閑話 王都のガラス工房、ソフィアの参画
閑話「カラフェシリーズ」エピソード4
王都は、夏の喧騒から少しずつ静けさを取り戻しつつも、秋の訪れとともに街全体が柔らかな色彩に染まっていた。黄金色に輝く並木道の下、落ち葉を踏む足音が軽やかに響き、風に乗って果物や焼き菓子の甘い香りが漂ってくる。
商人たちは店先に秋の味覚を並べ、栗や林檎、カボチャ、干し葡萄といった季節の贈り物を、手に取りやすいように丁寧に陳列していた。午後の陽光がそれらを照らし、食欲をそそる豊かな光沢を放っている。
工房街には市場とはまた別の熱気が漂い、多くの職人が足早に行き交う。金属を叩く音や木材を削る音が響く工房区画の一角に、ダリナン・ガラス工房という看板の出た建物があった。工房の横には簡素ながら仕立ての良い馬車が静かに停められている。
「たしかにマクシミリアン公爵様の紹介状ですな」
扉を開けてアルフォンスたちを出迎えた工房主と名乗る男が、広げた手紙の封蝋を確かめてから恭しく頭を下げる。年の頃は四十代後半といったところで、炉の熱で鍛えられたような筋肉質な体格をしていた。
「工房主のダリナンといいます。お見知りおきのほどお願いします」
アルフォンスも丁重に名乗り、挨拶を交わす。リュミエールは一歩後ろに控えていた。
「今回、お伺いしたのは少し協力をお願いしたいためです」
アルフォンスは本題に入った。ダリナンが案内した応接の小テーブルに腰を下ろす。
「現在、ガラスの調査というか研究をしてまして、原料の調整を主にしています」
「原料の調整ですか? それはどんな配合なのですか?」
ダリナン工房主は前のめりになり、興味深そうに目を細めた。職人としての探究心が刺激されたようだ。
「このお話ですが、公爵家が多少関わってます」
リュミエールが静かに口を挟む。その声にはかすかな緊張感が含まれていた。
「この後、王家も関わる可能性がありますのでまだ他言無用。そう理解して話を進めますのでご承知おきください」
ダリナンは一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに表情を引き締めた。公爵家、そして王家が関わるとなれば、一介の職人である自分にとって、これは無視できない話だと覚悟を決めた。
「それほど難しい話ではありません」
アルフォンスはダリナンの緊張を和らげるように穏やかな口調で言葉を続けた。
「ガラスは緑色で、その色合いで価値が大きく変わると理解しています。その色合いに関する研究を進めています」
「色合いですか? あれは、原料の産地で概ね傾向が決まっています。同じ産地で違いが出るのは、ざっくり言えば工房主の個性というかやり方でしょうか」
ダリナンは首を傾げながら、自らの経験に基づいた見解を述べた。両手を広げてみせる仕草が、職人らしい素朴さを感じさせる。
「現在はその認識で良いと思います」
アルフォンスは頷いた。
「僕が作ったガラスを見て頂いてから話を先に進めましょう」
アルフォンスはそう言って、傍らに立つ従僕から丁寧に木箱を受け取り、中から取り出したガラス塊を机に並べる。光を受けてきらめくそれらを、ダリナン工房主は目を凝らして見て、驚きのあまり息を呑んだ。
「これはっ……ガラスですか? 信じられない」
ダリナンは思わず立ち上がり、ガラス塊を一つひとつ手に取り、その透明度を丹念に確かめていく。指先が微かに震えていた。
「緑色はいいとして、黄色に青色とはいったい……。おまけに、透明度が……透き通りすぎてる」
ダリナンは職人としての経験から、その品質が尋常ではないことをすぐに悟った。
「このガラスは、作成に魔導炉を使っていません」
アルフォンスはあっさりと種明かしをした。ダリナンの驚く様子を楽しんでいるかのようだ。
「錬金術で僕が作ったものです」
「錬金術?」
ダリナン工房主は目を見開き、信じられないものを見るような表情を浮かべた。目の前の若者が語る現実に追いつけないでいる。
「錬金術って噂話でしか聞いたことがないものですが、本当に存在しているのですか?」
