏やかに、招かれた場に溶け込んでしまう、そんな未来しか見えない』


 そう考えたソフィア王女は、ふと一人の少女の顔を思い浮かべる。


『マリナだけは別ね。涙目になるのが目に浮かぶわ。――ご愁傷さまね』


 ソフィア王女は、心の中でそっとマリナ伯爵令嬢に手を合わせ、湯気に溶けるようにため息をひとつついた。


 ――こうして、王家の女性陣もまた、静かに、しかし確実に動き始めていた。


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