「存在してます」
アルフォンスはきっぱりと答えた。
「王国に僕を含めて三名の錬金術師がいて、僕以外は王宮錬金術師です。先ずは、錬金術で作るところをお見せします」
アルフォンスはそう言いながら、卓上の空いたスペースに錬成陣を素早く展開し、受け取った原料を正確に配置していく。しばし魔力を通すと錬成陣が淡くひかり、やがて青色のガラス塊が机の上に姿を現した。
アルフォンスは、工房の隅に運び込んでもらっていたいくつかの布袋を示し、ダリナンに説明を始めた。
「この原料が、三色のガラスのベースとなる配合です。見た目は正直なところ区別がつかないので管理に注意してください」
そう言って、アルフォンスは原料の配合について簡潔に伝えた。細かい配合の情報は、王家が責任者を立てる予定で、責任者に情報管理を任せることを伝える。
「できれば、この配合で季節ごとに行う調整を試してほしいのです」
ダリナン工房主は顎に手をやり、何度も首をひねった。思考を巡らせているのがわかる。
「季節ごとの調整ですか? 確かに、温度管理などは季節ごとに基準を決めてますが……魔導炉内の温度を季節間で差が出ないための基準です。今やると魔導炉内の温度が安定しません」
「それが確認のための方法です」
アルフォンスはきっぱりと言い放った。ダリナンの目を見据える。
「錬金術で作ると原料の配合通りに同じ物が作れます。魔導炉を使う本来の方法でどのように作られるか、そこを確認したいのです」
ダリナン工房主は合点がいったように大きく頷いた。手のひらで一つ叩く。
「なるほど、確かに今ある基準は工房の原料に依存しています。新しい原料である以上、新しい基準を決める試行錯誤というわけですね」
ダリナン工房主は、目の前の青年がただの若者ではないことを改めて感じていた。
「作成したガラスの保管については、影響範囲がまだ分からないので徹底をお願いします」
アルフォンスは真剣な眼差しでダリナン工房主に念を押した。公爵家が紹介した工房の不始末は、そのまま公爵家の信用に傷をつけることになる。
また、アルフォンスはダリナン工房で作成したガラスに添付する資料についても依頼した。
「資料には、細かい数値は不要です。設定を軽く説明する程度としてもらって構いません」
これは、万が一にもダリナン工房の機密情報が外部に漏れないよう配慮したものだった。この後、資料が公爵家や王家に渡る可能性を考慮してのことだ。
「基本的には、ガラスを作成したら添付資料を付けてください」
アルフォンスは手短に作業の流れを説明した。手早く書類をまとめてリュミエールに渡す。
「できたものは公爵邸に届けてもらえると助かります。この後、僕たちは学園に向かわないといけないので後はよろしくお願いします」
「分かりました、久しぶりの挑戦ですので精一杯やらせてもらいます」
ダリナンは胸を張って答えた。その声には職人としての意気込みが満ちていた。
「ほとほとに」
アルフォンスはダリナンの意気込みに満足げに微笑んだ。
「あっ、工房の製品を見せてもらっていいですか?」
ダリナンは快く応じ、アルフォンスとリュミエールを製品が飾られているスペースへと案内した。公爵家が紹介するだけあって、棚には見事な製品、素敵な装飾品が数多く並べられている。どれも細部の仕上げが丁寧だった。
二人は、製品を見て回りながら楽しそうに話し合い、その質の高さに感嘆の声を漏らした。そして、気に入ったいくつかの製品を購入すると、ダリナンに感謝を伝えて工房を後にした。馬車の車輪が石畳の上を軽やかに転がる音が遠ざかっていく。
――翌日、公爵邸で朝食を食べていると、ばたんと勢いよく扉が開き、「アル、リュミ、おはよ〜」と、ソフィア王女が乱入してきた。
啞然とする二人を置いて、ソフィア王女はそのまま食卓に着席し、侍女に朝食を頼む。そして、その勢いのまま話し始めた。
「アルたちのガラスの件はわたしが責任者になったからよろしくね〜」
ソフィア王女は弾んだ声で告げる。食卓の上の銀食器がかすかに揺れた。
「ねぇねぇ、あのガラスってアルが作ったんでしょ? 三色あったけど綺麗だよね。他の色もあるの?」
リュミエールはため息をひとつつき、ソフィア王女に声を掛ける。
「ソフィア様、飛ばしすぎですわ。落ち着いて朝食を食べませんか? 侍女たちが困ってますので」
侍女たちは慌ててソフィア王女の分を配膳しようとしている。
「あっ、ごめんね〜。配膳しちゃっていいよ」
ソフィア王女は侍女たちに軽く手を振った。
「あとリュミ、前に様は要らないよって言ったよ」
「はぁ、分かりましたわ」と、リュミエールは一歩譲った。わずかに肩をすくめてみせる。
「ソフィアが責任者ということは、工房に広めて競わせるということですね。その方針であれば素敵なものがたくさん作られそうです」
「相変わらず、リュミのその情報分析? は凄いわね。お母様とまったく同じことを言ってるわ」
ソフィアは楽しそうに笑う。銀のスプーンでスープをすくった。
「ソフィア様、おはようございます」
アルフォンスは改めて挨拶をした。口元に微笑みを浮かべている。
「ガラスの件で責任者ということは、工房主の取りまとめなどの指揮を取ってくれるということですか?」
「アル、固いよ〜」
ソフィアは口を尖らせた。頬を膨らませてみせる。
「様は要らないって前に……言ったよね? 言ったっけ? まぁ、今言った。普段の口調で全然いいよ? リュミはあまり崩れないからわたしだけ浮くし」
アルフォンスはリュミエールをチラリと見ると、リュミエールは『仕方がないわ』と目配せする。二人の間に静かなアイコンタクトが交わされた。
「うわっ、いいな、いいな」
ソフィアは目を輝かせた。キラキラとした視線を二人に送る。
「その以心伝心な空気感。リュミのその反応可愛すぎる。マリシアやタリーセにない可愛さよね。それでいて叔母様と戦場に立つ。くぅぅ」
「分かった、ソフィアにこれから色々と手間を取らせてしまうかなって思うけど、よろしくお願いね」
アルフォンスは呼び捨てで呼ぶことにした。
「くぅ、呼び捨てで呼ばれるのが心地良いわ」
ソフィア王女は満足げに身を乗り出した。瞳が期待に満ちている。
「任せて、実務はあれだけど、指示を出して進めるのは得意よ。ていうか、これできないとお母様が睨むの。怖すぎよ?」
朝食後、三人は公爵邸の庭にあるいつものガゼボに移動し、色々とブリーフィングをしてガラス生産の方向性を詰めていく。さらに、お昼を食べ小さなお茶会を催して今後の話を詰めていった。
ガゼボに吹く風は穏やかで、緊張感のある話とは裏腹に、――そこには和やかな時間が流れていた。木々の葉がさらさらと音を立てる。
名前 : 役割/関係性 : 説明/特徴 (Gemini作+補筆)
■アルフォンス : 主人公 : ダリナン・ガラス工房を訪問。透明、黄色、青色のガラス塊を作成し、錬金術の錬成で実演を見せた。ガラスの色合いに関する研究のため、ダリナンに新しい原料での試作と資料作成を依頼した。ソフィア王女にガラス生産の責任者就任について挨拶した。
■リュミエール・マリーニュ :男爵家三女 : アルフォンスに同行し、ダリナン工房主に公爵家と王家が関わる可能性があるため他言無用と念を押した。アルフォンスと共に製品を見て回り、いくつか購入した。ソフィア王女に公務での指揮を期待し、呼び方を改めた。
■ダリナン : ガラス工房の工房主 : 40代後半の筋肉質な職人。公爵家の紹介状でアルフォンスらを迎え入れた。アルフォンスが作った透明なガラス塊を見て品質に驚き、錬金術による作成実演を見て錬金術の存在を確信した。新しい原料での試作依頼を受け入れた。
■ソフィア・フェルノート : 第二王女/ガラス生産の責任者 : 翌朝、公爵邸に乱入。ガラスの件で責任者になったことを告げた。ガラス工房を競わせる方針を示し、アルフォンスとリュミエールに呼び捨てで呼ぶことを求めた。
■マリシア・ヴァンディール : 伯爵令嬢/ソフィア王女の友人 : ソフィア王女が言及した人物。
■タリーセ・ベルモン : 男爵令嬢/ソフィア王女の友人 : ソフィア王女が言及した人物。




